2月にサイトを開設してもうすぐ6ヶ月になります。
開設前、それなりに調べたり本も買って読み込んだり設計図を描いたりと準備してみたものの、いざ契約して作業に取り掛かってみるとあちらもこちらも解らないことだらけ。調べるほどに解らないことが増えていくような感覚で、開設前に「こんな私がこんな状態ででネット上に場所を持つのは止めたほうが…」と理性的に考えもしました。
だらだらと調べ続けることで何かをやっている気になっていないだろうか。これではいつになっても始められない。期限を決めないと。というわけで、「キリよく始められそうな次の月初めに開設する」と腹を括ったのでした。
さて、半年ばかりで回顧話、でもないですが。
少しリズムが掴めてようやく余裕が出てきたので、最近サイト内の点検をしたのです。それで解ったのは、「WordPressはカスタマイズして使うもの」と捉えていたのは思い込みで、私の場合は間違った認識だったということ。調べるほどに解らないことが増えていったのは、初心者なのにカスタマイズ方面まで向かってしまったから。私の場合つまりお店や会社ではなく個人のブログを作りたい初心者はカスタマイズまでする必要はなくて、基本だけはしっかり選んで設定した後は用意されているものをそのまま使えば充分だったとようやく気が付きました(今頃…)。肩に力が入りすぎでしたかね。
ネット上で紹介されていた手法を使ってみたらOutだったらしく手直しされていたりもっと調べるべきでした、ごめんなさい。「これ不可逆のコードだからね!?」と詳しい方が強調してくれていたにもかかわらず取り入れて、数ヶ月経った現在「早まったかも…」と後悔したり落とし穴に自らハマる。今の私では「あかん!無理!」と強く感じたのでコメント欄は片づけました。
お問い合わせフォームは稼働していますので、私の不手際や投稿のここがわかりにくいなどご指摘がありましたらこちらをご利用ください。
どうしてブログサービスを選ばなかったの?と自分でも思います。もちろん契約前に比較して、ずいぶん迷って。高い山のほうのWordPressを選びました。脳も使わないと錆びちゃうからね、と思っての選択でしたがフル回転です。
本のカテゴリも概ねイメージが固まってきたのでぼちぼち始められそうです。遅くとも「読書の秋」までには始めますので、よかったら読みに来てくださいね。
「日々の覚書」カテゴリーアーカイブ
人と人との間には
九州南部の雨、いったんはピークを過ぎたようですね。まだ警戒を続ける段階とはいえ、ひとまずほっとされていると良いのですが。昨年、中国四国地方に大きな被害をもたらした豪雨の時にYahoo!の天気ガイド「雨雲の動き」を見ていたのですが、当時、九州南部にも結構な量の降水域の停滞があったんですよね。「台風もよく接近する地域だけあって治水がしっかりしている」と指摘されていて納得したものです。
記録的な豪雨で今回は土砂崩れや河川の氾濫などの被害はありましたが、日常を再び取り戻せるようお祈りさせていただきます。
私は、というと。少しダウンしていました。というか現在形でダウンしています。
生きていれば時々(いろいろな意味で)不調はやってくるものだけど、数年ぶりに精神の海溝に深く深く潜行しているような、そんな状態です。私がこの手の状態=抑鬱状態になるのは、誰かの望みを自分の望みより優先し続け過ぎたとき。わかっているので適度に譲ったり譲られたりしていたつもりだったのに、今回は悪いほうに歯車が合ってしまったようです。まあ、いつもうまくいくとは限らない。こういうときもあるね。
蛹のようにしばらく閉じこもって静かにしていたい。そうもいかなくて外に出て、人と話したら思いがけず心に水を少し分けてもらったり。そんなふうに、いつも、小さく助けられている。私も誰かの小さな助けになれているだろうか。死を迎えるその時に人間に対する感情がゼロよりちょっとだけプラスであるように。人類に今少しの猶予を、と祈りながら死んで行きたい。そう願う私には、それくらいがちょうどいい。
抑え込んでいる望みは。
ブラウザのリーディングリストには夫と話してみたいと思ったニュースや話題のリンクが溜まっている。今までに話すことができてリストから消えたのは数件。保存したリンクの全てについて話そうとはさすがに思っていないが、もう少し話せたら、とは思う。
そういった話をすることが夫は「苦手だ、好きではない」と言う。私は社会における自分たちの家庭、夫、自分の立ち位置を確認することは「ときどき~できるだけ必要」と考える。その行き違いがどちらかを抑圧する。今回は、私が抑圧されている側というわけだ。
話をしなくていいと考える人たちは忘れてしまっているのかもしれない。何故話をしなくていいと自分は考えることができるのかを。片手に収まるくらいの年齢のころに、この大人についていけば間違いないとか、この大人の真似をしていれば当たり前のことが当たり前に身につくとか。そういう体験に守られて、人の間で育った人は(成人かどうかはともかく)人間になることができている。
その体験を欠く私は外から眺めて見よう見真似で人間になろうとしてきたけれど不足している。人であり続けることは叶えているが、人間としてはでこぼこし過ぎで分野によって及第と落第の落差が激しい私は、自分で得た家庭でおそらくはずっと、一生、補完し続けることが必要なのだろう。そのためにあなたと話したい、勝手だけど力を貸してほしいのだ、と。呼吸と同じくらい必要なことなのだ、と何度か伝えたけれど。難しいのだろう。仕方のないことだ、夫と私は別の人間なのだから。それでも苦しいものは苦しくて、ときどき今のような状態になる。
人と人との間には。
深くて埋められない溝があるのか。
隙間を埋める情があるのか。
それを決めるのは当事者たち。
山形県沖2019年6月18日
昨晩、山形県沖を震源とするマグニチュード6.8の大きな地震がありました。
最大震度は新潟県下越地方で6強。山形県庄内地方で震度6弱でした。22時22分という遅い時間の地震で、全容がわからないまま朝を待つのがどれほど不安だったことか。
怪我をされたかたのご快癒を心よりお祈り申し上げます。
建物等の被害や、6強6弱ともなると建物内の被害(落下物など)もかなりのものと思われます。作業に当たられる際はどうか怪我がありませんように。
皆様が平穏な日々に戻れますよう心よりお祈りいたします。
6月19日夜に