日々の覚書」カテゴリーアーカイブ

暑中お見舞い申し上げます

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 日々の覚書、前回までの4回は思うところあって魂、身体、意識について何とか伝えたいと頑張ったのですが…。ちょっと無茶しすぎましたね。私には早かった! 感じていること考えていることは他にもいろいろあるけれど、うまく文脈にのせることができなくてカットしたり。とにかく今の私ではまだ扱いきれていなかった気がします。「うん?」と思いながら4回全部読んでくださった方がいたらありがとう&ごめんなさい。
 サイトを数年続けられたら、いつかもう少し整理されて深化した形でわかりやすく伝えられるよう再挑戦したいと思っています。それより前に、折に触れて綴ることもあるかな。私の生きている方向は魂、身体、意識について考えることと概ね重なっているので。


 さて「私のMPはもうゼロよ・・・」に近い状態なので今日はここで終わりにしたいところなのですが。とても心配していることがあって、それをどう伝えたらいいのか。
 パッと行動に移せるというのは基本的には(日常の行動においては)好ましい行動パターンだと思うのですが、客観的で深い判断が必要な時もあることを忘れないようにしています。行動迅速が適していることもあれば、熟慮が適していることもある。5歳の時に考えてみて解らなかったことに対し、15歳で1つの答えを見いだし、25歳でその答えのさらに深いところに思い至り、35歳でまったく別の新たな答えの可能性に気付く・・・なんて場合はどう評価すれば。

 昔いろいろ考えて行き詰った私は、とにかく考えることを繰り返して速度を上げて、迅速な行動と熟慮両方の底上げをしようと思い立ちました(筋トレ的発想)。「考えすぎて身動きが取れない状態にならない?」と言ってもらったことがありますが、子どもの頃は本当にその通り。考えが浮かんでから行動するかを決めるまであまりにも時間がかかるので自分が嫌でした。でも、考えない怖さのほうが大きかった。続けていると要領を得るもので、問題なりの時間で判断にたどり着ける=身動きが取れるようになってきたと思います。
 50年近くの間に何度か型を変えて、今のやり方はこんな感じ↓です。

1.何か考えが浮かんだ時には考えついた理由を自分に確かめてみます。
2.次にそれは本当に自分の考えかと自問します。脳の働きというのは不思議なもので、目の端に映って一瞬意識しただけの内容を記録し、考えに影響を与えることもあります。視覚に限らず他の感覚も同様です。刷り込みではなく確かに自分の思考の結果であるかを確かめます。
3.そしてその考えは間違っていないか、様々な方向から検証します。
4.次に自分の状態を点検します。アルコールや香辛料など飲食物の影響はないか、栄養失調の頭で考えていないか、体調が悪く答えを焦っていないか、感情的になってはいないか、視点が低過ぎ又は高過ぎになっていないか。
5.偏った状態における刹那的な考えではないとなったら、考えを行動に移したとき、自分に他者に未来にどんな変化が起こるか想定します。最低限、プラス方向ゼロ方向マイナス方向の3つのシナリオは必ず考えて、可能性による順位付けと調整をします。
6.実際に行動するかしないかを考えるのはここまで考えてみた後です。

 簡潔に説明する技術が足りなくて、延々と自分のやり方を例に挙げてしまいました。格好悪いですね。
 省みるに筋力トレーニングと同じで思考力も積み重ねが大事です。必要な時に短時間で考えて答えを導けるよう、普段から思考を重ねて自分のやり方を築いておくことは自分の未来に対する有効な時間投資になると思いますよ。
 私と同じように、こういったことを「わが家の教え」として享受する機会に恵まれなかった人たちのために綴らせていただきました。我ながら鬱陶しい婆です。
 
