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思い出の揚げ茄子

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昨夏の終わりごろだったか、夕飯の茄子の小鉢を食べていた夫が突然、「昔さ~・・・」と話し出した。夫は育ちなのか自戒なのか「食べ物についてあれこれ言ってはならない」を信条にしているようなところがあって、普段あまり美味い不味いを言葉にしない。そのうえ食べ物の記憶なども自分から話すことは無く、尋ねても「うーん特に覚えていない・・・」と作り手に寄与する応えを聞かせてはくれないのだ。そういうわけだから夫の「昔さ~・・・」には大いに驚いたのだが、こういう時は過剰に反応すると相手の言葉が引っ込んでしまうので、努めて平静を装って言葉の続きを待った。

夫曰く、高校生ぐらいのころのこと。毎年夏になると、大量の揚げ茄子がドーンと大皿に盛られて食卓に並んだ、夏の盛りともなると毎晩のようにドーンドーンと続いてとにかく食べまくった、というのだ。
自分の中に深く潜行している眼差しだったので邪魔しないようにそっと「それで?」と促してみると、「今思うと油ものが毎晩続いて胃もたれするよなとか」「残ると弁当にも入っていた」とぽつりぽつりと聞かせてくれた。「続くにしても毎日大皿にドンッていうのは手抜きだよな、盛り付けを工夫するとかさー」と言い始めたので私も口を挟むことにした。
「もしかして茄子を油で調理したもの、実は苦手だった?むかし散々食べて飽きちゃっていたとか」と水を向けると、夫はハッとして「いやっ、こういう小鉢として完成しているようなのは別にいいんだよ・・・」と私におもねるような発言をした。夫は「小鉢として完成」と言ってくれたが、一口大に切って細目に飾り包丁をして油で焼いたものに茗荷をのせてぽん酢をかけただけのものである。やれやれと思いつつ、こちらの言い方も少し意地悪だったと反省して、お詫び代わりに夫の思い出を少し繙(ひもと)くことにした。
「ごめんごめん、でもそれだけ食べられたってことは揚げ茄子は好きなの?」「そう、かな?」「なんで疑問形・・・毎日のように食べていたんでしょう?」夫は高校生のころ義母(夫の実母)と2人暮らしだったので、大皿の半分以上の揚げ茄子を平らげていたはずだ。確認すると「うーん、確かに『俺は虫か?』ってくらい結構毎日ぱくぱく食べていた」と言う。「それでも揚げ茄子が好きかと言われると、うーん・・・」とまだ自分でも納得がいかない様子の夫を眺めた後、先ほどとは少し違うやれやれを抱きながら口を開いた。
「本人がわからないものは私にもわからないけど、少なくともお義母さんのほうはあなたが揚げ茄子を好きだと思っていたかもね」「えっ、そう思われていたのかな。出されたものを食べるしかなかったから食べていたんだけど」「あなたの食べっぷりがいいからお義母さんも作るのが楽しかったんだと思うよ。それでついつい沢山揚げちゃってドーンて量になったりよく食卓に上がったりしていたんじゃないかな?」夫の表情があっ、と変わった。「そう、かな」「たぶんだけど」。
「そっか」と呟きつつ、夫はまだ自分の内側を探している様子だった。あまりヒントを出すのも良くないけれど、この体験が後に夫ひとりでも繙きができる基礎となればいいと思ってもう少しだけ続けることにした。
「後さー、高校生とか大学生くらいの年代ってびっくりするくらい食べるよね。人生で1番っていうくらい食べなかった?」「確かに!」「放課後友達とマックに寄ってきた日も、うちに帰ってご飯食べておやつも食べるみたいな」「あったあった!」寄り道しなかったタイプに見えていたが、夫にもあったのか。「お義母さんは料理に明るかったじゃない?揚げ物は満腹感も得やすいから、『フライドポテトやポテトチップスにハマるより揚げ茄子で満足して!』とも思っていたかも」「それ、あったかも」「寄り道しない日もあるし、その日の適量に合わせてあなたがおなかいっぱい食べられるように、お義母さんなりに考えてくれての大皿盛りで手抜きってわけでもなかったんじゃないの?」「あ・・・」ふっと夫の表情が深く和らいだのを見て、私も満足したので話を切り上げることにした。
「後ねー、お義母さん、野菜をお裾分けしてくれるお友達がいたのよ。夏野菜って次から次と穫れまくるのよね・・・」「あー・・・!」今日1番の納得がいったという顔で夫は力強く頷いた。

