月別アーカイブ: 2022年12月

備える冬の日々

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 こんばんは。外がもう氷点下で…ウィンドウラジエーターを素手で触っても、ぬるい!けど、これを使わないと窓が結露で凍ってもっと部屋が冷えるので、じゅうぶん助かっています。1月から電力会社経由で電気代が公的に補助されることになっていますね。私はとても有難いなーと思っています。特別復興所得税を、増税する防衛費の弾除けみたいに使おうとしている点(個人の印象です。復興計画の中身を見ていくと言い分として100%否ではないが、感覚的には「えっ流れ弾!??」という…)のように考え方が合わないと思うところもあるけれど。国家繁栄の基礎のひとつは国民の生活がしっかり立てられる国家の仕組み作りにある、と考えてくださる方々には感謝しています

 さて。このサイトを「何かに導かれるように」「何かに急かされるように」開設して以来、拙い文章を綴り続けることはリハビリを重ねているような時間の積み重ねでした。ちなみに「何か」というのが内なるカミのことであり、その向こうに理(:ことわり)がある、ということはずっと読んでくださっている方にはきっと解ってしまっていたでしょうね。「間に合わなくなる、急いで」とずっと伝わってくる感じだったのです、もちろん彼ら(内なるカミは遺伝子やミトコンドリアや菌類、理は物理が揺るぎなくその法則の下に置かれる仕組みそのものだと思っているので、「彼ら」という呼び方は少し合っていないかもしれない)は言葉なんて使わないのだけど。
 彼らは意味の無いことはしないと知っていたから何とか投稿を続けて、2019年の7~8月。私は彼らから、3つのとても深刻で重要なのに残酷なまでに曖昧な知らせを受け取りました。それらは、世間にそのまま晒すようなことはとても出来ない内容であり、しかも一部分が読み解けないままでした。サイトを設けて私が自分の言葉で文章を綴ることと、それらの知らせ。この2つが重なるところに彼らが必要を認めた何かがある。それは理の発動という形ではなく人によって為されなくてはならない何かなのだ、と共鳴した私の魂は感じ取っていました。私に読み解けた複数のメッセージのうちのひとつは、「言葉を玩ぶ少数によって歪みが生じている、それを人間自らが正すように」という部分でした。そのために、サイトを開設して他者へ向ける言葉を訓練させた?彼らの信号をキャッチしてしまう人間の数は少ないから、私なんかの錆びついた文章力でも賭けるしかない、と?まさか。自分の正気を疑って自己点検を繰り返し、妻であるという理由で点を甘くしたりはしない夫に「ごめん!」「お願い!」と拝み倒して「どう思う?」と無茶振りしてみたり。
 幾たび角度を変えて考えてみてもほとんど何も解らないままで、それでも注意深く言葉を紡ぎあげたときにはもう8月が終わろうとしていました。・・・私にはこれが精いっぱい、これで良かった?尋ねても応える言葉は無くて。預かってしまった知らせを時々取り出して考え直してみる、そんな日々が続きました。
 今日までの間というのは、改めて書くまでもなく日本でも世界でも多くの出来事がありました。そうして今年の7月5日、それは白昼に突然起こりました。とても大きく強いエネルギーの塊のようなそれが放たれて、たぶん世界に拡がった。触れた瞬間に『万物は流転せよ』と鐘の音が伝えていた。
 万物は流転「せよ」。何故そのように強い語調に転じることになったのか…。けれどその後を鑑みるに、よく言われてきたように世界が終わりを迎えるのではなく、ひとつの時代が終わるのだという理解で合っているように思います。それはつまり、新しい時代が始まるということ。
 時々忘れてしまうけど、始まりというのは希望だけが溢れているのではなくて、それまでとの別れもあったり先々への不安もあったり、いろいろな面を併せ持っているものでしたね。闇だけに包まれて終わるのではなく、光だけに祝福されて始まるのでもない。そうして観ると、新しい時代はもう始まっているのかもしれません。力強く生きて、幸せになろう。 >For ALL.

 夏頃はあんなに賑やかにしていた魂のかけらの子達が今はとても静かです(before:御霊(みたま)の道。くっ付いてしまった私の魂から自然な形で離れていくために花開き結実するという方法を見つけ出し、春に備えて眠りについたようですね。私も貯めたエネルギーを放出したので、そろそろ冬の広葉樹のように静かに過ごす時を迎えます。理(:ことわり)と私の内なるカミの目論見は結局うまくいったのかな?成否は分からないけれど今年でひとまずのピークは越えたようだし、しばらくはゆっくり養生したいです。

 
追記 上記、数日前に書き始めた文章で、文中に組み込めなかったことをひとつ。
 22日に配信されていた毎日新聞のニュース、宗教法人法に基づく質問権の行使について、主要な宗教法人にアンケートをおこなったという記事についてです。こういうアンケート、とてもありがたいです。
 夏から続いている旧統一教会世界平和統一家庭連合の一連の流れは、宗教界にとって激震でしたよね。信仰心は人のとても深いところから生じるもの。オウム真理教が無かったら大学の哲学科に進んで、人の信仰心と宗教について探求したかったというだけの私が、偉そうなことを言うものではありませんが…。ひとつの生命として存在することを歓び、自然のうちのひとつであることに歓喜してその恵みを讃える。「そのように在る」ことへの喜びや感謝が信仰心のもと、こんなことで潰えるものではないと思うのです。だからこの大きな波の後、宗教としても社会的団体としても正しく健やかなものが残っていくと思います。
 「思う」を重ねて頼りない文になってしまいましたが、どうか世の中の信仰をお持ちの方々と宗教法人にはそのように在っていただけたら、と願っております。心を込めて。
 
