このサイトで文章を読んでくださっているかたには、誰に向けて書いているのか混乱するような場面があるかもしれない。究極的にはOnePersonに向けて書いているのだが、インターネットという公共の場を閉鎖せずに利用しているので、多くの人が目にする可能性があることを自分に言い聞かせている。それでもテーマによっては狭い範囲の方たちへのメッセージのようになってしまうこともあるだろう。
今日は「神様なんていないし、もう自分なんてどうでもいい」と投げやりな気分の方がたに向けて、SF(すこし不思議)な話をしようと思う。
だいぶ偏った私の世界観が出てくるので、他人の考え方に興味がないかたは読まないほうがいいですよ、と注意喚起しておきます。
半世紀くらい生きているとオカルトとしか言えない体験の1つや2つはある、という人も多いだろう。私もそういうひとりだ。オカルト的な括りの中で、「本当にどうすることもできなかったのか」と悔いていることが2つ、「何かできることがあるのではないか」と現在進行形で気にかかっているのに先送りしていることが1つある。
先の2つの後悔のうち1つ。若いころ、一生の友人関係が築けたらいいと思う人たちがいた。サークルの同級生だったがみんな異性だったので、どう切り出したらいいのか迷っているうちに卒業を迎えてしまった。卒業前後に集まる機会があって、「ずっと友人でいてほしい」と伝えるなら今日だという日にそれは起こった。解散間際、超大手企業に就職した1人が名刺を手渡してくれて、「いいところに就職したね、おめでとう」と言おうと口を開いた瞬間に横殴りにされたような衝撃があった。そして私の口は切れ切れながら勝手に言葉を紡いだのだ。「その会社は、すごくだめな会社だよ、よくない」と。
上記を読んだ多くのかたが「それは、素晴らしい就職を果たした友人に嫉妬しただけでは?」と感じるだろう。私自身、最初は自分を疑ったのだ。なんと心が狭く醜い行いをしてしまったのかと。だが、自分の中をどれだけ探しても、私の中にその人への負の感情は無かった。
パニックを起こしかけていたが、相手の気持ちを思うとこんなひどい言葉をかけた私が自我を喪失するのは卑怯だと必死に自分を保って「ごめん」と言葉を絞り出した。それでも結局私は大切に思っていた人たちを失った。
あのとき。負の感情は無かったというなら何はあったのか、何故あのような酷い言葉がでてきたのか。あの後すぐに、思考を放棄したくなっていた自分を叱咤して、可能な限り分析した。言葉が紡がれた瞬間に私の中に存在したのは「とにかくこれだけはつたえなければ」というとても強い思いだった。焦燥感もあった。ただ理由がまったく分からなかった。
後年、その会社はとても大きな事故を起こした。
今なら、少し解る。あのときの私はたぶんイタコのような状態だった。「とにかくこれだけはつたえなければ」というとても強い思いがありながらその理由に全く思い当たらなかったのは、それが私の思いではなかったからだ。今の時代なら「ハッキングされた」と表現したほうが、読んでくださっている方には伝わりやすいだろうか。
その同級生に属する存在が、彼の将来に待ち受ける危機的状況を知って彼を守りたいと強く願った。どうやっても伝えられず困っているところへ、乗っ取りやすそうな人間(私)が現れたので言葉を使って伝えようとした。こういう状況だったのではないかと考えている。
「同級生に属する存在」とはミトコンドリアとか腸内細菌の類だった、というのが私としては最も腑に落ちる説だ。昨年、「ミトコンドリアや腸内細菌のなかに、時間とのかかわり方が人間とは違うタイプが存在しているかもしれない」という仮説を読んだから(いつもなら予算獲得のためのトンデモ記事かなと流すのだが「ふと気になった」のだ)。昔から言われる「ムシの知らせ」とか「第6感」は彼らの生存戦略ではないか、というものだ。普段は漠然とした「感覚」でしか伝えられない、人間と言語を共有してはいない者。
そういう者が本当に存在していたら、宿主つまりは運命共同体である人間を守ろうとするのではないだろうか。
だから、今とてもつらい状況にあって投げやりな気持ちになりそうな方がたへ。今日この文章を読んでいるのは、あなたの運命共同体(ミトコンドリアや腸内細菌)が導いたからかもしれない。「共に在る。見守っている」とあなたに伝えたくて。
「ムシが知らせるとかキモい」と思わないであげてくださいね。宗教で語られる神様とは趣はだいぶ異なるが、「内なるカミ」という立派なカミ様です。よい関係が築けますように。