日別アーカイブ: 2019年11月15日

つながる心 魂のふしぎ

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 2019年も末を迎えようとしているが、私はいまだにスマホを持っていない。「久しぶりの投稿と思って見に来たら、唐突に何事?」と思わせてしまっただろうか。「スマホ持っていない私cool」という自虐的逆説的自画自賛でもないし、「スマホ欲しいな~?」と夫に圧力をかけているわけでもない。タイトルにつながる話に至るために、自分の立ち位置について明らかにする試みである。日々老化と向き合う私にはスマートフォンは過分で難解で、運転中の夫に頼まれて代わりに操作するだけでも大変な思いをするような状態だ。そんなわけで、ネット社会に浸かりながらもどこか染まりきれないアナログな部分を残した存在だと、自分を位置付けている。
 ついでに説明すると、10年ほど前に死にかけて今で言う終活(生前に人間関係を含めて身の回りを整理すること)をしてしまった。まさかの生き残りを果たしたけれど体力が戻ったわけではなかった私は、人間関係を取り戻す努力をしないことを選択した。4~5歳の時に「出家したい」と切望していた私にとって、他者とのつながりの薄い現在の状況は案外居心地がいい。もともと人間への気持ちが強すぎて、己の力量もわきまえず心をかけすぎて身動きが取れなくなってしまうところがあったから、社会からつかず離れずという辺りで俯瞰するぐらいが自分にはちょうどいいのだ。

 さて前置きが長くなったけど、lawbaは世捨て人のような生き方をさせてもらっている「魂の要介護老人」という現状を認識してもらったところで本題と参りましょう。
 巷でよく語られるちょっといい話のひとつに、昔の写真を見ていたら写っていた友人と街でバッタリ会ったまたは電話がかかってきたというのがありますが。私の場合それが夢の中で起こる。「危ない人だよ!それ完全に気のせいだよ!」と思うでしょう?私もずっとそう思っていた。起きているときの私が懐かしい人たちを思い出した結果、夢として願望をかりそめに形にしたのだと。理性を失いたくないと自分を叱咤した。
 しかし歳を重ねる間に幾度か訪れる、避けようのない別れ。そういったとき、近況を全く知らなかったのに、事前に夢の形で別れを告げに来てくれた彼らの存在が魂のふしぎを裏付ける。どんなに気のせいと思い込もうとしても、彼らが去ってしまったという事実が静かにそこに在る。
 物言わぬ主張が数を重ねて数年前、とうとう私は降参した。これはもう、受け容れざるを得ない。世の中には説明のつかない不思議なこともきっとあるのだ。自分を疑うよりもお別れを言うために訪れてくれた彼らを肯定しようと思った。彼らの気持ちに感謝したいと思った。
 それに死を迎える人だけではなく生者も。母が亡くなった数日後、古い知人が夢の中を訪ねてきてくれたことがあった。夢で目を合わせた相手はたいてい近日中に儚くなってしまうので慄いたが、喪服を着た知人は私と目を合わせ弔意を伝えると、しっかりと来た道を戻っていってくれたので安堵した。知人は夏の終わりはいつも深みにはまるに書いた「運河の役割を担えるような」人なので、魂の護りも強いのかもしれない。
 こんなことがいくつもあって、スピリチュアルやオカルトに分類される事象を肯定する姿勢は私の中に作られてきた。

 トンデモ話と思われそうなことをまたしても敢えて曝したのは、災害の多い年だったからかな。大切な人を失って、悲しい気持ちをしまい込んで苦しんでいる人も多い気がしてしまってね。表層の意識に残っても残らなくても、きっとみんな今の話みたいな体験をしているのではないだろうか。私のように感知することはなくても、あなたが大切に思っていた人やあなたを大切に思ってくれていた人は、去り際にきっと心をひとかけら残してくれていると伝えたい。
 悲しいときは、その気持ちを我慢して抑え込むことはない。大切に思っていたのだもの、目いっぱい悲しむのは当たり前。そうして悲しみが懐かしさに替わる頃、どれだけ後になっても構わないからいつか、相手と自分のために前を向いてください。
 無理せず自然に前を向ける時でいいから。


 greetingのお知らせ欄だとわかりにくいかもしれないのでこちらで。
 いろいろあって、少し更新が滞りそうです。このところ結構遅かったうえに
、更に間隔があいてしまう可能性があるので念のためお伝えしておこうと思いました。投稿できればそれはそれで良し、ということで。
 半年ぐらい前に「このサイトに来てるのはボットだけだよ~」なんてネガティブ発言をしてしまったのですが、最近になって、どうやら読んでくださっている「人間」がいるらしい!と発見しました。
 肯定的な立場でも否定的な立場でも、時間を割いて私の拙い文章を読んでくれるどなたかがいることをありがたく思います。「真摯に言葉を紡いでいかなくては」と心が洗われました。
 ゆっくり更新、主も無理なく続けるサイトとして、よろしければ今後もおつき合いくださいませ。
 感謝を込めて。