日々の覚書」カテゴリーアーカイブ

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 こんばんは、lawbaです。久しぶりの投稿、随分と間を空けてしまったので少し緊張しています。初めてリハビリを受ける日の朝みたいな気分です。

 読み返してみたのですが、前回の投稿は心がとても乱れたまま綴ったことが文に表れていて、ごめんなさい、嫌な思いをさせてしまったかもしれません。乱文を投稿したきり音沙汰なしだったことについて説明するべきか、キーボードに向かっている今も迷っています。
 何事もなかったようにスルーでいいような気もするけれど、このサイトはlawbaが日々つまづいたり転んだりして考えてきたことを書き記して、読んでくださった方が自分なりのものの考え方を構築するときに反面教師としてほんの少しお役に立てたら、と始めた場所です。であるなら、私が転んだときはそれを記録したほうがいいのか。しかしあまりプライベートなことをネット上に晒すのはいかがなものか。ハンドルネームの「lawba」と実社会で生活している「私」の線引きはどこにするかについて、考えや覚悟が足りていなかったのだと痛感しています。

 「私」に起きたこと。とても近しい人を亡くしました。
 近しい人、という表現がするりと出てきたことに自分でも驚いています。その人、父とはずっと関係を絶っていたので。ただ、父の魂は死に際がきれいでした。とてもとてもきれいでした。
 父と夢で言葉を交わした数日後に、それが病床からの別れの挨拶だったと知った時には、もう、間に合いませんでした。苦しんでいる魂で溢れている病院という場所が私はとても苦手だけれど、魂を送って寄越すくらいなら「見舞いに来い」と言ってほしかった。父は元気な姿だけを覚えていてほしかったのだとしても。

 以下しばらく、心の柔らかい方は読まずに飛ばしてくださいね。
 父は失言などで、生後数時間を始まりに私を何度も捨てた人だったけど。3歳になってすぐの記憶が、父の存在が私の命を繋いだことを教えてくれています。リストラに遭った父が昼間も家に居たことで、ご飯を朝と昼と夜に食べられたこと。「たべものってこんなにいっぱい(種類が)あったんだ…」と知ったこと。父が仕事を得た後、私の健康状態は再び深刻に悪化したこと。あの数ヶ月が無かったら、私という存在は消滅していたと思います。それらを漠然と感じ取っていたから、父には幼いころはとても懐いていました。
 それから、4歳か5歳の夏。母がこれ見よがしに父を苛め、私に向かって「同じことをするならあんたも仲間にしてあげる」と言ってきたことがあって。私は母に言い返しました。「どうしてそんなこというの?おかあさんのやっていることはおかしいし、それをわたしにもやれっていうのもへん。」「おとうさんもおかあさんになにかいって…」と目を向けると、毛を逆立てた野生動物のようにうずくまり母に背を向けた父が目を真っ赤にしていて。ショックを受けた私はどもりながら、のどを絞るようにして必死に言葉を繰り出しました。「おおとうさんっ!?しっかりして!このいえのだいこくばしらはおとうさんだよ、おかあさんがへんなこといってたらおとうさんがなおしてあげてよ。ないてるばあいじゃないよ。おとうさんがないてたら・・・」最後には思考が追い付かなくなって、「わたし、こまる。どうしたらいいかわからなくなる。」とやっと言い終えたのを憶えています。子どもの前だったから大きな声で母を叱りつけて私を怖がらせないように配慮して言い返さないのか、その頃の父がいつも言い返せずにいたのかはわからないが、その事件後は母に普通に言い返す姿を見るようになりました。
 その後の私のほうは、幼い女の子の魂の私が死んで男の子や新しい女の子の魂の私に入れ替わったり反抗期を迎えたりと、荒ぶる魂による不安定な日々に突入していきました。中学生の頃、私達きょうだいを前に「お母さんと結婚したくなかった、家族に逆らえなかった。」と父が泣きかけたことがあったのですが、その目を見た途端に脳がピリリと緊張したため「親が子どもに泣きつくのはやめて。そういう風に私達に甘えないで。」と私は席を立ってしまいました。父に冷たかったと思うけど、父の親にはなれない、なってはいけないと強く感じていたのです。以来、父と私の間で会話が成立することはほとんど無くなりました。父は戸惑っていたようでした。
 他に憶えているのは、仕事が大変そうだったこと。家の中も。そのため、どうでもいいと投げやりな様子を見せることもありました。けど、ときどき。「父とは?親とは?」について自問していたようでした。その姿勢は、誇張や捏造を織り交ぜて喧伝しては承認欲求を満たしていた母のそれとは少し違っていました。母は「自分は親に向いていない」という開き直りもしくは悟りを得ることで、自分のために生き努力することに時間を使う生き方を学び始めたようでしたが、父は逆で「父とは?親とは?」という問題をずっと心のどこかに抱えていたのでしょう。
 父は自身も父親をほとんど知らずに育った人でした。太平洋戦争の頃の生まれで、その辺りの世代には戦禍や貧困で家族との別れを迎えた人達がたくさんいたのです、とても悲しいことに。親を知らないから親にならなくていいということはないけれど、大変だったことは確かでしょう。「人に学べる、本や映画やTVだってあった時代でしょ?」とは言っても、知識と実際の差はやはり大きいですから。百聞は一見に如かずという言葉のとおりで、何かを学ぶためにはその場に居合わせて同じように呼吸を重ねるのが一番良い方法なのです。それが親達がゴソッと減ってしまった世代がある。当事者として親の呼吸を学ぶ機会を奪われた子どもが大人になり、呼吸を想定や他所の親子の見様見真似で補いながらなんとか親をやっている。そういう親子が増えた社会が世代を重ねて行き着いたのが現在の状況、ということなのです。彼らを至らない親と断罪することはフェアではない気がします。わからないなりに悩んだりもがいたり時には休んだりまた頑張ったりして、命を繋いできてくれたから私達が存在している。理想的な親という物差しで測れば不完全かもしれませんが、彼らの試行錯誤は尊いと私は思います。
 虐待や少子化は広い意味で戦禍です。戦争はずっと昔に終わったけれど、戦後はまだ終わっていない。近年ようやく戦後を終わらせようという動きが始まったところのように見えます。戦後が本当の意味で終わる頃には、日本の国民も未来を志向できるようになって少子化は解決すると思います。いつ終われるか、そこまでどう繋ぐかが問題なわけですが。

