無題

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見たり聞いたり考えたりしたことについて、話せる相手があなたにはいますか?

このサイトではアクセス解析を使用していて、見る限り今のところ海外のボットに巡回されているだけのようなのですが、いつか人間が読んでくれることがあった時のために書いておきたいと思わせる事件が起きました。
社会の出来事、特に事件や事故についてはリアルタイムで言及するようなことは基本的には避けたいというのが私の立ち位置です。理由は、自分はそんなに立派な人間じゃないと知っているから。それに「実際のところ」なんて、ニュースを視聴したくらいで外野が理解できるようなものじゃないから。
では何を書こうとしているのか。疑問に思われるでしょう。それは「当たり前」に知られていて、わざわざ言葉にすると「ウザい」だの「キモい」だの言われる類のことです。私は多くの宗教から思想的影響を受けていますが、いずれの宗教にも属していません。信仰に近いものがあるとすれば、地球というか宇宙を保っている自然の法則、これだけは信じているし従うよう心がけています。
そうならないよう気を付けますが、説教めいた言い方になったら私の表現力が至らないためです。苦手そうな話題だと思ったら読まない、あるいは、途中でも読むのをやめることを強くお勧めします。

今日これを読んだら。
誰かと話やチャットやメールをしてください。楽しんだりほっと和んだりできるものならどんな他愛もない話題でもいいのです。そうしたら、その人と話ができていることに感謝してください。その人があなたに時間を費やしてくれていること、その人が存在していること、その時間を過ごす場所やコミュニケーションツールに対して。自分がその人と話せる環境や状態はどのように成立しているか考えてみると、感謝のポイントはたくさん存在していることが見えてきます。考えれば考えるほど多く見つけることができるでしょう。
そして1日を終えて眠りに就くときに、あなたがとても満たされた気持ちでいたなら。そのあたたかな気持ちを、誰かに少しだけ分けてあげてください。今日話した相手でもいい。ほかの人でもいい。あるいは全く知らない人、例えば世界のどこかにいるかもしれない今日ツキのない1日を過ごした人というのも優しい選択だと思います。誰かが今日の自分のようにあたたかな気持ちになれますように、と願いを送りだしてください。ひとひらで充分です。自分の分まで放出してしまったら、『幸福の王子』になってしまいますから。誰かにひとひら、明日の自分にひと片、をセットで癖づけると安全かもしれませんね。
話す相手が忙しくて時間が合わなかったり、そんな相手はいないなーという場合は。ひとりで好きなことをしましょう。人の迷惑にならないことならどんなことでもいいです。相手の都合が悪いときは私も本を読んだり動画を見たり。とはいえ疲れない程度で収めてくださいね。眠りに落ちる前にあなたが満足した状態を維持していることが大事です。そして同じように、あなたに満足をもたらした環境や状態がどのように成立しているかを意識してください。ひとりで過ごした楽しい時間が、実のところどれだけ多くの人によって支えられているか。あなた自身。家族も? あなたの、あるいは家族の勤務先。本を読んだなら作者や出版社や彼らを周りで支えるたくさんの人たちに。給与や報酬などの対価を得ているとはいえ誰かが働いて社会が回っていること。多種多様の技術が開発され改良されて今の社会があること。インフラの整った国に暮らしていること。感謝のポイントは様々です。「アハ体験」というのが話題になった時期がありましたが、「そう言えばこれってあり難いことだった!」と再認識するのはその体験と似ている気がします。
感謝したい相手や感謝できることをたくさん見出して、ありがたい気持ちが自然に湧き出たら。どうか、明日の自分と誰かのために願いをかけてください。

「明日も少しだけいい日だといい。誰かの明日も少しだけいい日だといい」。そんな風にして、「善かれ(よくあれ)」をみんなで毎日少しずつ積み重ねていけたら、世界(地球上の「世界」というよりは哲学的な「世界」)は少し良くなる。
「何をお花畑なことを言っているんだ」と辟易する方もいらっしゃるでしょうが、50年くらい生きて行ったり来たりずっと考え続けてきて結局ここなんだ、と落ち着きました。「ここ」というのは「どれだけ広くかつ繊細に世界を認識し肯定できるか」という立ち位置のことです。「繊細」といっても世界中の人の顔や名前や仕事を覚えるといった細かさではありません。むしろ知らないままに「見知らぬ誰かについて(事情などを)思い遣る」ような、心の働きの繊細さ。そういったスキルが、今、世界に必要だと感じます。
同じような考えに至っている方々もいらっしゃって、もっと分かり易く簡潔に、危機感をやわらかく伝えている場面に出会うことがあります。
この文を読んでくださったあなたは、どんな立ち位置でしょうか。同じようなことをすでに考えていたかたか、長い文を読んでみたけど違うなと感じたか。具体的実効的な方向を好むかたは後者でしょう。それはそれで勿論アリです。
もし、文章は無駄に長いけど共感できるところもあったから「善かれ」をやってみるよ、と思っていただけたらとても嬉しく思います。誰かの心を動かすというのは本当に難しいこと(あり難いこと)ですから。

R.I.P.