話の最後にオチのようなおまけをつけてしまったけど、その日夫は寝るまでずっと仏像のように柔和な表情だった。あなたは大切に育てられてきたんだよ。それを私もわかっているから、その思いを継いでいるよ。ま、そんなこと言わないけれど。
でもいつか、私が先立った後に「そっか」と思ってもらえるように。
料理のプロだったお義母さんには及ばないけど、せめて食べ疲れしない料理を作り続けようと思っている。今年もおいしい茄子が食べられますように。


追記(22時間後):

お義母さんの揚げ茄子
 材料   茄子 サラダ油 薬味(その日有る物で)とめんつゆ
 作り方  ・茄子は水洗いしてへた(がく)の部分を切り落とし、水気をとる。
        ざるにあげておいてもいいし、拭き取ってもいい。
      ・薬味とめんつゆを用意する。
        生姜やにんにくを刻んだり卸したりしたものが多かったそうだ。
      ・天ぷら鍋でサラダ油をあたためはじめる。やや高めの中温にする。
      ・油が適温になったら、茄子を縦に4つまたは6つに切って素揚げにする。
        茄子は切り口から変色するので、油に入れる直前に切る。
        鮮度が高いと切り口から水分があふれてくることがあるので、
        紙などで拭き取ってから油に入れる。
        いちどきに量を入れ過ぎると油温が下がって仕上がりがよくない。
      ・カラリと揚がったら必ず網に載せて粗熱をとる。
        このひと手間を省略すると、カラリと揚がった茄子が残念になってしまう。
      ・大皿に向きだけは揃えつつ大胆に盛る。
      ・各自にめんつゆを用意して、薬味は好きに合わせて食べてもらう。

 これが義母から教えてもらった揚げ茄子のおおよそのレシピです。おおよそ、というのは…揚げ物が苦手で作っていないからです天国のお義母さんごめんなさい。大量の油を扱えるだけの技量がまだありません…。
 義母によると、「揚げ物は『具材の水分処理』と『油温管理』を間違えなければ(油が)はねることはないから大丈夫」だそうです。
 ちなみに昔義母から聞いた話では、ひとりひとり盛り付けることもあったはず。その際は茄子を縦2つ割りにして斜め格子の飾り包丁をして、薬味も茄子に載せて盛り、めんつゆにつけるのではなくかけて食べたそうです。義母は揚げて作っていたけれど、おそらく夫はそれを「焼き茄子」と認識していたに違いないと推察しています。


恥ずかしながら、話題に出したので・・・
茄子の小鉢
 材料   茄子 油(オリーブ油、胡麻油など) 薬味 ぽん酢(または出汁酢)
 作り方  ・茄子は水洗いしてへた(がく)の部分を切り落とし、縦半分に切る。
      ・斜めに1~2mm幅の飾り包丁をして、一口大に横に切る。
      ・深さのある容器に移し、うすく塩をまぶして5分くらい置く。
      ・薬味を用意する。特に決まっていなくて、その日家にある物。
        大葉 極細切り   生姜 極細切り、すりおろし
        みょうが 横向き(繊維を断つ方向)に細切り
        かつおぶし 胡麻
      ・水を加えてザッと流し水気をよく切る。急いでいるときは紙で軽く拭く。
      ・フライパンに茄子を並べる。縦半分に切った際の断面を下にする。
      ・並べた茄子に油をかけて、フライパンを中火にかける。
      ・焼き色がついたら裏返す。
      ・茄子、薬味の順に盛り付けて、ぽん酢(または出汁酢)をかける。
        組み合わせは無限。近年はレモンとわさびと出汁などでも。