 さて、父は人生の最期に私を訪ねてきてくれました。かつて「父の親にはならない、子で在り続ける」と突っぱねた娘に、「父とは?親とは?」について自分が得た答えを示すために。
 夢路を辿ってきた父はこちらの近況を尋ね、「お父さんは…?」と尋ね返す私を制して「じゃあ行ってくるな」と笑いかけて、とてもいい笑顔のまま去っていきました。「待って、どこへ?」という言葉は届かなくて。相変わらず父と私ではぎこちない会話にしかならないのだなと寂しく感じたところで目が覚めて、それが父との最後でした。夏が終わる頃から水中でもないのに溺れる感じが続いたのも、何通りかある鉄板の回復メソッドを幾度試しても穴が開いた風船みたいにエネルギーが消えていく感じがしたのも。父でした。
 父が辿り着いた答えは、「子ども達の理想とは違っていてもこれが自分、お前たちの親なのだ」と肯定して自分らしい姿を見せること。苦しかっただろうに、そんな様子は微塵も感じさせずに笑って見せてくれました。

 私は父の人生をほとんど知りません。話が出来ていた頃も、父は自分のこととなるといつも法螺話で煙に巻いて、本当のところを話してくれることがなかったからです。仕方がないから私は、一世一代の大見得を切って見せてくれた父の笑顔をずっと憶えておくことにします。
 新しい魂グループに参加するときは、素晴らしい両親の元で安心して満ち足りた子ども時代を送れるよう祈ります。
 それまでのひととき、どうか安らかな眠りを。おやすみなさい、お父さん。


つながる心 魂のふしぎ

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 2019年も末を迎えようとしているが、私はいまだにスマホを持っていない。「久しぶりの投稿と思って見に来たら、唐突に何事?」と思わせてしまっただろうか。「スマホ持っていない私cool」という自虐的逆説的自画自賛でもないし、「スマホ欲しいな~?」と夫に圧力をかけているわけでもない。タイトルにつながる話に至るために、自分の立ち位置について明らかにする試みである。日々老化と向き合う私にはスマートフォンは過分で難解で、運転中の夫に頼まれて代わりに操作するだけでも大変な思いをするような状態だ。そんなわけで、ネット社会に浸かりながらもどこか染まりきれないアナログな部分を残した存在だと、自分を位置付けている。
 ついでに説明すると、10年ほど前に死にかけて今で言う終活(生前に人間関係を含めて身の回りを整理すること)をしてしまった。まさかの生き残りを果たしたけれど体力が戻ったわけではなかった私は、人間関係を取り戻す努力をしないことを選択した。4~5歳の時に「出家したい」と切望していた私にとって、他者とのつながりの薄い現在の状況は案外居心地がいい。もともと人間への気持ちが強すぎて、己の力量もわきまえず心をかけすぎて身動きが取れなくなってしまうところがあったから、社会からつかず離れずという辺りで俯瞰するぐらいが自分にはちょうどいいのだ。

