日別アーカイブ: 2020年3月11日

昔はものを思はざりけり

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 今夜の風は少し強くて、あの日を思い出す。

 今日は311と絡めて「政治の難しさ」について少し思うところがあったので、頑張ってまとめてみようと思います。予告、今日の文章はとても四角いです。面白味の全くない内容になるので、疲れている人は今日の投稿は読まないでね。かなり遠回りして着地します。

 最近このサイトを発見した方に向けて説明させていただくと、私は9年前も今日も変わらずに福島Fukushima県に住んでいます。今年は政府主催の慰霊式典は中止になりました。福島の名を冠した原子力発電所は首都圏および関東の電気を作っていたのですけどね…。9年前「今を生き延びなければ」と必死になったことを思えば、コロナの災禍の只中にある現状において、式典を行わないのも適切な判断のひとつ、と言えるでしょう。
 自治体などではそれぞれに国よりは小規模な慰霊式が執り行われました。こちらもまた適切な判断のひとつです。矛盾しているようですが、国と、より近いコミュニティとで表面上、判断を異にするというのはよくあることです。
 最近だと休校措置について、国と自治体とで意見に食い違いが見られたりというものですね。

 暴論になるけど言ってしまうと、食い違っていいのです。国と自治体は別のもの、背負っている物が違うのですから(重なる部分もあります)。自治体は国より現場に近い存在として、休校措置により「安心だ」「困る」という声を拾い上げることができる立場なのですから。実際に休校措置を要請通り開始した自治体、遅らせて開始した自治体、実施しない自治体と、その選択は分かれました。今回の休校要請は法的な拘束力は無いものとして示されたので、自治体が実情に合わせて判断したということです。
 「判断が自治体と言うなら、国の要請は必要だった?」と疑問に思われるでしょう。これはもう少し未来にならないと答えを見出せないと思います。あるいは未来にも確定的な答えは見いだせないかもしれません。私見を申し上げるなら、とても良い判断だったと思っています。政府の指針として休校要請が示されることがなかったら、公立で「未然に防げるタイミングでの休校措置」に踏み切れる学校はまず無かっただろうから。私立学校では、政府に先立って休校措置を採ったところもあったのですよ。

 政府が休校要請に踏み切ったのは、マスクが品切れになったせいではないかと拙い推測をしています。要請の少し前、日本で起きていたこと。武漢から邦人を帰国させるチャーター便にマスクや防護服などを積み込んで援助物資として贈ったこと。そうしたら追随する動きが各所で起きてしまったこと。結果として日本の店からマスクが消えた…。保管期限が長いマスクとはいえ、個人がどんなに買い貯めようとしたとしても店から消えてしまうなんて、ね。
 援助物資としてチャーター便でマスクなどを運び贈ったことは、美談ではなく、国と国との関係として必要な配慮でした。これは妥当です。ただ、追随する動きのほうは本当に必要なことだったでしょうか。オスカー・ワイルドの小説「幸福な王子」は、私の読み方だと、遠くばかりを見て足元を大切にせず自分たちの町を荒廃させてしまった悲しいお話です。「疫病」に際しては非情に思えても「対岸の火事では済まないもの。地震や水害とは異なる対処をすべきもの」という点を、要職に就く方々には含んでおいてほしいと願わずにはいられません。
 もちろん、マスクが届いた先で「助かった!」と感謝を述べてくださる方々がいて、彼らにマスクが必要だったことについては私も否定しないし良かったと思います。そのうえで、考えてほしいと思うのです。国の責任においては国民の生活を守ることも他国との外交を円満に維持することも同じように大切です。企業などで中国に支社や工場を置く場合は国に準ずるだけの事情を有すると考えられます。それ以外の立場では、行動する前に少し立ち止まって妥当かどうか考えてみてほしいとお願いしたいです。
 ひどいことを言うようだけど、人間は時に自分の中の善なる心とも闘わなければいけない時があるのです。誰かの苦しみを知ってしまって、何かしてあげられることは無いかと思い遣る。あたりまえで美しい人間的な心の動き、それさえも控え目に冷徹に対処しなければいけないこともあるのが「疫病」であり「指導的立場にある者の責任」なのです。・・・

 と言われても。
 出来ませんよね!思いやりを封じるなんて、無理ですよ。
 だから日本政府は「休校要請」という形で国民を守ろうという姿勢を示したのだと思います。「マスクを贈るな」とは言えませんよ、人間的にも外交的にも。要請に対する反発だって予想しただろうし、経済面で多少の綱渡りになることも想定したと思います。言葉の通り、本当にギリギリの判断だったのでしょう。
 311とそれに至る事情によって、私は現在の与党と首相にあまり期待や良い感情を持つことができません(何故だろうとどうしても気になる場合は8年前のタグを付けた投稿をお読みください。ただし読みにくくて長いこと、主観的に書いたものなので偏っていることからあまりお勧めはしません)。それでも、今回の新型コロナウィルスに関する政府の対応は、きっとそんなに間違っていないと考えています。政局というのはきっと将棋やチェスの多面指しみたいなところがあって。だから見ている私たち国民もいろいろな面に同時に目を向けないと、国が目指す本当のところというのを推し量るのは難しそうな気がします。
 そんな余裕を持てないという人が多いのが今の日本。どう変わっていったらいいと、あなたは思いますか?「収拾がつかなくなるから地獄だよ」と否定する人もいるけれど、こういったことを政治を志す人だけでなく皆で、臆せずに自分の言葉で話し合える。そんな世の中を見てみたいと私は思うのです。