日別アーカイブ: 2022年8月16日

御霊(みたま)の道

Reading Time: < 1 minute

 
 お盆が過ぎて行きます。大雨の影響でお墓参りができなかったと気に病む方々もいらっしゃるかと思いますが、大丈夫ですよ、ご先祖様は承知していますから。今日の投稿はこういう話(魂などの SFすこし不思議 な話題)に終始するので、苦手な方は時間を大切になさってください。
 
 今年は個人的に、パタパタととても賑やかなお盆でした。私、お盆やお彼岸がずっと苦手だったのですよ。いろいろな訪れがあって、不用意にしていると怪我をしたり頭痛や様々な不調をもらって寝込んでしまったりとなるので、すごく緊張して臨戦状態で乗り切らないといけない期間なのです。
 それが父が亡くなった後のお彼岸からぴたりと止みまして。「先祖の守りってこういうことなのか…!」と感動すると同時にとても感謝していました。ところが今年の春の彼岸から再び、そろそろと霊障が忍び寄ってくる気配が…。「これは、、」と予想していたら父は無事に生まれ変わっていたようで、なんとこのお盆に夢に訪れてくれたのです。もう生前とは変わって年若い青年の姿をしていて、父の魂はそういう姿だったのだなあ、と親戚のおばさんのような感想を抱いてしまいました。いつ、何処の誰に生まれ変わったか、には関心を寄せないのがルール。どうか幸せに、健やかに、生きていけますようにと願いをかけて見送りました。
 生まれ変わった御霊は、大抵は生前の記憶を洗い流して覚えていないものです。PCのリユースみたいにまっさらにして、1人分の量にパッキングし直して、新しい人生に送り出されますから。かつて私の父だった魂もきっと自分が誰に挨拶したのかわからなかったと思います。今回の訪れはイレギュラー、父のためでも私のためでもなく、私のもとに身(?)を寄せる魂のかけら達のために用意されたもののようでした。幼くして最も信頼したい人達によって加害され続けた子ども達が、短い人生の終わり近くに、それでも人を信じ続けるために自らパージした魂の一部分。幼い彼らの魂の叫び、それに近い感情を知っている私は止まり木としてちょうど良かったのでしょう。ただ私はもう生まれ変わることはないため、私が生きているうちにこの子達が生まれ変わりを志して旅立てるよう学びの機会が与えられた、という理解で大体合っていると思われます。
 人は怖い、と魂に強く刻み付けた状態で切り離されたかけらの子達。私の魂に接ぎ木するようにくっついている間は、TVを見て疑似体験をするのと似た感じで私とともに彼らの魂も少しずつ変化していくようですね。そういうわけで預かってからの日々は、この子達が人間や世界を怖がらなくなる日が来ますように、と思いながら暮らしているのですが。
 中に1人、まだ優しかった頃のお母さんとの記憶らしきものを持っている子がいまして。少し前からその思い出を核にして「次の人生に向かう気持ち」を育てられないかな、と自分から頑張り始めたのですよ。強張っていた他の子達の魂のかけらも、その子の思いを一緒に育てて「みんな一緒なら…!」という方へ和らいできているようです。 成仏 という言葉も知らないうちに儚くなった子もいるだろうに…。子どもってすごいですね、あっという間に伸びていける。もう一度、と一歩を踏み出せるのね。私のほうこそ学ばせてもらってありがたいなと、改めて感じたお盆の日々でした。
 安らぎと導きがすべての命に等しく恵まれますように。
 
 
2022.08.18 子ども達についての前回の投稿はこちら → 春に夢見る
2022.12.23 子ども達についての続きの投稿はこちら → 備える冬の日々