日別アーカイブ: 2019年2月19日

思いを伝える、思いを汲みとる

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サイトへの投稿がようやく10件を超えようというところで、ふと気になった。
読んでくださる方たちに伝えたい内容を、私の文でちゃんと表現できているだろうか。

こんなことが気になったのは、例えば虐待の疑いのある子どもに本当の気持ちを話してほしいと願うとき、どんな言葉を選び、どんな声色、声の高さで、どんな表情、姿勢、眼差しで接したら心を開いてくれるだろうと考えてみたからだ。対面しているのであれば、全身全霊を以て「安心して」と伝えることも、反対に自分をできるだけ無に近づけて相手の言葉を待つことも(理論上は)可能だ。だが文章だけでそれができるだろうか。
同じ文章でも話し方ひとつで意味が真逆になることもある。話すスキルが封じられているなら、誤解を生まないよう慎重に文章を綴ること。そう思い定めたもののこれが難しくて。普段からぶれない思考を習慣づけようとする一方で、遊び(余白)の無い人間に他者の思いがわかるだろうか他者を受容できるだろうかと疑問に思ったり。つまりは、とても人間らしく揺らいでいる。

揺らぎなどと言うと個人的な内面の吐露に聞こえるが、これは普遍的なことでもあるのだ。揺らぎつつバランスをとること、それは生命の営みそのものだから。
日々、試行錯誤してみたり葛藤してみたり休憩してみたり、その中でバランスをとる方法は人それぞれ。多くの方法に触れて、備えてほしいと願う。
転んでもまた歩きだせるように。