月別アーカイブ: 2020年3月

With ・・・

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 こんばんは。世界中が大変なことになってしまっているけど、皆様はお元気ですか?
 日本の片隅に暮らす私は、少し疲れはあるものの今のところ元気でいます。そうそう、使い捨てマスクの手持ちがとうとう残り2枚になってしまいました。「マスクが販売されていた」という情報は耳にするのだけど、私はもう2ヶ月くらい見ていない。マスクを求めて店を梯子するのも疲れるだけで実りが無さそうですし、ここは見切りをつけてハンカチマスクデビュー、しました!
 「何ぞや・・・?」と思われた方は検索してくださいね。手まめな方々が、綺麗な布を選んだり型紙を作って量産したり、いろいろ工夫してマスク不足を克服しているのです。「罹らない、うつさない」ために自分たちで出来ることのひとつ。マスク使用効果を否定する方もいらっしゃいますが、「咳やくしゃみの飛沫で他者に迷惑をかけない」という点では有効だと私は思うので、外出時や宅配便の受け取り時などにマスクをしています。
 私は中でも1番簡単な、「ハンカチとヘアゴム2本で作る1針も縫わない簡単マスク」にしました。使用後の消毒・洗浄、乾燥、アイロンがけのことを考えると、自分の能力から見て1枚布の状態に戻して洗えるこの方法が最適。詳細はお調べいただきたいですが、簡単に説明してみますね。ハンカチ1枚とヘアゴム(輪にしたもの)2本を用意して、①ハンカチを縦方向に2回たたむ ②ハンカチを横方向に3つ折りする ③両端の輪になったところにそれぞれヘアゴムを通す。「ヘアゴム・たたんだハンカチ・ヘアゴム」を鎖状にする、と言えば言葉だけでも何とか伝わるでしょうか。あとはヘアゴムを耳にかけて縦横のサイズを微調整するだけ。ハンカチが薄手で不安な時は別布を1枚挟むつもりです。


 さて、前の投稿からの1週間。オリンピックパラリンピックの延期が決まったり、日本も含め各国の人の往来がさらに制限されたり、外出の制限されたり、等々。列挙するだけで気が滅入ってしまいそうです。本当に、どうして世界はこんな事態になってしまったのだろう。・・・この言い方は半世紀生きている大人としていささか無責任に過ぎますね。ごめんなさい、私たち大人の力不足です。私はこうして言葉を紡いでほんの少し光を当てたり微かな風を起こしたりしかできないけれど、実効的にこの混乱した世界を何とか収拾するべく頑張ってくれている大人がちゃんと大勢いますから。
 気休めですが。こんな状況だからこそ乗り越えた先の未来で素晴らしい世界を作れる、そういう可能性を育てることもできると思うのですよ。夜明け前というのは暗くて寒くて静まり返っていることも多いじゃないですか。「災害続きの日本では皆少し疲れてしまって…」と以前書いたけど、もしかしたら世界中同じように疲れていて。今という時は「世界の皆に心身を休めてほしい」という、そういう時機なのかもしれません。しっかり休んで疲れを取り払って、力を蓄えたら、未来のためにまたいろいろなことを学んで備えたい。
 なんてね。そう考えてみることで、心の中の希望の灯が消えないよう調整したりしています。


 それでも、こうも先が見えない状況が続くとしんどくて。見返したら、今年に入ってからの投稿8本のうち7本がコロナ。この3ヶ月、私は COVID-19 しか頭に無かったのか…!?
 かくなるうえは外部入力に頼るしかない、とばかりに、CDを1枚と本を1冊、それに久しぶりに生花を購入してみました。
 CDは昨年の投稿で触れた「故郷は地球」という内容の歌詞が出てくる曲が入ったものです。今聴いても、歌も歌詞も曲も演奏も全部素敵で、力が湧いてきます。
 本は昨年日本で発売されて話題になっていた分厚い哲学と宗教の本で、興味深く読み進めているところです。闇の中にいた10代の頃に倫理観や秩序を育ててくれた書物が多く取り上げられているので、変な言い方だけど、家族と再会したような喜びと安らぎを感じています。
 生花は、「農林水産省がYoutubeで面白いことをしている」と聞いたので見てみましたら。自粛要請に応えて卒業式などの中止が相次いだために、売れ残ってしまいそうな花達を買ってほしいという、名付けて「花いっぱい運動」が展開されていました。同情を買って売りつけるような内容ではなく、『北風と太陽』の太陽みたいに「視聴してくれた人に購入する気になってもらおう」という姿勢が好ましくて、しかもクスッと笑ってしまいました。国家公務員にも柔軟な人達はいるのですね。ちなみに「花いっぱい運動」という言葉に「ミッドガル、花でいっぱい。財布はお金でいっぱい」を連鎖的に思い出してしまったのは私だけではないはず…。ということで、少しですが参加させてもらいました。生花はやはり香りが違うし、家の中が明るくなったように感じます。


