日本でも世界でも、ビビリの私が心配性を発動してしまう程度には世の中がざわついているので、今日は昔読んだお話を元に、魂について頑張って綴ってみようと思います。私にできるかな…。
昭和の昔(S50年代くらい)。濫読期に読破した本の中に、世界各地の神話や伝承をまとめた全集がありまして。そのうちのインド編だったでしょうか、人間の魂が死後に行き着く処について次のように書かれていました。
人間は死を迎えるとその肉体を地上に残し、魂が空へと昇っていく。
空のずっと上のほうには気の川がありその浄水にすすがれた魂は生前の記憶を失って、
生まれ変わりを待つ。
錆びついた記憶に拠るとだいたいこんな感じだったと思うのですが、他の地域の伝承も混ざっているかも・・・? というか、死後については世界各地の伝承に似通った部分が見られますよね。機会があったらひと通り読み直してみたい。
死後の魂(と精神)は生前の記憶を失う。そのことは遺された者には少し寂しく感じられるかもしれないけれど、死者にとっては必要な慈悲だろうなという感想を抱いたことを覚えています。
さて、死者の魂がすすがれる気の川から少し下へ離れたところには生者のための川もあります。
疲れ、倦み、疑い、苦しみ、悲しみ、怒り、憤り、憎しみ。社会で、学校で、家庭で、しんどすぎるマイナスの感情に圧し潰されそうになった時、人は自動的に辿り着くのだと思います。生き抜くため、予防的にここへ来るのです。
プラスの感情が昂じて辿り着く人もいるでしょう。「どうして?」と思うかもしれませんが、プラスの感情も強くなりすぎると明るい狂気に至るので、予防的調整のために訪れます。強すぎる薬は毒になることもあるからと言ったほうが合っているでしょうか?
大抵は眠っているときに。そして稀には緊急避難で起きたまま。
少し強い風が頬に心地よいこの場所で気の川に浸かり、澱を流し、生者の身には強くなり過ぎた感情を鎮める。ついでに潤いも補給して、癒された生者の魂は自分の肉体へ帰ります。
その生命を生ききるために。
「神話や伝承はただのお話だから」。そう考えるかたもいらっしゃるだろうし、私もそう思う部分に行き当たることはありました。ただ、伝承などが生きるための知恵を伝え続けてきたことは事実で、時にはそれが世界の真理にまで言及した部分もあるかな、と。昔の人も今の人も、生きていると心を強く揺さぶられる出来事に遭遇したりするという点は同じですね。
世界は再建のためもうすぐ終(しま)われようとしているかもしれない。逆に一段上へと進化して継続できるかもしれない。そんな不安定な時代を生きている現状で、その負担をいっときでも和らげることが叶うなら。神話や伝承に込められた先人の優しさを借りることはその手段になり得ると私は思います。
精神の力を上手に養って、自律的能動的に生きていこうよ。