未来を意識した最初の記憶を覚えていますか?
私のそれは年齢が片手の指で余る頃、もうはるか昔のことになります
自分の子供が相手ならどんなことをしてもいいと馬鹿にしてかかる親と口論になって
「ホラ子供だから分からないンだヨ、大人になればわかるヨ」
と言われたときでした
「そんなことない」と返した私は決心しました
20なんねんかあとで、このやりとりについてもういちどかんがえよう
子どもとして自分のルーツである親を肯定したい気持ちを捨てきれない
かと言って尊厳を自分の親に踏みにじられて平気でもいられない
今は親を立てて我慢して
2X年後(親との年齢差)今の親の年齢になったとき
あるいは将来自分が親になって子どもが今の私の年齢になったときに
もう一度考えれば、この問題に答えが出せるだろう
親の言動を赦せる日が来るだろう
2X年という長い時間の尺度は
感情を鎮めて事態を収めただけでなく
未来に希望をつなぐという救いをもたらしてくれました
さて現在
私も孫がいてもおかしくない年齢に至りました
一昨年は足の爪を剥がして全治11ヶ月
去年は風邪で、40度近い熱から始まって最後の鼻の症状が治まるまで50日
怪我や大病をした季節が巡ってくれば同じところが鈍く痛むし
体型はジャバ・ザ・ハットまっしぐら
そして階段が昇れない・・・
どこかで聞いたネタの羅列のようなのに事実という惨事
それが老い
哀しいけど少し可笑しくもあるのは
まだ老いの始まりだからでしょうか?
このような現状だから体の衰えは本当に気になるところです
でもそれよりずっと気にしていることは
年齢相応の知見と落ち着きと思いやりを身に着けているか
・・・文字の形にしてみても全然すーっと入ってこないので
今の私はステータスが全く足りていないです
理想には程遠いな
本を読み、ニュースに注意を払い
洞察力を働かせ
人の話によく耳を傾けてその背後にも気を配り
ユーモアを忘れない
そんな老婆に私はなりたいのです
ハードル高いw
けど、磨くぞ