日別アーカイブ: 2019年3月11日

8年前(1)2011

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8年前の今日、この時間(まもなく22時)。強い余震がひっきりなしに続いて、片付けも手につかず、ネットやラジオ、TVのニュースで少しでも多くの新しい情報を得ようとしていた。
唐突な書き出しでごめんなさい。今日は、何も書かずにおこうかと考えていた。今もまだ整理がついていない、あの日のこと。地震と、続いて起きた原子力発電所の事故のこと。私にはまだ書けないと迷いながら文章を綴り始めた。

あの年は年明け以降、何となくザワザワと落ち着かない空気が漂っていた。山陰地方ではドカ雪が降って松の内(1月7日まで)から災害に見舞われる方がたがあり、下旬には九州から始まって各地で鳥インフルエンザが発生し最悪の手段で終結していた。
個人的にも不安定な事態が続いていたし、周辺で工事が相次いだため騒音と振動で心身がとても弱っていた。そのせいか1月はとにかく夢見が悪く、31日には終に心身に迫りくる terrible な夢で夜中に飛び起きて、夫に起きて聞いてもらったほどだった。不安でたまらない日々が続いていた。

2月には海外でも東北沖でも大きな地震があった。虫の知らせだったのかもしれないが、この東北沖の地震の後、どうにも気になって、毎日のように地震情報を眺めていた。
日本は地震列島と言われてはいたが、それまで私が直接体験した大きな地震といえば子どもの頃の震度4が最大だった。1度揺れて終わりの地震で、余震が続くという体験は無かった。
だが2011年2月の東北沖地震の震源域では、マグニチュード4.5以上に絞っても地震が起き続けていた。専門的なことは解らないなりに「なんかヤバいんじゃないの?」と感じた。振り子が収まっていく現象としての地震なのか、現在進行形で絶賛継続中の地震なのか。気になって、インターネットの地震情報チェックはルーティンとなった。

3月9日、東北地方の沖合でまた地震が起きた。マグニチュードは7.3で、不謹慎だが私はあのとき「本命はこれだったのだろう」と少しほっとしたのだ。だが、翌10日にもM6.8の地震が起きた。
まだ終わっていないのではないか?
9日に感じた安心感は消えてしまった。身震いするほど怖くて、何かに没頭したい忘れたいと強く思った。

3月11日はその頃ずっとそうだったように風が強かった。私の住んでいる地域では、特に冬、異様に強くて長い風が吹く。長いとは奇妙な表現だが、普通の風をビューと表現するとビューーーーーーーーぐらい吹き続けるのだ。強いときは窓や外壁にドンッとかバァーンッとか叩きつけた後にビョオォォーーーーーーーーーーーーォオオと続く。子どもの頃はそういった風の記憶がないのだが、いつごろから始まったものだったのだろう。
その風の音と揺れ、周辺工事の音と振動が、昼にはどちらも止んだ。気温は高くはなかったが日差しも出てきて、束の間、神経が休まる心地がしたのを覚えている。

そしてその時が来た。のだが、当時の記憶を辿るのはやはり体調がしんどいので今日はここまでにします。