日別アーカイブ: 2019年10月31日

車輪の下

Reading Time: < 1 minute


 20世紀初頭ドイツ、ヘルマン・ヘッセの作品。

 えええー、そんな…!!?
 それが「車輪の下」の全文をもうすぐ読み終えるという辺りで抱いた率直な感想だった。中学1年12歳のときのことだが、あまりの衝撃に今でもよく覚えている。

 本の覚書の初回に挙げた「レ・ミゼラブル」の次に何を読むべきか、悩んだ私は、国語の授業で学んだ「車輪の下」を全文読んでみようと、またしても図書館から分厚い本を借りてきた。教科書か副教材に取り上げられていたのは当然ながらごく一部だった。教師と生徒が理想的な関係を築いている場面。静けさと不思議な穏やかさに満ちていて、陽光に包まれさらに真っ白いキラキラした光まで目に浮かぶようだった。
 どこかに書いたけど当時の私は戦場に迷い込んだ野生動物のような存在だったので、自分に欠けているものを学び補うという命題と日々向き合っていた。信じていい大人と未だ出会っていない、そう感じているのは本当は自分自身の信じる力や見抜く力に問題があるからではないか、本当はどこかで出会っていたのではないか―――そんな風に悩み始めて数年が経過していた。「車輪の下」を読み通したら、この命題の一歩先へ進むきっかけを見つけられるかもしれない。逸(:はや)る心を鎮めて、なんとなく背筋を正して深呼吸して、期待を胸に読み始めたことまで「車輪の下」の場合は覚えている。そして冒頭の感想に至ったという次第である。
 「ナニコレ授業のと全然違う…」切り取り効果とは恐ろしいものだ。この時ようやく知り得た私の中で、厭世観がにゅと育った。

 自分をいなしつつ最後まで読み終えて、混乱から抜けきらぬままに私は考えた。「どうして…。ハンスにはあの道しかなかったの?本当に他の未来は無かったの?」「あたかも死が救いであったように書かれているけど、本当にそうなの?そこからじゃなかったの!?」最後の部分を何度読み返しても、文章が変わるはずもない。私はちょっと呆然となってしまった。
 油断した、とんでもない作品を読んでしまった…、と思った。「レ・ミゼラブル」のときは、大人の図書館の本には子どもには危険なものもあるのだとあれほど自分に言い聞かせていたのに。「車輪の下」は教科書等に採用されるくらいだから危険なことはないだろうと心のガードを引き上げもせずに読み始めるなんて、なんて考えなしの甘ったれた子どもなのだと自分を呪った。社会から外れて行って若くして死を迎える―――その心情を辿ってしまったことで、ひどく疲れを感じた。これって世間で言う危険な本(子どもが読むのはふさわしくない本)だったんじゃないだろうか。ふと気づいて本の背表紙を見返したが、もちろん「図書館外持ち出し禁止シール」などは貼られていなかった。中学生は大人図書館へ。けれど。12歳でこの作品を読んでしまってよかったのだろうか…。
 壁にぶつかったときはいったん離れる。私は「車輪の下」という作品についてどう捉えるかを棚上げして、幾日か本から離れた。その週の学校が終わってようやく気持ちに余裕ができてから、ヘルマン・ヘッセと再び向き合った。幸いなことに図書館から借りたその本にはほかの作品も収められていたのでそちらを読んでみようと考えたのだ。
 結論から言うと、「郷愁」「春の嵐(ゲルトルート)」「知と愛」は、まだ感性が不足していて「大人の世界だなー、大人になったらもう少し同じような気持ちで読めるのかなー」と少し距離のある曖昧な感想が残った。「春の嵐」は心を惹かれて、自分のいつかが訪れたとき、私はどんな愛し方をするのだろうどんな愛し方ができるだろうと考えてはみた。しかし、「このまま死んでいくのだろうか。愛されたこともなく、愛することも知らずに…」とお湯のように熱い涙を流した夜から倍の年月を経たけれど、12歳の私には人間の愛も男女の愛もまだまだ物語の世界のものだった。
 ただいずれの作品にも「車輪の下」と同じく不思議な穏やかさと真っ白な光を感じることがあって、その心地よさに導かれるままに最後まで読み、その後、私はもう1度「車輪の下」を読んだ。今度はちゃんと、心のガードを上げて。

 その1年くらい前に読んだサトクリフの「運命の騎士」でも「他の未来はなかったの?」と涙したが、ハンスにもずいぶん泣かされた。小学生のころに親しんだ物語の多くはハッピーエンドを迎えるヤサシイ世界だった。大人の図書館にある本は違う。そして実際の世の中は大人の本のほうがきっと近い…。そこに至ってようやく私は「車輪の下」との出会いに感謝した。ヘルマン・ヘッセを日本語で読めることにも。
 ヘルマン・ヘッセの紡いだ世界には怖さも悲しみもあるけれど光が差していた。その光を辿りたいと思った私は図書館にあったヘルマン・ヘッセの全集を順番に読んでいった。全集を読み終えるころにはヘルマン・ヘッセとその作品は私の中に根付いていた。