前回「身体は、私にとっては魂よりもずっと謎が深い。」と始めのほうに綴ったのだけど、本当に・・・! 力量もわきまえず身体について述べてみようなんて馬鹿なことをしたものだと、床をのたうち回りたい気分です。まあサイトの成り立ちの観点からは狙い通り(このサイトのURLはnaked-spirit、意訳でむきだしの魂)なので気を取り直していきます。それにしてもこのテーマ、今回でちゃんと終われるかしら…。
まず、前回の(1)を読み直してみたのですが、最後の辺りで力尽きて茶飲み話みたいになってしまってごめんなさい。「成長期を過ぎたら身体は老いるばかり、努力して維持するのがせいぜいだと思う?そんなことないかもしれないよ?」と伝えたかったのです。専門家でもないのに安易に希望を振りまくつもりはないのですが、数年後数十年後になってみなければわからないということもきっとありますよ。新しい方法や技術が確立されるとかね。だからこれを読んでくれているあなたが今、身体のことで(他のことでも)何か問題を抱えていても思い詰めないで、ゆったり構えられる状態へと自分を導いてあげてください。
さて今回は、身体についてほとんど話せることがないので脳の話をして、さっさと次回「意識」の話へ繋げてしまいたいと思います。詳しくないくせに脳に興味津々で、科学ニュースの関連する記事や本を読んだりする程度、知識と呼べるほどのものはありません。きっと今回も茶飲み話ですからね、ええ。以下、お読みになるかたはご覚悟くださいませ。
そうだなあ…もう10数年前のことです。国内外で様々な「違い」による争いが絶えなくて、ちょっとニュースを見るのがしんどい時期がありました。それでも克己心とか使命感のようなものを感じて頑張ってニュースに向き合い続けて。ある日プツッと堪忍袋の緒が切れた。こういう場面で勇敢なる者の役を押し付けられるのはいつも夫、この時もそうでした。私「ねえこの人たちもこっちのニュースの人たちも、いつまで争ってるつもりかな」夫「どうなんだろうね(興味ない)」私「どうしようもないと割り切って歩み寄ろうって気にはなれないものかな」夫「なれないから今の状態なわけで(興味ない)」私「どうしようもないならせめて違いに目を向けるのをやめればいいと思わない?」夫「そう出来てたら平和な世界だねー(棒読み)」厭世の観を強めた私の中に強い思いがゆっくり立ち上ってきました。分断を叫び続ける人たちに、自分たちの団体ばかりに意識が向いて周りとは別になりたがる人たちに、会話に興味のない夫にも。私「もうさあ、いっそみんな地球人てことにしたら良くない?」夫「ハイー??!?」下がった気分の自分がとても真剣だったのは食事時のアルコールのせいだったと思いたい。私「みんなが意識を自分は地球人てシフトしていけば、人種も民族も国も地域も宗教も超えて一緒。地球人同士、争うのはやめておこうかってならない?」視線を向けると夫は本当に頭を抱えていました。
この会話が問題になったのはしばらく後のことでした。時の日本の首相が突然「私達はみな地球市民です」的な発言をしたのです。私「この前の会話覚えてる?ウチ、洒落じゃなく盗聴されてるっ??」夫「無い無い、偶然だよ(呆れ)」パニックを起こしかけていた自分を落ち着かせながら私は何か思い出しかけて、でも思い出せないと感じていました。
さらに時は流れてそれから4~5年経ったころでした。ラジオで昭和の懐かしい名曲特集をしていたので聴いていたら。流れてきたのですよ、まさかの答えが。(ジャスラックさんとの正しいおつきあいの仕方を事前に調べていなかった!今日のところは歌詞が載せられないです悪しからず。)透明感と生命力に溢れたしなやかな強さを秘めた歌声がとても魅力的な日本の女性歌手が、「ふるさと?地球よ」という内容の歌詞が出てくる歌を歌っていたのです。だいたい1980年ごろ? 当時、歌詞も曲も歌声も「すごく未来っぽい」と胸を躍らせながら聴いていたものでした。
謎は解けました。1980年頃に聴いた歌を脳は記憶していた。2000年代に自分でみんな地球人と言った時も首相の発言を聞いた時も意識の表層に呼び出すことはできなかったけれど、私の地球人発言の下地にはその記憶が影響を与えたことは間違いない。そして2010年代にその歌と再会したことですべて繋がって、個人的珍事にようやく幕が下りたのでした。
脳って本当に不思議です。だからこそ興味が尽きません。