月別アーカイブ: 2020年6月

健康が1番だよ・・・

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 こんばんは。皆様が健やかな毎日を送っているととても嬉しいです。
 今日は、6月のうちに忘れずここに記しておかなければと思うことがあって。
 それはマスク。日本政府が「各戸に2枚ずつ配る!」と公言していたあの布製マスクの話ですよ。「マスク届いていない…。」とこのサイトで2回もぼやいてしまったので、その後「届きました。」の報告をしないのもアンフェアだと気になっていて。我が家には6月初めの週末に届きました。使い捨てマスク、5月中旬ごろからドラッグストアやスーパーマーケットに少しずつ並ぶようになっていたらしいのですけどね。毎日仕事に行っていた夫が時々入手していました。・・・事実を挙げたら当てこすりみたいになってしまった。マスク・ラプソディ。政府が言うように、マスク配布の公言後に「買い占め高値売り」は急速に収まった様子でしたので、そこは素直に有難いと思っています。
 マスク配布に関わった皆様、本当にお疲れさまでした。

 もう7月を迎えるのですね、時間の流れが速いなあ。
 なかなか更新できなくてごめんなさいね。自分でも不甲斐ないと思うのだけど、リハビリ替わりに家事をするのは50歳の身体にはしんどい!とはいえ、やらないと仕事が溜まるし体力も戻らないのでね。助けてもらいながら、なんとか頑張っています。
 …齢50でそれは弱り過ぎではないか、と思われそうですが、阿呆な怪我をした当初の10日間で体重が25%くらい一気に減ったので…。ダイエットなら大成功ですが、普通に暮らしていた私にとっては青天の霹靂。たびたび触れていることだけど10数年前ちょっと死にかけていた時の最初も、普通に暮らしていた3ヶ月で体重が25%減少したのです。その時以来、「生存維持限界体重」という尺度が私の身体には厳然と存在していまして。今回は警報レベルまで生存限界に近づいたらしく、「やつれている…!」と家人を慄(:おのの)かせてしまいました。尤も、怪我だけでなく食べられなかった分も併せての減少だったので食べれば戻る、が道理。この2週間ほどは、「体力も気力も厳しい!」と思いながらも必死で料理して食べています。健やかな状態を取り戻そう、という義務感。何を作ったかは…次回、食の覚書カテゴリで投稿しましょうかね。父のことがあって以来、心を向けられなくてずっと放置してしまっていますから。

 死線をさまよった、のですね、今思うと。倒れていた間、眠りの切れ切れに痛みから気を逸らすためとりとめもなく考え事をしていました。料理すること、食べること、アイデンティティの柱の2つと切り離されて、考えることの比重が大きくなっていたのでしょうね。外界からも遠ざかって様々なことを考え続けていました。それでね。COVID-19をはじめネガティブな状況が盛り沢山の世のなかだけど戻ってくることができてよかったなと感じています、ペシミストなのにね。ペシミストだから、かな。
 具体的なことに言及するといろいろ障りがありそうなので結論に近いところまで話を飛ばしますと、つまるところ人の幸せの、その土台は衣食住の安定に拠っていて、世にあふれる問題の多くは土台をしっかり作り維持できなくては解決しないのだと思います。「パイが少ない」というなら、取り合いで争うよりも皆に行き渡る数になるようパイを或いは他の物を作る考え方に賛成だなあ。私の立ち位置だと、そのほうが平和的で未来型の思考に思えるから。違う立ち位置の人にはまた別の考えがあるだろう。
 政府や世界の先端分野で仕事をしている人達はその辺りいろいろ情報を集めて対処を試みているように見えるので(…ニュースなどを読んでいてそう感じられるだけですが)、そうではない私達は邪魔にならないように、そして自分に出来ることをひとつひとつ対処していきましょう。
 あと、ひとつだけ。自分と違うものの見方考え方に出会ったら感情よりも先に、相手の背景に思いを寄せる訓練をしましょう。無理に同情する必要は無く、ただフラットな目線で、心で、その人と向き合えるように。

 さて、今日はいつにも増して話をあちらこちら彷徨わせてしまいましたが、そろそろ結びに入りましょう。
 北半球はそろそろ夏の気候ですが「インフルエンザや他の感冒とは違う。」と指摘されていた通り、COVID-19、まだ収束しませんね。この数日はむしろ増えている・・・。最前線の医療や関連の仕事をしている人達のために何かできないかと考えるとき、まずは自分が罹らないこと、感染してしまったら周囲に感染を拡げないこと、です。今は地道な努力が大切。自分と自分の周囲の人達を守る行動を続けましょうね。
 LivesMatterについてもいろいろ気になるけれど考えあぐねている段階です。COVID-19のことがあるから「デモはどうしても今でなくてはいけないの?」と心配しています、とだけ。主張することが必要な時と信じて行動している人もいるのでしょうが、生命や健康は本当に大切にしてね。
 世界(政局)のことでも不安を感じていますが、これは自分ではどうしようもない。難しい局面なので何とか乗り切ってください、と祈るしかない。後から世界全体を見たときに「そう悪くない」と言えたら、と思っています。もっと良い結果はもちろん大歓迎。

