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やれやれ朝だよ・・・おやすみ

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 こんばんは、8月も今日(作文中に昨日になってしまいました…)で終わりですね。ひと区切りという感じは全く湧いてこなくて、毎日PCの前で頭を抱えています。懸案のファイルを頭の中にいっぱい広げたままにしている自分のせいです。自分で整理できるものもあれば、他者が関わっていて自分ではどうにもならず時の経過や状況の変化を待つしかないものもある。頭のデスクの余白が無くなる前に一度片づけをしたほうがよさそうです。とは言っても、進行形の物が多過ぎる…。
 国内では岸田首相がコロナ療養から復帰されて、まずは良かったという状況です。軽症とはいえ公務を執りつつリモート会見も精力的にこなしていらっしゃったので。課題山積のなか休んでもいられないと思われたのでしょう。責任感を認め敬意を抱き感謝する気持ち、無理をして(させて)後遺症でも出たらどうするのかと心配する気持ち、その働き方によってブラックリモート労働を誘発しかねないという懸念、様々な思いを抱えてニュースを見ていました。

 日本国と国民が置かれた状況のあまりの酷さに心を惑わせて、8月11日の投稿の文末辺りで安倍さんが生きていてくれたら…と書いてしまいましたが、自由民主党に対する私の印象は幼い頃から数十年間、ほぼ変わっていません。日本がバブルで浮かれていた1980年代末頃でさえ、「世の中、ニュースやTVで喧伝しているほど幸せかなぁ?」と疑問の目で眺めていました。80年代というのは現在日本社会を騒がせている統一教会や他の宗教団体による霊感商法などが横行し後のオウム真理教の凶行へと繋がっていく激流の時代でした。心が弱ったところを付け込まれた何も無ければ善良に生きていけたかもしれない人達と、日本の社会に精神の問題の不安が存在するのに浮かれ騒ぐ一部の大人達。後者の姿は社会から目を背けるかのようであり或いは狂気のようでもあり、いずれにしても私の目には怖ろしいもののように映っていました。「何かをジャッジできるほど世の中のことを分かっていない」、そう自覚していても「社会の歪みは政治の歪みでしょう…?」という疑問を消し去ることはできませんでした。昭和生まれの私にとって1980年代末までの日本の政治という概念は自由民主党の政治に対する概念とほぼ重なります。きっと良いこともしている、見えていない物事のほうが多いはず。それでも厭世観や自民党への冷たい視線はその頃には既に私の中に根付いていたのです。
 それがいささか同情的に傾いたことがありました。今から…奇遇これも8年前ですね、ヨーロッパでノルマンディー上陸作戦記念式典が行われたというニュースを見た時でした。ロシアとウクライナの状況に関連してこの時のプーチン大統領の振る舞いがニュースのネタにされたりしていたので、今年になってその話に触れたという方もいらっしゃるでしょう。その式典はオリンピックの開会式や閉会式のように式次第にショーパフォーマンスが組み込まれていて、2014年、70周年の年はパフォーマンスのフィナーレが広島に投下された原子爆弾の映像だったのです。臨席する諸国の政治家などの多くは立ち上がって熱烈な拍手を贈っていました。その熱狂の中でプーチン大統領は十字を切り、隣り合わせたメルケル首相と2人、重い表情で彼らを眺めていました。
 私は運悪く、数日後にその式典のニュースを日本の番組で見てしまって、…ひどくショックでした。第2次世界大戦が終わって数十年が経過して、その間ずっと日本も国家として新しい在り方を模索し続けてきて、、それでもこうなのか、、、としばらくTVの前で呼吸も忘れたみたいに動けませんでした。
 かなりの時間が過ぎてから悄然としたまま、ゆっくりと思考を立ち上げていきました。「…あちら(欧米)側から見たらこれは妥当な表現で、そう、だからこの演出もこの拍手も妥当…、仕方のないこと…。争いを過去のものとし、平和な未来を望むという意味の拍手」、頭の中にそう文字を並べました。でも心には「………そっか、日本は今もまだ敗戦国なんだ、そうだった…」と思い浮かんだ。その事実を、もちろん知ってはいるけれど、ただの主婦として日本の片隅で暮らしている分には毎日意識するほどではなかった。だからこそ毎年8月くらいはせめて戦争や平和についていろいろ考えることを続けてきたのだ。だが・・・。日本政府、政治家や省庁の人達や、仕事などで外国と取引している人達は、日々ずっと何十年もこれに晒されてきたの・・・? その心を推し量ろうとしたらとても苦しくて、日本の舵取りをしてきた人達の大半を「あまり尊敬できないオジサン達」などと安易に分類してきたことを少し申し訳なく思い、労う気持ちが静かに湧き出ました。そして反比例するように、私の生活からはガイコクが消えていったのでした。
 私の内面ではそれから1年半くらいの間にとても重大な変化があったのですが、オカルトな分野に属する話なので今日は置いておきます。現実の社会に即した変化は2015年か2016年だったでしょうか、アメリカ合衆国の大統領選挙について実業家のトランプ氏が出馬を表明したスピーチでした。自分の生活からガイコクを締め出していた私が海外のニュースを目にするのは当時珍しいことで、偶発的な目撃だったように思います。大国アメリカは相変わらずカオスでいろいろな人がいるなー、と思いながら聞き流していた時「アメリカを本当に支えているのは働く者達、つまりあなた達だ!」という字幕(うろ覚えですが大体そういう内容)が目に飛び込んできました。そういう方向性を語るアメリカというのは久しぶりの気がして、私がニュースから距離を置いている間に世界で何があったのか、と少し興味を覚えました。
 「これはリハビリ」くらいの気持ちで、トランプ氏をきっかけにアメリカの選挙のニュースを追い始めました。そうして海外のニュース、エンターテイメント、食べ物、特別な日のカップーーー、私の生活に様々なものが帰ってきました。パワフルなトランプ候補者は、ガイコクに対して心を閉ざしていた私に再び心を開くきっかけとエネルギーを分けてくれました。そういう意味のもとに私はトランプ前大統領のファンを自認している(2021年1月投稿)のですが、最近、旧統一教会関連でその名が挙げられていることがとても悲しいです。嘘であってほしい。「泥を掛けられているだけでは?」「韓国のイベントで流されたビデオメッセージはCGでは?」と、ニュースに接するたびに心の針を指で押さえて祈っています。