 義母の揚げ茄子を作れない私が代わりに作る焼き茄子、どのご家庭でも食べているであろう普通のおかずです。ご家庭によっては「油茄子」と呼ばれているかもしれません。調理後に大量の揚げ油と格闘しなくていい、それだけで「また作ろう」と思えるひと品です。フライパンに残る油はキッチンペーパー1枚で十分拭き取れる程度なので、片付けや家計の面からも焼き茄子に軍配が…。
 火が弱すぎて加熱に時間がかかりすぎたり、最初に油をかけるときにかかっていなかったりすると、茄子の紫が茶色くなります。油をうまく回しかけられなかった日は、フライパンの中で(サラダにドレッシングを混ぜるときのように)茄子に油をまとわせてから並べると茄子の紫色が守られます。仕上がりが茶色くなってしまったら・・・出汁酢よりもぽん酢がおすすめ。いっそソースととろけるチーズで大胆に目隠しするのもおいしいですね。大人にはソースと練り辛子とトマトペーストもお酒がすすむ危険な味わい。話が焼き茄子からどんどん離れて行っていますw。
 追記なのに、食べ物の話だと長くなってしまいますね!食いしん坊ですみません。この辺りで。


2019年6月1~8日

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買い物グループ1

牛薄切り肉03 油揚06 卵10個
鶏挽肉05 鶏胸肉07 ちくわ09 とうふ絹17 卵6個
牛薄切り肉11 鶏胸肉10 豚挽肉10 油揚16 卵10個


 

買い物グループ2

茄子 スプラウト 西瓜 りんご
じゃが芋 トマト みょうが スプラウト キウイ レモン アメリカンチェリー
トマト 茄子 ロメインレタス ナスタチウム かぶ 生姜


 

主な献立と主な材料

牛トマト煮       牛薄切り 蒸し野菜 トマトソース
かに玉         卵 塩豆 かに玉ソース スプラウト
バターチキンカレー   鶏胸肉 トマト 白いんげん豆 カレー粉 バター ココナッツミルク
プリプリ鶏天      鶏胸肉 水 塩 小麦粉
 焼き茄子       茄子 胡麻油 スプラウト 出汁
ツナとオクラの和風スパゲティ   ツナ缶 オクラ 鶏出汁 しょう油 みりん 黒胡椒粒
天津飯         かに玉 玄米ご飯 スプラウト
鶏とトマトのリゾット  鶏つみれ トマト ブロッコリー 鶏出汁 生姜 玄米ご飯 粉チーズ
キウイととうふ     キウイ とうふ絹 岩塩 オリーブ油
胡瓜とわかめの酢の物  胡瓜 わかめ 寒天 みょうが 出汁酢
トマトと胡瓜      トマト 胡瓜 蒸し野菜 人参ドレッシング
トマトと胡麻とうふの和え物    トマト 胡麻とうふ 味噌だれ
冷奴          とうふ絹 岩塩 オリーブ油 黒胡椒粒
モッツァレラチーズのサラダ    モッツァレラチーズ トマト キウイ レモン 岩塩 オリーブ油
鶏と茄子の吸い物    鶏つみれ 焼き茄子 みょうが わさび
なめこの味噌汁     なめこ 蒸し野菜




「和魂」のこと、「荒魂」のこと

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前回、私の価値観に基づく勝手な祈りについて書かせていただきました。
こちらの背景を知らされないままの読み手にとっては書き手である私に嫌悪感や忌避感を抱く危険性の高い、そんな文章でした。荒ぶる魂のままに綴って、敢えてそのまま載せました。