 それでは。皆様と世界が穏やかで健やかな日々を再び迎えられますように。

未来は夢見るものじゃなく

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 前回の投稿を読み返して我ながら溜め息を抑えられない―――。そういう事はよくあります。
 今日の溜め息は、「安全圏で上から目線」に聞こえかねない文章だったかもしれない…という思いから出たものでした。
 敢えて、ではあるけれど、このサイトは綺麗事を掲げることが多いから。ごく自然のこと、当たり前のことになればいい、と祈りながら紡ぐ言葉なのですが、状況によって相手を不快にさせてしまうことも多々あるのが綺麗事の厄介なところ。
 いつの投稿も小さな後悔はいっぱい。でも、それぞれの時点において可能な限り考え抜いて、拙いながら文章の形にして送り出している。下書きをして、読み直して、やっぱり公開しないでおこうとどれほどの言葉を消去してきたことか。もちろん好きで自ら行っていることなので苦ではないですが。これ、以前にも書いたことがありますね。
 ではわざわざ聞かせるまでもない内情を何ゆえ吐露しているのか、というと、私が倒れていた間に日本ではSNSの発言を巡っていろいろあったからです。本当にこの春は、言葉を失うことが多過ぎました。

 今日の文章は抽象的でとりとめがなくて、いつも以上に解りにくいものになってしまうかもしれない。昨晩、不注意からフラッシュバックに陥ってしまって。ペシミストがネガティブを発動すると周りの人が大変。ちゃんと向き合えたのでもう大丈夫のはずですが…。苦手だなと感じたら、時間を無駄にせず速やかにブラウザを閉じてくださいね。

 さて、どこから話をしたものか。
 前回「Black ではなく All ですよね?」と問いかけてみたことについて。
 「Black Lives Matter」という言葉を見たときに「そんなふうに区切っては駄目だ…!」と強く湧き上がる思いがありました。「Black」 と分けて考えているうちは、この問題が真に解決するに至る道は閉ざされたままだろう、と心配と悲しみでいっぱいになったのです。こういう局面で「Black」と区切る言葉が口をついて出るのは、…それだけ歴史が重いということ、ですよね。南北戦争が終わり、キング牧師の言葉を受けてもなお続いてきた、わかり合うこと歩み寄ることを諦めてしまうような歴史。軽々しく言葉を重ねているように聞こえるかもしれませんが。
 んん。非常に狭い私の生活圏では黒人を見かけることはありません。大都市ならともかく、日本の地方で外出がほぼ食材の調達の時だけだとそんなものなのです。それでも人種というか民族の問題は存在しています。限られた仲間のうちでもなければ滅多に話題にすることはないけれども。そして同じ民族の間にも問題は存在する。
 日本にも昔からあるのですよ。子どもや女の子は暗くなる前に家に帰りなさい、肌を露出してはいけません、ジーンズで出かけていい場所かよく考えなさい、公の場所では無に努めなさい、等々。近年は緩やかになってきているかもしれないけれど、問題にぶつかることがないようにと、きちんとした家庭やコミュニティでは今でも様々な知恵が教え込まれます。教えが身についていないと、厳しく或いはやんわりと締め出されていくこともやはりあります。私が育ったのはきちんとしていない家庭だったので、年端の行かぬ頃は「こういう技術はそれぞれに任せておくのではなく皆で共有したら、お互い気持ちよく暮らせるのに!」と憤りを覚えたりしましたね。年齢が1桁だった頃の自分を諭したい、「ただひたすらに学べ」と。
 脱線してしまった、つまり肌の色や血に因らず、行き違いや差別は起き得るということです。黒人も白人も、アジア系も、ごめんなさい全部は挙げないけれど、人間が集まれば起こりかねない問題。そういった問題が最悪に近い形で、今、現実のものとなっている―――。人種というフィルターが掛かることで相手と自分の真実を見失っている、それはとても悲しいことです。
 共に未来を見ることは叶わないものだろうか。
 日本も同じような問題を抱えているから、海の向こうの国の話、と無関心にはなれないのです。どうしたらと考えてもいつも同じ辺りで行き詰ってしまう。思考が堂々巡りの思いわずらいになってしまいます。差別的な振る舞いというのは傲慢からではなく弱さから、という話は別の機会に改めて。


