虐待のニュースが見えない恐怖という病となってパンデミックを起こしかけている。今の虐待問題を取り巻く状況はそんな風にも見える。至極当たり前だ。世の中は、掛け声に合わせて一斉にすべての人がすべてのことを受け容れられるようには出来ていない。
ひどいニュースがいくつも出てくる。子どもでも大人でも、パニックを起こしそうという人がいて当然だ。そういう人は絶対に無理しないで、ニュースから離れる勇気を持ってください。虐待のニュースを追っていないのは非難されそう、と不安に思うかもしれないが気にしなくていい。虐待の問題はR指定的要素を備えている。余力が無い人や耐性の低い人に強制するようなものではない。
だからどうか無理はしないでほしい。このサイトで主張するまでもなく、自分のこと、身近なことをつつがなく切り盛りし守るという日々の積み重ねこそ、真実、こういった問題を未然に防ぐ第一歩なのだ。気になるなら、今は「いつか向き合えるようになった時に、目を向け考える、行動する」と自分に約束しておく、という形でいいじゃないですか。
それでもやはり気になってしまう人は「虐待で苦しむ人過去の虐待に苦しめられ続ける人がひとりでも減りますように」と心から祈ってください、毎日。投げたように聞こえるかもしれないが、人間は1人1人が世界の大切な要素の1つ。人の真摯な思いが世界のバランスを奇跡的に調整していることは、老境に踏み入った人なら大抵悟っていることだと思う。たぶん。だから心を向けるだけでも十分ですよ、と伝えたい。
宗教ではなく老婆心からフォローしておきたくて、くどいことを綴らせていただきました。
さて、無責任に聞こえそうなことばかりでもなんなので。
この問題、厚生労働省ではなく警察庁寄りで調整されていくことを個人的には望みます。理由は、24時間体制や法の執行について考えたとき、その方が合理的に見えるから。
そもそも論になるが、虐待の問題を「子どもの問題」と壁で別けたことが行き詰まりの原因の1つではないのか。傷害等を虐待という言葉で別物にしてしまうことに憤りを感じる人も増えている。虐待の陰には経済的あるいは精神的貧困が隠れていて、それは他の多くの犯罪も同じ。同じ構造を持つというか本来同じものなのだから、迂回させない方向にしたら時間短縮にならないかとシンプルに考えている。
突っ込んだところでは、荒唐無稽に聞こえるだろうがSITやいっそSATや爆発物処理班のようにチームを作ってあたってほしいから警察寄りで、と考えている。学校もそうだけど、「いつまで実務を1人に背負わせているの?」と問いかけたい。責任のほうは有耶無耶になるまで上に何人もかぶせて薄めるのに、この国の仕組みは逆さま。24時間のチーム体制なら抜け落ちることも減るのではないだろうか。頭数を増やすのは既定路線のようだから、現場が動きやすいようにしつらえてあげてほしいと願う。動きにくいから滞る、エコノミー症候群と同じ。物事を考えるとき、スタート地点の目線をシンプルにすることは大事。
「そうは言っても実際に国の骨格を仕切りなおすほうは大変だよ?」と政治家や官僚の皆さんは嘆かれるだろう。しかし、国民が関心を寄せていろいろな立ち位置で考えたことを集められる今がチャンス、とも思っていらっしゃるはず。経験やコネや知力の魅せどころじゃないですか。頑張ってまとめ上げて、銀座あたり?でモテちゃってください。じゃなかった、票や信頼や尊敬を集めちゃってください。茶化してしまったが、心からお願い申し上げます。