 うん。今日もまた、たくさんの人や物に支えられて生きている。そのことをとても有難く思う。工夫して努力して、困難な状況でも周囲を明るく照らしてたくましく生きる人々を尊いと思う。
 人間と、私達を抱く大地と、同じ地球に息づく動物や植物他のあらゆる生物と。すべてが近しくて大切。
 だから今日も祈るのです。人間の社会の混乱によって波立ってしまった世界に、どうか平穏を。


魔法をかけよう

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 新型コロナウィルスって本当に何なのだろう。世界中で猛威を振るうのみならず、社会とか経済とか、半世紀生きてきた中で最悪といっていいくらいの混乱を引き起こしている。

 日本は江戸時代に長きにわたって鎖国政策をとっていたけれど、21世紀に世界各国が鎖国的対処を余儀なくされる事態に陥るなんて誰が想像できただろう。
 嘆いても仕方ない。今はそれも必要なことと、それぞれの国や自治体で判断されての措置なのだから。
 憂えても仕方ない。研究者でも医療従事者でも政治家でも篤志家になれるほどの資産家でもない私にできることなど、自分の手が届く小さな世界の中に限られているのだから。

 それでも。

 何もできないとわかっていても。苦しんでいる人がいる。悲しんでいる人がいる。やりきれない怒りを感じている人がいる。まだ戦っている人がいる。泣いている人がいる…。それを気にせずにいられるはずもなく。

 考える。
 病苦と戦えるわけでもない、何者でもない自分と認識していながら、何故気にかけてしまうのか。同じ人間だから?そうだけど、枠が大きすぎて実感が薄い。自分の言葉じゃない感じ。
 何故気にかかる…。身の回りを検めて、気が付く。毎日使うマグカップ。冷蔵庫や食品棚のあれやこれや。子どものころからずっと、私を守り育ててくれたたくさんの本。食べ物の味が感じられなかった頃に買った、食いしん坊の好奇心を満たすいろいろな国の料理の本。音楽や動画。仕事着から日常着まで。今打っているPCの部品も。自分の周囲には世界のあちこちの物がある。自分が暮らす日本は言うに及ばず、外国にだってそれぞれに親しみを感じるよすが(縁)がちゃんとあるのだ。

 だから願わせてください。世界の混乱が鎮まりますように。新型コロナウィルスの災禍が1日も早く収まりますように。こんな世の中だけど、皆が歓びや思いやりや希望を持ち続けられますように。言の葉に思いを託して。


2020.03.27 助詞を余分に打ってしまった箇所を発見して、ひと文字削除しました。最近誤字などが多くてすみません。投稿前の確認、もう少し注意しないといけませんね。

昔はものを思はざりけり

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 今夜の風は少し強くて、あの日を思い出す。

 今日は311と絡めて「政治の難しさ」について少し思うところがあったので、頑張ってまとめてみようと思います。予告、今日の文章はとても四角いです。面白味の全くない内容になるので、疲れている人は今日の投稿は読まないでね。かなり遠回りして着地します。

 最近このサイトを発見した方に向けて説明させていただくと、私は9年前も今日も変わらずに福島Fukushima県に住んでいます。今年は政府主催の慰霊式典は中止になりました。福島の名を冠した原子力発電所は首都圏および関東の電気を作っていたのですけどね…。9年前「今を生き延びなければ」と必死になったことを思えば、コロナの災禍の只中にある現状において、式典を行わないのも適切な判断のひとつ、と言えるでしょう。
 自治体などではそれぞれに国よりは小規模な慰霊式が執り行われました。こちらもまた適切な判断のひとつです。矛盾しているようですが、国と、より近いコミュニティとで表面上、判断を異にするというのはよくあることです。
 最近だと休校措置について、国と自治体とで意見に食い違いが見られたりというものですね。