 昔TVでだったかな、男性のタレントが「もうね、宇宙人とか攻めてきてくれないかなと思う」と言っていました。トンデモ発言かと思いきや、「戦争したりいがみ合ったり、人間同士で争ってばかり。どうやったって変われないというなら、とんでもなく超越した存在例えば宇宙人でも出現してくれないかと思う。『人類みんなでまとまらなきゃしょうがない』となるような。」という極端ながらも真っ当な趣旨だったように記憶しています。
 ロシアは粛々と宇宙に飛行士を送り続けていたけれどスペースシャトルが打ち上げられなくなってから、私は上記の話を折に触れ思い返していました。紛争や痛ましい事件のニュースのたびに「やめよう、行き詰まる前に遠くに目を向けよう…」と祈っていました。
 地球上にはもう手垢のついていない場所なんて無いのだ。地上でもっと、と欲すれば争いになる。21世紀初めに生きる人類同士、「 争わないための思考 」を選択することはできないのかな、と身に余る思いをいつも抱えていました。
 そういう下地があったので、昨年でしたか?トランプ大統領が宇宙軍の創設を打ち出し、まさかの日本の自衛隊までが追随する事態になったとき、私はかなり喜んでいたのです。もちろん、荒唐無稽ではないか、多額の税金が注ぎ込まれるのではないかと批判的な考えも浮かびました。それでも人類同士が争わない未来へ踏み出せることを肯定したいという思いのほうが、疑問や懸念よりずっとずっと大きかったのです。
 そのタイミングで、コロナの病禍そしてBlack Lives Matter。大怪我から復帰してみたら世界が大変なことになっていました…。ライトノベルのタイトルのような文を書いてしまいましたが、実際、落胆することもできないほど衝撃を受けています。攻めてこられたら嫌だけど、宇宙人出現を期待したくなった気持ち、今なら分かるなー。疫病、恐怖、混乱、失業、貧困、飢え。まったくね…。これだけ揃ったら疑心暗鬼に駆られて、世界中、破滅思考まっしぐらですよ。
 それでも、利他の心で自らを堰として行動している人達や、利己と利他をうまくすり合わせている人達がいて。情報を見て考えて慎み深い行動を心掛けている人達がいて。
 私はそちらに光を当てて、人間とその未来―将来の現実―を肯定し続けたいです。

ただいま I’m home. 

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 ようやく戻って参りました、lawbaです。
 休養中もサイトを訪問し続けてくださった方々、ありがとうございます。そしてご心配をおかけしました。皆様がこの期間、健やかな日々を送れていたならうれしいです。
 私のほうはお腹の痛みもほとんど治まって、1人での外出はまだ出来ないのですが、手すりを使わずに階段をのぼれるくらいには回復してきました。今回の事の顛末(:てんまつ)は「半世紀生きている人間でも、こんなに阿呆でいいんだ!?」という反面教師としては、お目汚しながら投稿1回分くらいの価値はあるかもしれませんが…。いつか話題を思いつかないときか現実逃避したくなったときにでもお話ししますね。
 今は、どうにもアメリカで起きていることが気になって。それで頑張ってサイトに戻ってきたので、個人的なお馬鹿話は後回しです。

 気になったとは言っても、現地をこの目で見ているわけでも英語に堪能なわけでもない。何かの専門家ですらない身に書けることなどほとんど無いわけですが。いい加減なことを書くわけにはいかないしね。ただ、先のアメリカ大統領選後の数年間ずっと気に懸かっていた日本の小説を、「もっと早く読み返していれば・・・」と後悔しながら今やっと再読しています。
 タイトルは「虐殺器官 Genocidal Organ」、作者の伊藤計劃さんは2009年に若くして亡くなられました。検索してみたところ2012年に英語訳、おそらく映像化に併せて2018年頃にフランス語訳、スペイン語訳が出版されたようなので、海外でもお読みになった方がいらっしゃるでしょう。ちなみに映像化作品は技術的に見応えのある良作ですが、映像化にあたって宗教等デリケートな扱いを要する部分は結構カットされてしまっていて、個人的にはその点が少し残念です。主人公のシェパード大尉は死ぬことや生きること、人の権利、ことばの持つ力とその怖ろしさについて対話や自問自答を幾度も積み重ねていて、任務(現実)の影響も加わってエンディングへと帰結していくので、原作において宗教観や哲学は不可欠の構成要素、というのが私の読解だったからです。

 Black Lives Matter が気になると言いながら日本のフィクションの話をしていることで、読んでくださっている方を苛々させてしまったでしょうか。しかし今アメリカで起きている、そして世界各地でも起こりつつある状況は、この小説の結末とどこか重なっている気がして。
 「現実世界の私達は、小説とは違う結末を掴み取ろう。」きっとそう呼びかけたくて、今日の投稿を綴っています。
 文章として送り出すことは正直に言うと怖いけど勇気を出して書きます。

 Black Lives Matter じゃない。
  All Lives Matter ですよね?

 英語の文法的に間違っているかもしれませんけど。洩れ伝わる人々の様子から、既にそのように行動している方々も多いと思われます。皆様に感謝を。そして、どのような事情であれ、今回のことで命を落とされた方のご冥福をお祈りします。
 負傷された方も多く施設など建物の被害もあって、不安が拡がっていることと思います。物事を考え、他者と対話できることは人間の利点です。どうか、すべての生命を尊重して行動してください(難しいことをサラッと言ってしまったことはごめんなさい)。
 人種、貧富の差、能力的な優劣。そのようなものに囚われず、すべての他者と対等に向き合いましょう。貧富の差なんて移ろうもの。能力の差も現在だけ切り取る意味は無いです。過去には現在とは違う状況があったのだし、未来でどう変わっているかは判らないのだから。
 すべての他者と対等に。私も100%出来ているわけではないけど、そのように在るために自分を律する努力を続けます。努力しなくてもその振る舞いが自然である、という日を迎えるまで。

 穏やかで健やかな日々を皆が取り戻せますように。