 夏も本番ですね。暑さで食欲が落ちる方もいらっしゃると思いますが、熱中症予防にたんぱく質もしっかり摂ってこの夏を乗りきりましょうね。


2019.08.27 今更ですが、単語の重複に気づいたのでその部分を削除しました。文意はそのままです。

つなぐもの、意識

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 「身体」の話をなんとか切りあげて、ようやく「意識」の話です…。
 意識、精神、自我。他にもありそう。どの言葉が最適なのかと再確認したのですが、魂、身体と綴ってきたこの一連の投稿においては「意識」で書いていくことにします。冒頭に挙げた単語は、私が(哲学的)世界について考えようと試みるときには概ね同じ意味で使っています(注:日本語としてはそれぞれ他と重ならない部分の意味も併せ持ちます)。そのため哲学科などで専門的な知識を身に着けたかたには「それらの言葉は厳密には違うよ」と読みにくい思いをさせてしまうかもしれません。そこは「茶飲み話と自分で書いていたね」と流していただけるとありがたいです。


 さて、意識と言われて最もピンとくるのは、起きている間の「我思う」ですよね。「我思う」は…話がとてもとても長くなりますね。いずれ別に機会を設けましょう。そういえば昔、「脳と意識、実際に考えているのはどちらだろう??」と悩んだことがあります。なかなか答えが見つからなくて、大人になってからも時々思い出しては「まだ分からないこと」と仕舞いなおしたり。それがパソコンというものが出てきて、「CPUをはじめとしたパーツ一式とOSのようなもの」だと捉えるとスッキリすることに気が付きました。脳と意識の両方が揃うことで考えることができる。どちらと問題を設定したことが間違っていたというわけです。
 それから、意識というものは普段は概ね身体に沿う形に収まっているけれど、眠っているときなどに身体とは違う形に拡がったりずれたりということもありそうです。知らない景色を夢で見るのを睡眠中に意識が空間的に拡がっていた影響と考えると説明がつきませんか? 予知夢というのも同じように、睡眠中に意識が空間だけでなく時間的にも拡がっていた影響と見ると肯定できる気がします。起床後に覚えていることが稀であるために否定的に捉えられがちなのだと思います。


 魂、身体、意識のうち、触れたり見たりできるのは身体だけ。身体はこの世界の物質として確実に存在していると言えます。これだけが事実。この先はすべてが仮定の話になります。
 身体を足掛かりにして考えてみると、物質に過ぎない身体をどのような生命として機能させるかという方向性を定めるものが魂でしょうか。物質である身体と物質では無さそうな魂。位相の異なる両者が奇跡的に重なったところを一時的にひとつのものとして留め置くこと。それが意識の役割だと考えられます。数学の集合の話ですね。
 どんなモノなんだろう、意識。異なるものを引きつけ続けておくなんて、なんとなく重力みたいなイメージです。あるいは重力とは逆の、両者を包み込む膜のようなモノでしょうか。身体も魂もいずれは意識のくくりを離れてそれぞれの位相の重なっていない部分に移動していく、それが死という現象と言えそうです。
 死後、意識はどうなるのかについても考えてみました。魂の項で挙げた伝承によると、魂は眠りについて次の生を待ち、身体も土に還る。意識は、死後の魂が空へのぼる時、魂を守って一緒にのぼっていきます。そして気の川で記憶が洗い流される。ということは、身体が土に還るように意識も気の川に還るのかもしれません。


 一期一会は人と人との縁についての教えですが、魂と身体と意識の組み合わせについても言えることだと思います。あなたも私もこの組み合わせで生きるのは今生限りです。大切に、生ききりましょう。そしてどうか、同じように今生限りを生きている大切な人知らない人、彼らが生ききることもできるだけ尊重する人間であれ。


器である身体の話(2)

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 前回「身体は、私にとっては魂よりもずっと謎が深い。」と始めのほうに綴ったのだけど、本当に・・・! 力量もわきまえず身体について述べてみようなんて馬鹿なことをしたものだと、床をのたうち回りたい気分です。まあサイトの成り立ちの観点からは狙い通り(このサイトのURLはnaked-spirit、意訳でむきだしの魂)なので気を取り直していきます。それにしてもこのテーマ、今回でちゃんと終われるかしら…。


