老婆心という厄介な属性

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このところ子どもの虐待に関するニュースが後を絶たない。
明るみに出るようになってきたことを素直に歓迎している。虐待を受けている子ども側の第1歩は異常事態非常事態と認識すること、ニュースやそれに触発された大人の対応で、そこから脱出できる子どもが1人でも増えたら嬉しい。
同時に危惧もしている。コインの裏表で、真摯に子育てをしている親御さんがいたずらに嫌疑をかけられる危険が以前より増してしまった。この部分については本当に注意深く振舞ってほしいと、心からお願いします。虐待かどうか判断する目や耳を育ててください。
事件化する前というのは外からはよくわからない物。それでも例えば乳児なら、少し育てば家の外にも泣き声が聞こえてくる。親が信じられる相手だから「おなかすいたー」「おむつきもちわるいー」「ねむいー」と泣いているときの声と、痛みや苦しみから泣いている声は聴き分けられる人も多いでしょ?あれです。どの年代にも、外から見分ける鍵はある。
幼児くらいからは社会性が芽生えて、誰にでも何でも話すわけじゃないと隠し事をする子どももいるし親を守りたいがために嘘をつく子どももいるだろう。それでも100%ではないが見分ける方法はある。加害者に悪用される危険があるのでここには綴らないが、秘匿されている技術ではない。志あるかたは調べてみてください。
子ども、親、学校などの周囲の人たち、児童関連職や警察の人たち、そして私たち自身。すべてに対して「同じ生きている人間」と改めて意識しよう。虐待に限らずだが、誰かを叩けば問題が無くなるわけではない。

個人としては、究極的には、ひとりひとりが人間について(自分たちについて)理解を深めるしかないと考えている。
説話のひとつに「一を聞いて十を知る」とあるように、1割の情報で10割を理解することはむずかしい。この説話によって多くの人が幼いころに、世界のひろさ深さだけでなく「一を聞いて十を知ることは難しいから、もっと聞かせてもらえるよういっぱい話をしてみよう」という教訓を得たのではないだろうか。「もっと聞かせてもらうことが叶わない子ども」だった私は「一から十は無理でも五ぐらい理解できれば、後は他の情報で切り拓けるかな」と自分を弁えない方向に突き進んだ。観察や洞察の方法は多少養えたけどもっと普通の道を来たかったとも思う。
どんな道を通っても、人間を肯定することに帰結するものならばそれでいい。

その子も、その親も、その人も、あなたも、私も。同じ人間。
ストップ虐待だけでなく、ストップ冤罪、ストップ過労、ストップ過失。欲張って全部を、少しずついい方向に持っていきましょう。