 外国の話が長くなりました。さて昨日、岸田首相は療養から復帰してまず、「旧統一教会をめぐる諸問題と安倍元首相の国葬儀について」の会見を行いました。当初予想していたよりも数段悪い状況、ということなのでしょうか…。残念なことではありますが…、これを機と捉えてポーズや言葉だけではなく本気で身を切る変革を完遂できるなら、この数十年の日本の歴史の色をちょっとだけ塗り替えることができるかもしれませんね? というか、そうなってほしいので善き御まじないのつもりで書きました。
 意地悪い見方をすることもできるのですよ、「8月31日ともなれば国葬儀まで1ヶ月を切り、今更止めろと言う者は少なくなるだろう」という計算をしただろうな、とかね。自民党に対しては変わらず白い目を向けずにはいられませんし、公明党は創価学会でグレーゾーン、他党も少なからず何か有りそうな無さそうな様子で、投げやりな気分になる日もあります。でも…ほら、政治家の皆さんがそんな時に 国民が 頑張っているじゃないですか。これまでもずっと、その活動に光があたらない時期も頑張り続けてくれた人達がいて、今気付いて協力し始めた人達がいる。ネガティブな表れかたですが我慢も頑張りの1種ですから、この状況を抜け出したいと思いながら我慢していた信者さんも頑張っていた人達のひとりです。
 政府が揺らいでいる時は国民が、国民がしんどい時は政府が、互いに手を差し伸べるのが国家の本来の在り方でしょう? その姿、完全に滅びてはいなかった、ということではありませんか? 人という漢字、寄せる波と返す波、どれでもいいけど、支え合うルールはまだ活きています。
 ね、だからこの国はまだ大丈夫なんですよ。政治家と国民とで、ちゃんと向き合いましょう。家でもよく間違えられるのだけど「向き合う」は「対峙する」とは違いますよ。「寄り添う」、英語の「I know」のように相手を肯定する気持ちを持って対話することが大事です。・・・私のような小物が上から物申すみたいなこと、人生でこれ以上言わずに済ませたい、どうかお願いしますね。
 
 
2022.09.15 誤字を発見したので訂正しました。3段落目、「(略)今更辞めろと(略)」と記述した部分を「(略)今更止めろと(略)」に直しました。