 まず、前回の(1)を読み直してみたのですが、最後の辺りで力尽きて茶飲み話みたいになってしまってごめんなさい。「成長期を過ぎたら身体は老いるばかり、努力して維持するのがせいぜいだと思う?そんなことないかもしれないよ?」と伝えたかったのです。専門家でもないのに安易に希望を振りまくつもりはないのですが、数年後数十年後になってみなければわからないということもきっとありますよ。新しい方法や技術が確立されるとかね。だからこれを読んでくれているあなたが今、身体のことで(他のことでも)何か問題を抱えていても思い詰めないで、ゆったり構えられる状態へと自分を導いてあげてください。


 さて今回は、身体についてほとんど話せることがないので脳の話をして、さっさと次回「意識」の話へ繋げてしまいたいと思います。詳しくないくせに脳に興味津々で、科学ニュースの関連する記事や本を読んだりする程度、知識と呼べるほどのものはありません。きっと今回も茶飲み話ですからね、ええ。以下、お読みになるかたはご覚悟くださいませ。

 そうだなあ…もう10数年前のことです。国内外で様々な「違い」による争いが絶えなくて、ちょっとニュースを見るのがしんどい時期がありました。それでも克己心とか使命感のようなものを感じて頑張ってニュースに向き合い続けて。ある日プツッと堪忍袋の緒が切れた。こういう場面で勇敢なる者の役を押し付けられるのはいつも夫、この時もそうでした。私「ねえこの人たちもこっちのニュースの人たちも、いつまで争ってるつもりかな」夫「どうなんだろうね(興味ない)」私「どうしようもないと割り切って歩み寄ろうって気にはなれないものかな」夫「なれないから今の状態なわけで(興味ない)」私「どうしようもないならせめて違いに目を向けるのをやめればいいと思わない?」夫「そう出来てたら平和な世界だねー(棒読み)」厭世の観を強めた私の中に強い思いがゆっくり立ち上ってきました。分断を叫び続ける人たちに、自分たちの団体ばかりに意識が向いて周りとは別になりたがる人たちに、会話に興味のない夫にも。私「もうさあ、いっそみんな地球人てことにしたら良くない?」夫「ハイー??!?」下がった気分の自分がとても真剣だったのは食事時のアルコールのせいだったと思いたい。私「みんなが意識を自分は地球人てシフトしていけば、人種も民族も国も地域も宗教も超えて一緒。地球人同士、争うのはやめておこうかってならない?」視線を向けると夫は本当に頭を抱えていました。
  この会話が問題になったのはしばらく後のことでした。時の日本の首相が突然「私達はみな地球市民です」的な発言をしたのです。私「この前の会話覚えてる?ウチ、洒落じゃなく盗聴されてるっ??」夫「無い無い、偶然だよ(呆れ)」パニックを起こしかけていた自分を落ち着かせながら私は何か思い出しかけて、でも思い出せないと感じていました。
 さらに時は流れてそれから4~5年経ったころでした。ラジオで昭和の懐かしい名曲特集をしていたので聴いていたら。流れてきたのですよ、まさかの答えが。(ジャスラックさんとの正しいおつきあいの仕方を事前に調べていなかった!今日のところは歌詞が載せられないです悪しからず。)透明感と生命力に溢れたしなやかな強さを秘めた歌声がとても魅力的な日本の女性歌手が、「ふるさと?地球よ」という内容の歌詞が出てくる歌を歌っていたのです。だいたい1980年ごろ? 当時、歌詞も曲も歌声も「すごく未来っぽい」と胸を躍らせながら聴いていたものでした。

 謎は解けました。1980年頃に聴いた歌を脳は記憶していた。2000年代に自分でみんな地球人と言った時も首相の発言を聞いた時も意識の表層に呼び出すことはできなかったけれど、私の地球人発言の下地にはその記憶が影響を与えたことは間違いない。そして2010年代にその歌と再会したことですべて繋がって、個人的珍事にようやく幕が下りたのでした。
 脳って本当に不思議です。だからこそ興味が尽きません。