 さて前置きが長くなったけど、lawbaは世捨て人のような生き方をさせてもらっている「魂の要介護老人」という現状を認識してもらったところで本題と参りましょう。
 巷でよく語られるちょっといい話のひとつに、昔の写真を見ていたら写っていた友人と街でバッタリ会ったまたは電話がかかってきたというのがありますが。私の場合それが夢の中で起こる。「危ない人だよ!それ完全に気のせいだよ!」と思うでしょう?私もずっとそう思っていた。起きているときの私が懐かしい人たちを思い出した結果、夢として願望をかりそめに形にしたのだと。理性を失いたくないと自分を叱咤した。
 しかし歳を重ねる間に幾度か訪れる、避けようのない別れ。そういったとき、近況を全く知らなかったのに、事前に夢の形で別れを告げに来てくれた彼らの存在が魂のふしぎを裏付ける。どんなに気のせいと思い込もうとしても、彼らが去ってしまったという事実が静かにそこに在る。
 物言わぬ主張が数を重ねて数年前、とうとう私は降参した。これはもう、受け容れざるを得ない。世の中には説明のつかない不思議なこともきっとあるのだ。自分を疑うよりもお別れを言うために訪れてくれた彼らを肯定しようと思った。彼らの気持ちに感謝したいと思った。
 それに死を迎える人だけではなく生者も。母が亡くなった数日後、古い知人が夢の中を訪ねてきてくれたことがあった。夢で目を合わせた相手はたいてい近日中に儚くなってしまうので慄いたが、喪服を着た知人は私と目を合わせ弔意を伝えると、しっかりと来た道を戻っていってくれたので安堵した。知人は夏の終わりはいつも深みにはまるに書いた「運河の役割を担えるような」人なので、魂の護りも強いのかもしれない。
 こんなことがいくつもあって、スピリチュアルやオカルトに分類される事象を肯定する姿勢は私の中に作られてきた。

 トンデモ話と思われそうなことをまたしても敢えて曝したのは、災害の多い年だったからかな。大切な人を失って、悲しい気持ちをしまい込んで苦しんでいる人も多い気がしてしまってね。表層の意識に残っても残らなくても、きっとみんな今の話みたいな体験をしているのではないだろうか。私のように感知することはなくても、あなたが大切に思っていた人やあなたを大切に思ってくれていた人は、去り際にきっと心をひとかけら残してくれていると伝えたい。
 悲しいときは、その気持ちを我慢して抑え込むことはない。大切に思っていたのだもの、目いっぱい悲しむのは当たり前。そうして悲しみが懐かしさに替わる頃、どれだけ後になっても構わないからいつか、相手と自分のために前を向いてください。
 無理せず自然に前を向ける時でいいから。


 greetingのお知らせ欄だとわかりにくいかもしれないのでこちらで。
 いろいろあって、少し更新が滞りそうです。このところ結構遅かったうえに
、更に間隔があいてしまう可能性があるので念のためお伝えしておこうと思いました。投稿できればそれはそれで良し、ということで。
 半年ぐらい前に「このサイトに来てるのはボットだけだよ~」なんてネガティブ発言をしてしまったのですが、最近になって、どうやら読んでくださっている「人間」がいるらしい!と発見しました。
 肯定的な立場でも否定的な立場でも、時間を割いて私の拙い文章を読んでくれるどなたかがいることをありがたく思います。「真摯に言葉を紡いでいかなくては」と心が洗われました。
 ゆっくり更新、主も無理なく続けるサイトとして、よろしければ今後もおつき合いくださいませ。
 感謝を込めて。

言の葉の力

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 台風19号で大きな被害のあった私の住む街も、おかげ様で少しずつ落ち着きを取り戻しつつあります。復旧に尽力してくださっている皆様に心から感謝を申し上げます。

 人間は逞しいですね。こんな時だから敢えてこう言っておこう。人間はたくましい。
 私の住んでいる街は8年前に東日本大震災と原子力発電所事故に遭いました。地震や津波などで、多くの人が家族や家や故郷の風景や大切なものをいっぺんに失くして。現実は待ってくれないから、どうにかこうにか頑張ってきたところでまた今回の水害です。
 それでも、台風前も台風後でさえも肌で感じるのは、悲しみや疲労だけではなく「負けていられない」という静かな熱。

 「前を向いていなきゃ仕様がないものね」。
 そこに込められているのは諦めではなく静かな受容と未来への確かな意志。そんな誰かの思いを乗せた魂のかけらが、人から人へ渡っていくうちに少しずつ数を増やしているのかもしれません。だからこの街は大丈夫。この県も大丈夫。短期間に水害が続いた千葉県も19号で被災した各地も、近年災害の増えている観のある日本もついでみたいで済まないけど世界も、大丈夫。

 ゆっくりと。
 少しずつ。
 今は前を向けない人達も待ちながら。
 みんなで、未来に行くのです。

 今を生きる皆様と未来に生きる皆様へ、今回の生で魂の旅を終える古びた魂の私から言祝ぎを贈ります。

 あら、なんか重たくなってしまいました。軽やかな感じで投稿を締めましょうか。
 生物としての人間を信じます。愛してるぜ人類!!