 暴論になるけど言ってしまうと、食い違っていいのです。国と自治体は別のもの、背負っている物が違うのですから(重なる部分もあります)。自治体は国より現場に近い存在として、休校措置により「安心だ」「困る」という声を拾い上げることができる立場なのですから。実際に休校措置を要請通り開始した自治体、遅らせて開始した自治体、実施しない自治体と、その選択は分かれました。今回の休校要請は法的な拘束力は無いものとして示されたので、自治体が実情に合わせて判断したということです。
 「判断が自治体と言うなら、国の要請は必要だった?」と疑問に思われるでしょう。これはもう少し未来にならないと答えを見出せないと思います。あるいは未来にも確定的な答えは見いだせないかもしれません。私見を申し上げるなら、とても良い判断だったと思っています。政府の指針として休校要請が示されることがなかったら、公立で「未然に防げるタイミングでの休校措置」に踏み切れる学校はまず無かっただろうから。私立学校では、政府に先立って休校措置を採ったところもあったのですよ。

 政府が休校要請に踏み切ったのは、マスクが品切れになったせいではないかと拙い推測をしています。要請の少し前、日本で起きていたこと。武漢から邦人を帰国させるチャーター便にマスクや防護服などを積み込んで援助物資として贈ったこと。そうしたら追随する動きが各所で起きてしまったこと。結果として日本の店からマスクが消えた…。保管期限が長いマスクとはいえ、個人がどんなに買い貯めようとしたとしても店から消えてしまうなんて、ね。
 援助物資としてチャーター便でマスクなどを運び贈ったことは、美談ではなく、国と国との関係として必要な配慮でした。これは妥当です。ただ、追随する動きのほうは本当に必要なことだったでしょうか。オスカー・ワイルドの小説「幸福な王子」は、私の読み方だと、遠くばかりを見て足元を大切にせず自分たちの町を荒廃させてしまった悲しいお話です。「疫病」に際しては非情に思えても「対岸の火事では済まないもの。地震や水害とは異なる対処をすべきもの」という点を、要職に就く方々には含んでおいてほしいと願わずにはいられません。
 もちろん、マスクが届いた先で「助かった!」と感謝を述べてくださる方々がいて、彼らにマスクが必要だったことについては私も否定しないし良かったと思います。そのうえで、考えてほしいと思うのです。国の責任においては国民の生活を守ることも他国との外交を円満に維持することも同じように大切です。企業などで中国に支社や工場を置く場合は国に準ずるだけの事情を有すると考えられます。それ以外の立場では、行動する前に少し立ち止まって妥当かどうか考えてみてほしいとお願いしたいです。
 ひどいことを言うようだけど、人間は時に自分の中の善なる心とも闘わなければいけない時があるのです。誰かの苦しみを知ってしまって、何かしてあげられることは無いかと思い遣る。あたりまえで美しい人間的な心の動き、それさえも控え目に冷徹に対処しなければいけないこともあるのが「疫病」であり「指導的立場にある者の責任」なのです。・・・

 と言われても。
 出来ませんよね!思いやりを封じるなんて、無理ですよ。
 だから日本政府は「休校要請」という形で国民を守ろうという姿勢を示したのだと思います。「マスクを贈るな」とは言えませんよ、人間的にも外交的にも。要請に対する反発だって予想しただろうし、経済面で多少の綱渡りになることも想定したと思います。言葉の通り、本当にギリギリの判断だったのでしょう。
 311とそれに至る事情によって、私は現在の与党と首相にあまり期待や良い感情を持つことができません(何故だろうとどうしても気になる場合は8年前のタグを付けた投稿をお読みください。ただし読みにくくて長いこと、主観的に書いたものなので偏っていることからあまりお勧めはしません)。それでも、今回の新型コロナウィルスに関する政府の対応は、きっとそんなに間違っていないと考えています。政局というのはきっと将棋やチェスの多面指しみたいなところがあって。だから見ている私たち国民もいろいろな面に同時に目を向けないと、国が目指す本当のところというのを推し量るのは難しそうな気がします。
 そんな余裕を持てないという人が多いのが今の日本。どう変わっていったらいいと、あなたは思いますか?「収拾がつかなくなるから地獄だよ」と否定する人もいるけれど、こういったことを政治を志す人だけでなく皆で、臆せずに自分の言葉で話し合える。そんな世の中を見てみたいと私は思うのです。