月別アーカイブ: 2019年2月

みんな居場所を探してる

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幼稚園の卒園アルバムの思い出。みんなそれぞれの「しょうらいのゆめ」を書いたのだが、担任教諭に後日母とともに呼び出された。「こんな夢のないこと書いたのあなただけ」「みっともない」「私のクラスだけこんなみすぼらしいの、恥ずかしくて載せられない」「こんなの夢じゃない」「何かあるでしょう!?」「とにかく書き直して」。思い出して文字にしてみたら結構すごいこと言われてるw 「何だっていいから!」と言いつつ、受理した後まで「こんなの」と文句をつけていたなー。
最初に何と書いたと思います?

   おかあさんになりたい

・・・そんなに変でしょうか、ね。
最終的に、嘘を書かされた。会話で方便を使うことさえ罪ではないかと恐怖する年頃だ。文字で嘘を書き残すというのは個人的には魂がズタズタにされた大事件だった。担任は、髪型や化粧で芸能人を真似ている(当時の)今どきの若い人、仕事のほかにもすることやしたいことがある感じの20代の女性だった。「しかたない」と感じたし、「無理だったろうな」と思う。彼女がいま幸せでいてくれたらそれでいい。面倒は見ても幼稚園児の人権など認知されていない、そういう時代だったから。

あの時「『おかあさん』になりたい」と書いていたら、もう少し伝わっていただろうか。

「しょうらいのゆめ」はずっと変わっていない。
語彙が少なくて「おかあさん」としか表現できなかった私の夢。
気持ちよく乾いた風が通りぬける、穏やかなあたたかい家庭をずっと願っていた。そんな場所をつくりあげて維持する存在になりたかった。

維持することに終わりはない。5文字に込めた小さくて大事で欲ばりな祈りを、私は今も抱き続けている。

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「何かに導かれるように」サイトを始めた。そのあたりについて、少し。

30代半ば、衰弱した私は悟っていた。「次の春か秋の始まるころに命が尽きる」と。
すべての生命は共通の命題を課されていて大抵は死を迎えるときに果たすのだが、「今なら、子どものころには望むべくもなかった悪くない答えを出せるな」と考えていた。「死神の息吹」的な体験もした。とても静かな気持ちで残された日々を大切に生きていた。
そして生き延びてしまった。
今の私はオマケの時間を生きている。

そんな浮遊霊のような私でも、世間のニュースに心を動かされることはある。中でも児童関連のニュースは、取材が丁寧であればあるほど強い光を放っていて、「目を向けて。ちゃんと読み解いて」と訴えかけてくる。
数年前、10代半ばの子供たちがお金を目的に祖父母や老人の命を奪うという事件が相次いで報道された。そのうち1件の背景は、簡単に表現できるものではなくて、事件と裁判の経過が気に掛かってずっとニュースを追っていた。「犯人の少年は自分だったかもしれない」「少年の母が自分だったかもしれない」二重の意味で他人事とは思えなかったのだ。

この事件は(この事件だけではないが)多くの人の心を揺り動かしたのだと思う。
事件の翌年ごろから世間には「こども食堂」と呼ばれる場が多く生まれ、今も続いているようだ。行動力のある心ある人たちが尊い行いを為している。せめて寄付をさせてもらおうと調べたが、自分が心を寄せたいくつかの団体は寄付お断りとなっていた。昨今のネットの威力は凄まじいものがあるので特にお金のことは難しいのだ、社会にはいろいろ事情がある。
また同じころから児童虐待に関する報道が増加した。児童相談所の相談件数が増えたというデータがあって、注意を払う人が増えた結果、露見し事件化する数が増えたと分析する記事があった(リンク貼れなくてごめんなさい、準備はしておくものだね)。真摯に頑張っているお父さんお母さんがほとんどだと思うのであまり疑ってかからないでと祈りつつ、ニュースがあれば無関心ではいられない。

関心を向ける以外に何か、できることはあるだろうか。
先の事件の報道の中に、悲惨な状況下でもスマホを所持できていた間は少年もひとときの心のシェルターを確保できていたとあった。周りの先人たちの教えの場からこぼれてしまった子どもたちが、ネット上に自分を受け止めてくれる場所を自ら探せるというのは今の時代ならではの救いだろう。
自分がその救いになれるなどと大きなことは言えない。むしろ私の言葉は、多くの人にとっては理解不能で混乱をもたらすことのほうが多いと予測している。自虐ではなく、私の言葉は面倒極まりないらしいから。
それでも、こぼれてしまう子どもたち(過去にこぼれてしまった今は大人の人も含む)はそもそも既存の道が合わないのかもしれない、ネットに多様なやり方が挙げられていれば助けに出会える可能性がひろがるかもしれないと考えて、一歩踏み出すことに決めた。
これを読んで、空気が読めるから沈黙したり本音を隠したりしてきたというかたが「余力があるので自分も発信してみよう」と行動してくれたら嬉しいとも思う。あなたのその知恵が、誰かの助けとなるかもしれない。ニッチな私より守備範囲が広そうです。いかがですか?


今日の最後に。繰り返しになるけれど、
今まさにこぼれかけてサバイブ中のあなたへ。
あるいは、自分の一部が迷子になった過去に置き去りのままというあなたへ。

厳しい言い方かもしれないが正解に至る道は示してあげられない。
それは今はまだ存在していなくて、あなたがこれから作るものだから。
でも焦ることも絶望することもない。
たぶん、今はまだ道を作る時機ではないだけ。


老婆修行を始めた理由

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未来を意識した最初の記憶を覚えていますか?

私のそれは年齢が片手の指で余る頃、もうはるか昔のことになります
自分の子供が相手ならどんなことをしてもいいと馬鹿にしてかかる親と口論になって
「ホラ子供だから分からないンだヨ、大人になればわかるヨ」
と言われたときでした
「そんなことない」と返した私は決心しました

20なんねんかあとで、このやりとりについてもういちどかんがえよう

子どもとして自分のルーツである親を肯定したい気持ちを捨てきれない
かと言って尊厳を自分の親に踏みにじられて平気でもいられない
今は親を立てて我慢して
2X年後(親との年齢差)今の親の年齢になったとき
あるいは将来自分が親になって子どもが今の私の年齢になったときに
もう一度考えれば、この問題に答えが出せるだろう
親の言動を赦せる日が来るだろう

2X年という長い時間の尺度は
感情を鎮めて事態を収めただけでなく
未来に希望をつなぐという救いをもたらしてくれました

さて現在

私も孫がいてもおかしくない年齢に至りました
一昨年は足の爪を剥がして全治11ヶ月
去年は風邪で、40度近い熱から始まって最後の鼻の症状が治まるまで50日
怪我や大病をした季節が巡ってくれば同じところが鈍く痛むし
体型はジャバ・ザ・ハットまっしぐら
そして階段が昇れない・・・

どこかで聞いたネタの羅列のようなのに事実という惨事
それが老い
哀しいけど少し可笑しくもあるのは
まだ老いの始まりだからでしょうか?

このような現状だから体の衰えは本当に気になるところです
でもそれよりずっと気にしていることは
年齢相応の知見と落ち着きと思いやりを身に着けているか
・・・文字の形にしてみても全然すーっと入ってこないので
今の私はステータスが全く足りていないです
理想には程遠いな

本を読み、ニュースに注意を払い
洞察力を働かせ
人の話によく耳を傾けてその背後にも気を配り
ユーモアを忘れない

そんな老婆に私はなりたいのです
ハードル高いw
けど、磨くぞ