こちらの背景を説明するという普通の行為が、近年では「自分語り」と呼ばれたりして面倒な時代になったなと思うのですが・・・。
自分について、世間で言う「普通」からは少し振り切れてしまった人だと認識しています。生まれ落ちた場所は「家庭」ではなく、いつ危険な状態に陥るか常に感度高めでいなければならなかったため過緊張で肝心の時には緊張の糸がもう切れていたり。「こんな状況ではマトモな大人になれない」と家からの救出を全霊で願ったけれど叶わず、父と母と第1子の憂さ晴らしや濡れ衣に使われ続けたり。間違ったことを「正しいことや常識」と偽って教え込もうとされるのが本当に嫌だった。親に替わって正しいことや社会のルールを教えてくれる信じていい大人もいなくて、きっとこれは間違っていると私自身の直感が告げていても自分を信じていいのか判断できなくなっていく、その過程をずっと見続けていたことの恐怖は私の持つ語彙では表現できません。
「見続けていた」と他人事のように書いたのは、当時の私がおそらく自分をいくつにも切り離すことで自我を守ろうとした、自我のうちひとつでも逃げ延びさせようとしたから。自分の養育者であるはずの大人や年上のきょうだいについて「親だ家族だ」と慕いたいという当たり前の情を自らに諦めさせることはひと桁の年齢の子どもには難しくて、諦念を抱えたまま生きられるようになるまでの間に、幾人かの自分をおくりました。私の背後には守護となる父祖の霊の替わりに、幼い私が連なっています。
ぼろぼろに疲れて荒ぶる魂を暴走させていた頃には間違ったこともしました。逆に間違ったことをされることもあった。それでも最終的な破滅に至らずに済んできたのは、「なさけ」をかけてくれた人たちが存在したからだと感じています。直接的な救いの手を差し伸べてくれた人たちがいて、本当に数えるほどの体験だったけど私にはとても大きな大切な宝物です。
それだけではなく間接的な救け、前回書いたような「ひとかけらの心」も私はたくさん貰いました。まだ児童や生徒と呼ばれる年代だった私に「あまり係わりたくない」「うちの子とあまり係わってほしくない」と冷たく言い放つ人もいたけれど、同じことを言った直後に横顔で「(それでもどうか道を踏み外さないで・・・)」とひとかけらの思いを残してくれる人もいた。「(ごめんね・・・)」と思ってくれた人もいた。それが聞こえていたから、自分が人間であることを諦めずにいられた。私の知らないところで同じような願いをかけてくれた人たちもおそらくいて、そういった思いにたすけられて今日まで生かされてきたのです。そうでなければ疾うに死んでいました。
ひとつひとつは小さいかもしれない思いのかけら(それでも私には充分にありがたいものでした)。言うなれば「さざれ石」のようなそれらが、親や父祖の替わりに、私が荒ぶる魂を制御できるようになるまでの猶予期間を作り守ってくれたのです。


少し話が飛びますが。
数年前の春の夜、「外からとてつもなく強い感情が流れ込んできた」と感じました。最初は何が起こったのか全くわからず。それでもその切迫感が311の予知夢と同じくらい烈しいものだったことに危機感を覚え、手当たり次第にニュースを調べて数日後、或る事件に辿りつきました。その事件は、誰かの強い感情が流れ込んできたその日その時間に起きていたのです。
それだけで不可思議な体験を肯定するほど蒙昧ではないつもりですが、どうにも気になったのでその事件と裁判の経過をずっと追っていました。犯人は、そこに至るまでとても酷い子ども時代を送り、のちに差し伸べられた救いの手を信じることができなくなる呪いのような体験もしていたことが裁判で明らかにされていきました。初めのうちは事件と同じ時間に自分が体験したことについて「そんなことあるものか」と否定する要素を探すために追いかけていた部分もあったのです。でももう良識を投げ捨てて肯定する。
あの日、事件のあった夜、私は親子ほどに齢の離れたその少年の魂の叫びを聞いたのです。
たくさんの思いのかけらを受け取るのに辛うじて間に合った私。受け取るには信じるには傷が深くなりすぎた少年。そこには意味があると、深く考えずにはいられませんでした。何かできないだろうかと考えたとき、自分の「意外と踏みとどまっている人生」をそれでも上々と肯定してきたことについて少し後悔しました。眼を見て肉声を聞いたら、その少年のための何かを見つけられるのだろうか。
少年はいま、犯した凶行の罪について考え償う機会として懲役刑を受けています。


いつか、誰かに。かけてもらった情を返したい。返す。その思いが、前回綴った祈りの起点にあります。
頑張っている人、頑張れずにいる人。目を曇らせている人、視えているからこそ苦しんでいる人。誰かを心配している人、心配されているほうの人。道を拓く人、付いていく人。前に進む人、今は休むと決めた人。世の中には大勢の人がいて、それぞれが時によっていろいろな状態にあります。望んだ状態に近い人も、そうではない人もいるでしょう。
どんな人にも、背中を預けほっとできる場所や時間は必要です。短い時間かりそめの場所でもいい、ほっとひと息を「毎日」重ねる。それは、たぶん人間性を失わないために必要な積み重ねなのだと思います(不調の時だけでなく好調の時にも必要なことです)。小さくてもやがて積み重なって、過去や現状を分析し先(未来)や周りを考える余裕につながっていく。それができずに苦しんでいる人をたすけたい。かつて私がそうしてもらったように。
今度は私の思いのかけらを「誰かのさざれ石になれ」と送り出す番です。
そうやって魂を少しずつ分けていって、受け取ったり送り出したりを重ねていつか1つの魂として存在するには足りない状態になったとき、死を迎える。それが齢をとって死ぬということだと解釈しています。