闇の覚書」カテゴリーアーカイブ

たったひとつ

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 すごく気が向かなくて、今もキーボードに載せている手から力が抜けていく・・・。
 でも日本のニュースを眺めていてさすがにちょっと、ね。
  
 母の話を、私はネット上にあまり載せたくない。母の(母だけではないけど)言動について書いたり話したりするのは悪意を実行する手法を伝授することとも重なる。その手法は日常生活において簡単に模倣できるものがあまりにも多かった。だから子どものうちから、手法を広める意図が私に無くても、余程の相手、余程の局面でもなければ詳細を開示してはいけない話として扱ってきた。禁書のように。
 その手法を聞かせてしまった相手がいつでもベターな心身を保っていられるとは限らない。病気、ストレス、貧困、あるいは人からは些細なつまらないことと思われるようなことでも。何かの弾みで心の箍が緩んでしまったとき、母の手法を知っていたら。ストレスをひとつ余計に抱えさせてしまうかもしれない。心身が弱っているときにそれは良くないことだ。
 人に何かしてあげられるようなところのない残念な子どもだった私にだって、他者を守りたい気持ちがあり、出来ることがあった。ゼロをプラスにするような効果的なものではなく、マイナスを生じさせないというだけの消極的な布石。
 人間生きていれば魔が差すような局面にぶつかることもある。魔に屈するか、自分を保つか。ここを別けるのは、その人がどんな思いや言葉や知識を与えられ自らも掴み取り備えてきたか、だと思う。悪意を実行する方法など大半の人にとって不要な情報でしかない。脳のスペースを費やすなら、自分を労り、大切な人達とついでだから知らない誰かのことも本当の意味で大切にしてあげられる方法について覚え込むことのほうが、ずっと合理的建設的というものだ。
 というわけで。
 配慮を欠いたことによる間違い情報も悪意からの嘘も多かったし、母が私に刷り込んだ常識(?)や「こうするのよ」「こうして」「いいからやっちゃいなさいッ!」は、実にほぼ全てが正反対の誤りで、家を出てからその影響を自分から引き剝がすのには本当に難渋したけど。
 その中にたったひとつ(やっとタイトル回収です)、本当にひとつだけ正しいものがあった。それは、
「刃先を人に向けるものではない」
という言葉。空気感と共に今も覚えている。この言葉をかけてくれた時の母が常の母であったなら、母と私の関係は違ったものになっていただろうという一抹の寂しさを伴う記憶だ。憐れみを覚えることはあっても親しみのような思慕の念は抱きようも無い母だった。それでも、家事で包丁やはさみを扱うときにはその教えが身に染みていることに気づいて、その点は心底ありがたいと思っている。

  
 自分を保とうと頑張るあなたの闘いが少しでも穏やかになりますように。
 いま、魔が差しそうな危うい場所にいるという誰かにも、この思いが届きますように。
  

 さて、怒涛の数ヶ月を経てようやくひと息つくことができた11月。あっという間に過ぎてしまって、今週末はもうブラックフライデーですね。今朝、ネットニュースでブラックフライデーは「この週末ですべてのお店が黒字にな~れ」という意味が込められているという話を読んで、気持ちが少しほわっとしました。がめつい感じが前に出るとお互い退いてしまうので、売り手も買い手もwinwinを目指しつつ強かに盛り上がれたらいいですね。
 日本のコロナの状況は今、まあまあの落ち着きを見せていて、様々な立場の多くの皆様(自分のような者も含む)に感謝と労いの気持ちを抱いています。あ、ワクチンは受けました。推奨する意図は無いですが、以前の投稿で軽く触れた話題なのでご報告しますね。ハプニングの神に気に入られているので接種前にひと悶着。さらに接種の日は2回とも不安と緊張で常より1℃も体温が低くなって心配したのですが、接種後は意外にも副反応がほとんど無くて、3日ぐらい接種部位に腫れ物感があっただけでした。夫が2回目の後に少し発熱したりしたので、私の2回目後も副反応があるものと夫婦で想定を共有していたのですよ。2回目の接種前などは副反応で私が寝込んだら夫が自分の食生活と健康を守れるようなリストを用意したりとそれはもう入念に準備をしておいたものの、杞憂に終わりました。良かった良かった。ありがたい。
 コロナ、このまま終わってくれたらいいのにね。国内の準備状況のニュースにしても、欧州の様子にしても、もう1波は覚悟しておいたほうがいいのかな。
 個人的には原油の価格のほうが今はより心配です。昭和の時代にもオイルショックがありました。当時のことを改めて調べたら、私の父がリストラに遭った遠因のひとつにオイルショックも考えられるような時系列でした。そういう個人的な事情からの憂いもあって、現在、コロナで経済的に困窮している世帯も増えているところへの原油価格の高騰はどうにも気になります。ガソリン高過ぎて、、車ありきの生活環境になってしまっているから地方は深刻、離島は死活問題だよね。これから寒くなるので灯油も電気も気になるし、何より心配なのは流通。全国どこも、運べなくては立ち行かないですからね。心配といっても相変わらず私に出来ることは無くて、政府が後手にならぬよう配慮して対処しようとしている様子とニュースでは読めるので、信じて先行きの明るいことを願うばかりです。
  
