少し現世に疲れてしまって、、。ちょうど全話揃う頃だったので、NetFlixで「平家物語」を見ていました。
そのせいでしょうか。今朝起きたら、ふと表題の西行法師の歌が思い浮かびました。在りし日に、その戦いを見ていた人が残した歌。
人がなぜ生きるかといえば、様々な言われ方があるだろうけど「生ききるため」であると思うんですよ。だけどそれを 他者との争い それも 命のやり取り によって表すというのは、私の眼にはとても哀しく映るのです。当事者達にとってはそれ(争い)がもっとも心に響く方法なのかもしれないけれど。
何故、生ききるために生きるのか、というと。(哲学的な意味での)世界に対して、種の輝きを示すため。平たく言い換えるなら、人間なら「生まれてきてよかった!」と思うことが、大事であるように思えます。その究極が「また人間に生まれ変わりたい!」と願いながら逝くこと、でしょうね。
これは人間だけではなく全ての生命や物質に課せられた命題であり、「また同じ種に生まれ変わりたい!」と思う個体の絶対数が減少した種は消滅してしまうのではないか、と推測しています。もうひとつ、それが世界を回す源のエネルギーなのかなーと。
生まれてきてよかったーーー仮定でそう考えてみるだけでも、この身この心には自然と、とても浄らかで強い力が湧いてきます。魂だけ(=エネルギー体)の存在には体感できなくなってしまうこと。だから命を大切にしてほしいのです、自分のも他の人のも。
そして願わくば、自然に親しみ他者と触れあって、生きているという条件のもとに得られるたくさんの歓びを深く知ってほしい。それが自分と他者、そして更なる誰かへの慈しみに続く道だから。
桜の季節に、そんな思いが花開く2022年の春。
花の下にて
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