明けましておめでとうございます。
2022年が始まりました。昨年、というかこの数年は心を長調に保ち続けることがなかなか厳しい局面も多くて、大変でしたね。みんな(私達)、本当によく頑張った!ありがとう!!私が言うことではないかもしれないけれど、何故か「ありがとう」って伝えたくなった。こういうときは内なるカミが「みんなに伝えて」と願っている時なので、記しておくね。
気にかかっていることはたくさんあるのですが、社会には明るい兆しも見えてきたように感じます。特に日本は、秋頃から急に目を覚ましたみたいに動き出して、どうしたのだろうと嬉しい驚きをもって眺めています。家族に疑問を聞いてもらったところ、「選挙かなあ?」との見解。そういうものなのでしょうか、上のほうの動きって難しい。
自分と同じぐらいの目線の人達はニュースのコメント欄などを俯瞰してきた感じでは、夏秋とひどく荒れた後、自分たちのことは自分たちで立て直そう、そのために見直そう、そのためには学ぼう、みたいな動きがそれまでと比べてはっきり出てきたように見えませんか?私の思い込みかもしれませんが…。こういう動きが出てきたからにはそろそろ大丈夫かな、と思ったりしています。
世界の各地も同じような意味で大丈夫になっていたらいいな、と思います。
そうですね、日本は、体を洗った動物がプルプルッと水気を振り払うような、そんな動きがあるかもしれませんがきっとこの国は大丈夫。だよ。
世界のあちらこちらからアクセスしてくださる方々に向けても言葉を紡げたら良いのですが、私はそんなたいそうな存在ではなくただの隠居の身、知識も教養もまだまだで…。そこで内なるカミが漠然と伝えてくるイメージに拠りますと、「道はある」と言っている気がします。そうだ前回、良くないものに接してしまった時は「心の中でブランケットを抱きしめよう」みたいなこと(振り返ってみるとこれはPEANUTSだね)を書いたのだけど。もっと簡単に実行できる「手を洗うこと」というのを失念していました。精神的な意味合いでも、コロナウィルスなどの予防といった実効的な意味合いでも、これはとても大切。たぶん「道」というのはこういう類のことだと思う。
水がとても貴重で、その行動がなかなか取れないという地域もまだ世界にはありますね。その場合は、自分にとっての精神的な素に戻れる場所を定めてそこへ自分を置きなおすためのスイッチ、これを日常の基本的な行動のどれかに組み込んでしまうと、世界が少し近しくなったように感じられるかもしれません。
新年を無事迎えられたので感謝の気持ちを表したかったのだけど、言祝ぎになったかな?我ながら相変わらずちょっとズレている気もします。それでもいいか。
越えて行け。親の背中を。
越えて行け。先人達に感謝しつつ。
命はそのために生まれてくるのだから。
越えて、行け未来へ。
2022.01.05 文中の2箇所から記号を削除しました。内容はそのままです。