日々の覚書」カテゴリーアーカイブ

思いを伝える、思いを汲みとる

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サイトへの投稿がようやく10件を超えようというところで、ふと気になった。
読んでくださる方たちに伝えたい内容を、私の文でちゃんと表現できているだろうか。

こんなことが気になったのは、例えば虐待の疑いのある子どもに本当の気持ちを話してほしいと願うとき、どんな言葉を選び、どんな声色、声の高さで、どんな表情、姿勢、眼差しで接したら心を開いてくれるだろうと考えてみたからだ。対面しているのであれば、全身全霊を以て「安心して」と伝えることも、反対に自分をできるだけ無に近づけて相手の言葉を待つことも(理論上は)可能だ。だが文章だけでそれができるだろうか。
同じ文章でも話し方ひとつで意味が真逆になることもある。話すスキルが封じられているなら、誤解を生まないよう慎重に文章を綴ること。そう思い定めたもののこれが難しくて。普段からぶれない思考を習慣づけようとする一方で、遊び(余白)の無い人間に他者の思いがわかるだろうか他者を受容できるだろうかと疑問に思ったり。つまりは、とても人間らしく揺らいでいる。

揺らぎなどと言うと個人的な内面の吐露に聞こえるが、これは普遍的なことでもあるのだ。揺らぎつつバランスをとること、それは生命の営みそのものだから。
日々、試行錯誤してみたり葛藤してみたり休憩してみたり、その中でバランスをとる方法は人それぞれ。多くの方法に触れて、備えてほしいと願う。
転んでもまた歩きだせるように。

成人とは自分を治めている人のこと

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前回は偏った話し方をしてしまった。もう少しかみ砕いた、思いやりある言葉を選べなかったかと反省している。ニュースを俯瞰していて、ヘイトや揚げ足取り、分断策が増えていると感じていたのでちょっと焦っていた。りっぱな老婆を目指しているのになんとも情けないことです。

うまく伝えられるといいのだけど。私は昔、小学校前くらいの頃、「自分で決める」ことが恐ろしくてたまらなかった。正しい行いや考え方を私に沁みこませようと身近に付き添ってくれる大人がいなかったから、怖ろしい嗤い方をする人たちに「バカだバカだ」と繰り返されていたから、「子どもでバカの私が何か決めるなんてあってはいけない」と心底おそれ戒めていた。選択を迫る人が現れたら憤りを覚えてしまうくらいに。
程無く、自分で決めさせてもらえないほうがもっと恐ろしいと気づいたが、気づくまでの「選択からの逃避期間」は悪い意味で楽だった。何もわからず恐がっているだけの自分を肯定できるのだから。それは本来幼い子どもにだけ赦されている「無知」という状態だ。その先に多くのことを知る将来が控えているから、恐がるだけの状態を赦されるのだ。大人が悪いことのために道具として便利に使っていいものではない。
前回は「それを忘れてしまったの?」と問いかけたかったのだ。忘れることだってある、思い出してみる?とそっと背を押したかった。そっとではなくバシーンと力強く押してしまった気がするので、ごめんなさい。

言われたことを鵜呑みにしないで、自分の目や耳などで感じて、自分の頭で考えて判断する。道具として使っていいのは「自分の思考力」のほう。自分に対して政治を行い、社会のためや善行のために長所短所をうまく使う。それが身につくことを成人すると言う。
20歳18歳というのは法的な分類に過ぎない。もっと年若くても、自分を律して行動を決めるしっかりした人はたくさんいる。増えてきた、とも感じている。頼もしく素晴らしいことだ。

このような変化を見ていると、中高生の頃に読んだインド系の哲学を思い出す。ヴィシュヌ(維持)の時が終わり、シヴァ(再生のための破壊)、そしてブラフマー(創造)へと移行しているのだと。激動の時代には、それを乗り越える器を持つ若い人たちが増える。それが天の采配、自然の摂理というものだ、と書かれていた。自分の死後よりも先の未来、そこに希望があることを願ってそんなことを思い出している。
哲学(宗教)は、子どもの頃に泣いて欲しても得られなかった当たり前で尊いもの、ためになる知恵を授けてくれた(哲学の前は物語だった)。西洋に始まり日本、中国、インド、古の時代と読み進んだが、全てに助けられた。だからこそ読書の果てに、目の前に存在している人との対話を大切に思えるところに辿り着けた。
いつか本の話もしたいと思う。

読みやすい文章をなかなか綴れないけど、気が向いたらどうぞ読みに来てください。

先へ向かう前に

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今日はただのボヤキだなあ。時間を無駄にしたくないかたはすぐにブラウザを閉じましょう
でも「誰か」のために掲げておきたいので。ごめんなさい。老婆(予備軍)の繰り言で時間を無駄にしたくないかたは、すぐにブラウザを閉じましょう。大事なことなので2度綴りましたよ。

何か問題を解決しようと欲しているとき、正しい情報が必要な量より多く揃っていれば、答えはおのずと見えてくる。答えが自然に降りてこないときは適切な情報が不足(脱落、数などの不足)しているか、答えを得られる時機が到来していないのだ。

これが人間関係だと情報を意図的に阻害している人(達)がいたり、と思っていたら。
まさかの統計不正のニュース、国民の生活の基本的な指針にかかわる仕事でそんなことになっていてとても悲しいです。虐待もブラック労働も、貧困も。日本全体が予備貧困状態になっているのも。政権や省庁が教養ある大人の振舞いを捨てたせいだと、思わせないでほしい。審判はしたくない。タタリ神になるのもごめんです。
怒っている声はとても多いのに、ひとりひとり事情に沿う形で国や社会の存続を願って自重している。民は分別を示している。

現在だけを見て、バレなければ何をしてもいい、責任の末端で済むなら何してもいいみたいなことしてる人たち、もうやめよう。あなたの行いをあなたの中のミトコンドリアとか腸内細菌とか、人間とは違う時間軸で生きている存在が見て伝えている(かもしれない)、という研究があるらしい。子どもや孫、後世の人たちに慕われる人でいてください、お願いします。あなたたちの周りのさらにその周り、そこにいる人たちも同じ人間です。

あなたたちの精神に毒を注いでいい加減な仕事をするよう仕向けた人達が何者なのか、もう一度考えてみませんか。日本の歴史、世界の歴史を紐解いてみてください。あなたたちが状況の支配者だと誤認させられてはいませんか。汚れ仕事に利用されているだけではありませんか。もう数段奥の事情まで、よく見きわめてください。官僚になれた能力があるのだからできます。政治家さんも読みができる人たちなのだからできます。無理と思ったら人間力でカバーです。
餌につられる獣とは違うってところを、見せてください。
本来の自分はどんな人間でしたか?