 

人の営み

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 こんばんは。
 被害者救済法案が可決されましたね…!ご尽力されたすべての皆様に、心から感謝を申し上げます。奇跡、ほんとうにそうだね。9月末に野田元首相が行った追悼演説は、日本社会の影に日なたにばら撒かれていた分断の呪いを祓って人々を縒り合わせる祈りの起草のように感じていたのですが。この国会で救済法案の可決という景色を以て結句、ひとまずの成立ということだったのかなあ。そこに込められている思いを、私は信じたいです。…この感想は読む人を混乱させてしまいそうですね。ここからの動きにさらに期待しましょう。
 成立に一定の評価をしつつも内容は賛否両論、というか批判の方が今は多いかな。見直しの予定が組み込まれていますしね。救済法案は昨日、植樹されたばかりの若木のようなもの。皆で守り育てて数年後数十年後には、木陰を提供し恵みの風を送りだす大樹になりますよ。
 秋の始め頃、家族と「世界情勢や物価や為替の様子から、この年末は悲惨なことになるのでは…」と話をしたのです。震災後やコロナ禍その他の不況をそれなりに見てきたのでね。でも12月を迎えて半月近くになりますが予想より世の中が保たれていて、それは政府が多方面で国民の生活に配慮してくれているからだと、今年はちゃんと実感できています。
 過去の片付けが続く間はいろいろな事態に直面することになるのでしょう。でも、少しずつ変わってきている。越えていけそうだね?と、思わせてくれてありがとう。
 
 

どうせなら…大団円待ち!

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 こんばんは。
 室温がワインセラーになる季節ですね、皆様つつがなくお過ごしでしょうか。私は…元気です、たぶん。自分のことなのに曖昧な言い方は本来はおかしいのですが、今日はこれで合っている気がします。

 さて今週は、国会周辺がいろいろと山場ですね。旧統一教会改め世界平和統一家庭連合に送られていた各省庁からの質問状などが次々に期限を迎えますし、被害者救済法案も大詰めです。
 政府が動き始めた時点で、当事者である宗教2世3世や家族などの被害者、弁護士ジャーナリストカウンセラーなどサポートの専門家、立法の権限を有する政治家の三者が出揃った状況が出来上がったので、「後は大丈夫」と見守りを続けていました。先週までは今国会での成立は見送られる可能性も考えておくべきかと期待にブレーキをかける感じで見ていたのですが…、岸田総理「今国会で成立させる」と言っていたものね。やると言ったらやる。岸田総理はそういう人なんだね。幾度か口にされた「政治への信頼を取り戻す」という言葉も、国民として期待していいのだろうか…。
 消費者庁が重ねた会議の報告を受けて一気に動き出したように見えた10月から2ヶ月を経て、どうでしょうね?収まるところに収まりそう、と見るのは楽観が過ぎるでしょうか。
 救済法案、与党がね…旧統一の影がちらついてしまう自由民主党と創価の公明党なので、どうしても厳しい目で見てしまうわけですよ。私もそうです。被害者側から考えるともっと手厚く隙間なく救ってあげられないだろうか、と思いますよね。今回この立ち位置で大きな割合を占めているのは野党第一党の立憲民主党で、国民の心に寄り添うという、政治家として好ましい資質のひとつを見せてもらえてとても有難く感じています。
 それで自民と公明という党名をいったん意識の外へ置いて考えてみたのですが、「救済法案がイエローカードの役割でその後ろにレッドカードの六法が控えている構図」という捉え方で合っています、か? この理解が間違っていなければ、レッドカードしか使えなかった、つまり1度裁判を起こして敗訴したら終わりだった現状から、かなり改善されることになりますね。イエローカードとして使えるとなれば、対象団体への抑制効果や国民への注意喚起の役割をそれなりに果たせそうです。問題となっている禁止か配慮義務かという部分は見かけほどには差異が無いかもしれません。
 この見方が思い浮かんでからは、むしろ配慮義務の方がいいかもしれないな、とも思いました。というのは被害者の真逆、主体者として寄付をした人の思いを一律に切り捨てるとなると、正しくない例も出てしまうからです。世の中にはいろいろな人がいるので…、計り知れぬ真摯な思いから誠実に寄付をしたり「大岡裁き」の心を以て家族や親族を争いから遠ざけたくて寄付をしたり、事情があると思うのですよ。禁止では法の目が少し細かすぎて、もう一方の願いを抱きにくい世の中になってしまいます。
 六法を超えてしまうようなチート法になってもいけないし、よき場所に着地したのではないでしょうか。確定する会期末を心待ちにしています。

 ・・・私達いま、リアルタイムで政府と立法府の矜持を見せてもらっているのかもしれませんね。文科省への増員の構成をニュースで読んで「これは本気だ…」と感じたことを思い出しました。
 ウツクシイクニから美しい国へ、日本は変われる?
 その景色を楽しみに、日々を大切に生きてみよう。
 
 
2022.12.07 読み返したら、私が困惑していたような…。上を書き直さずここに。
カードの喩え、配慮義務がイエローカードで、禁止がレッドカード。イエローカードのほうが出しやすいので、配慮義務でいいのかも?という見方もできそうです、ということでした。深夜の投稿は気を付けた方がいいね。