前回の投稿を読み返して我ながら溜め息を抑えられない―――。そういう事はよくあります。
今日の溜め息は、「安全圏で上から目線」に聞こえかねない文章だったかもしれない…という思いから出たものでした。
敢えて、ではあるけれど、このサイトは綺麗事を掲げることが多いから。ごく自然のこと、当たり前のことになればいい、と祈りながら紡ぐ言葉なのですが、状況によって相手を不快にさせてしまうことも多々あるのが綺麗事の厄介なところ。
いつの投稿も小さな後悔はいっぱい。でも、それぞれの時点において可能な限り考え抜いて、拙いながら文章の形にして送り出している。下書きをして、読み直して、やっぱり公開しないでおこうとどれほどの言葉を消去してきたことか。もちろん好きで自ら行っていることなので苦ではないですが。これ、以前にも書いたことがありますね。
ではわざわざ聞かせるまでもない内情を何ゆえ吐露しているのか、というと、私が倒れていた間に日本ではSNSの発言を巡っていろいろあったからです。本当にこの春は、言葉を失うことが多過ぎました。
今日の文章は抽象的でとりとめがなくて、いつも以上に解りにくいものになってしまうかもしれない。昨晩、不注意からフラッシュバックに陥ってしまって。ペシミストがネガティブを発動すると周りの人が大変。ちゃんと向き合えたのでもう大丈夫のはずですが…。苦手だなと感じたら、時間を無駄にせず速やかにブラウザを閉じてくださいね。
さて、どこから話をしたものか。
前回「Black ではなく All ですよね?」と問いかけてみたことについて。
「Black Lives Matter」という言葉を見たときに「そんなふうに区切っては駄目だ…!」と強く湧き上がる思いがありました。「Black」 と分けて考えているうちは、この問題が真に解決するに至る道は閉ざされたままだろう、と心配と悲しみでいっぱいになったのです。こういう局面で「Black」と区切る言葉が口をついて出るのは、…それだけ歴史が重いということ、ですよね。南北戦争が終わり、キング牧師の言葉を受けてもなお続いてきた、わかり合うこと歩み寄ることを諦めてしまうような歴史。軽々しく言葉を重ねているように聞こえるかもしれませんが。
んん。非常に狭い私の生活圏では黒人を見かけることはありません。大都市ならともかく、日本の地方で外出がほぼ食材の調達の時だけだとそんなものなのです。それでも人種というか民族の問題は存在しています。限られた仲間のうちでもなければ滅多に話題にすることはないけれども。そして同じ民族の間にも問題は存在する。
日本にも昔からあるのですよ。子どもや女の子は暗くなる前に家に帰りなさい、肌を露出してはいけません、ジーンズで出かけていい場所かよく考えなさい、公の場所では無に努めなさい、等々。近年は緩やかになってきているかもしれないけれど、問題にぶつかることがないようにと、きちんとした家庭やコミュニティでは今でも様々な知恵が教え込まれます。教えが身についていないと、厳しく或いはやんわりと締め出されていくこともやはりあります。私が育ったのはきちんとしていない家庭だったので、年端の行かぬ頃は「こういう技術はそれぞれに任せておくのではなく皆で共有したら、お互い気持ちよく暮らせるのに!」と憤りを覚えたりしましたね。年齢が1桁だった頃の自分を諭したい、「ただひたすらに学べ」と。
脱線してしまった、つまり肌の色や血に因らず、行き違いや差別は起き得るということです。黒人も白人も、アジア系も、ごめんなさい全部は挙げないけれど、人間が集まれば起こりかねない問題。そういった問題が最悪に近い形で、今、現実のものとなっている―――。人種というフィルターが掛かることで相手と自分の真実を見失っている、それはとても悲しいことです。
共に未来を見ることは叶わないものだろうか。
日本も同じような問題を抱えているから、海の向こうの国の話、と無関心にはなれないのです。どうしたらと考えてもいつも同じ辺りで行き詰ってしまう。思考が堂々巡りの思いわずらいになってしまいます。差別的な振る舞いというのは傲慢からではなく弱さから、という話は別の機会に改めて。
昔TVでだったかな、男性のタレントが「もうね、宇宙人とか攻めてきてくれないかなと思う」と言っていました。トンデモ発言かと思いきや、「戦争したりいがみ合ったり、人間同士で争ってばかり。どうやったって変われないというなら、とんでもなく超越した存在例えば宇宙人でも出現してくれないかと思う。『人類みんなでまとまらなきゃしょうがない』となるような。」という極端ながらも真っ当な趣旨だったように記憶しています。
ロシアは粛々と宇宙に飛行士を送り続けていたけれどスペースシャトルが打ち上げられなくなってから、私は上記の話を折に触れ思い返していました。紛争や痛ましい事件のニュースのたびに「やめよう、行き詰まる前に遠くに目を向けよう…」と祈っていました。
地球上にはもう手垢のついていない場所なんて無いのだ。地上でもっと、と欲すれば争いになる。21世紀初めに生きる人類同士、「 争わないための思考 」を選択することはできないのかな、と身に余る思いをいつも抱えていました。
そういう下地があったので、昨年でしたか?トランプ大統領が宇宙軍の創設を打ち出し、まさかの日本の自衛隊までが追随する事態になったとき、私はかなり喜んでいたのです。もちろん、荒唐無稽ではないか、多額の税金が注ぎ込まれるのではないかと批判的な考えも浮かびました。それでも人類同士が争わない未来へ踏み出せることを肯定したいという思いのほうが、疑問や懸念よりずっとずっと大きかったのです。
そのタイミングで、コロナの病禍そしてBlack Lives Matter。大怪我から復帰してみたら世界が大変なことになっていました…。ライトノベルのタイトルのような文を書いてしまいましたが、実際、落胆することもできないほど衝撃を受けています。攻めてこられたら嫌だけど、宇宙人出現を期待したくなった気持ち、今なら分かるなー。疫病、恐怖、混乱、失業、貧困、飢え。まったくね…。これだけ揃ったら疑心暗鬼に駆られて、世界中、破滅思考まっしぐらですよ。
それでも、利他の心で自らを堰として行動している人達や、利己と利他をうまくすり合わせている人達がいて。情報を見て考えて慎み深い行動を心掛けている人達がいて。
私はそちらに光を当てて、人間とその未来―将来の現実―を肯定し続けたいです。