  

楽園の果実

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 この投稿はセンシティブな内容に触れています。年若い方や心の境界がしっかりしていない方は、読まずにブラウザを閉じてしまうことをお勧めします。

 幼いこどもが虐待で亡くなるニュースは…辛いよね。唐突な始まり方でごめんなさい、冬の終わりにニュースを読んでからずっと精神に爪を立てられている感じでね。
 虐待について話すことは気が重く荷も重い。「私」が始まったのとほぼ同じくらいとても長い間観察し続けとても深く考え続けてきたから。様々な角度から光を当てて、ある時は親は悪くなかったと捉えられそうな地点を探し、次の時にはやはり彼らは親として駄目ではなかったかと悲しみに囚われ。歪んだ笑顔で「あんたは子供だからわかんないんだよ!」とおかしな勝ち誇り方をされて腹が立っても、ならば今の親の年齢に私が辿り着いたときに答えは見つかるだろうと自分を抑えた。そういった記憶が、封印を破ろうと暴れるのです。

 下書き途中で数日放置してしまいました。とてもつらい作業です。でも虐待事件が多すぎて。当事者としての記憶を伝えることで、防ぐ或いは解決する方法を見つける一助にならないだろうかという思いも少しある。
 この数日私を悩ませていたのは、如何にすれば自分がされたことを具体的に書かずに彼らの思考や行動の癖を伝えられるだろうか、ということ。具体的に書くということは虐待撲滅に寄与する可能性の一方で、虐待の手段をレクチャーすることに成りかねませんから。
 そんな魔法みたいなこと、少なくとも私の表現力では無理だな、と諦めて再び文章を綴っていますが、どうしてもキーボードを打つ指が止まりがちになります。

 母は執拗に私のせいだと押し付けて私に罪悪感を植え付け支配しようとしていたけれど、その行為への反発、「物事の順序から考えておかしいのでは?」という意識こそが、支配されない脳を守り育てる原点でした。
 ・・・今日はやっぱり辛いので抽象的な話でお茶を濁してしまおう。この春はEDENの文字をネット上で見かけることが多くて、ふと思い返してみたのです。今頃気付いたのかと言われてしまいそうですが、聖書のエデンのお話。イブが食べてしまったとされる 禁断の果実 というのは、特定の果物を指しているのではないのかもしれませんね。我が子への虐待に限らず様々な罪、してはいけないことをすることに悦びを感じるような、脳の在り方にエラーが起きた状態を表しているのかな、と。
 赤子の手をひねるような、という言い回しがあるけれど、幼子の思考に先回りし罠を仕掛けて陥れることは、人間性を捨ててしまったものにとっては造作もないことなのかもしれません。
我が子を虐待するのは、それを行っても「私達の子供に何をする!」と怒る人がいないと高を括っているから。反撃されない相手を狙う、弱くて狡い卑怯な選択です。

 父と母どちらか一方から始まった場合、その陰には配偶者への不満が隠れていたりします。配偶者に対しては隠蔽を謀るところから始まり、自分より弱い相手と見るや共犯に抱き込もうとします。配偶者だけでなく他の家族や他人まで抱き込む人もいます。抱きこまれる立場で当事者になってしまった人たちがどの時点でどのように行動するかは実に様々です。
 両親揃って何となく合意して我が子を虐待している場合は、どちらか或いは双方の親(虐待児から見て祖父母)への不満や恨みが根底にあったりします。事件となってニュースで取り沙汰されるケースでは社会への不満なども指摘されることがあります。
 どのようにして始まったにせよ、心が確りとしていないことと物事をよく考えないことに加え他者に責任転嫁する、というのは共通して抱えている問題のように見えます。自分の問題は自分の荷物としてしっかり持たないと、解決に取り組むことさえ始められないですよね。

 こんな辺境のサイトにお運びくださっている皆様には、どうか、どんなに心が弱ってしまった時でも道を踏み外さずにいられますように。私自身も。
 ふだんの何でもない時から、ものを考えたり確認したりすることを習い性にしてみてください。呼吸と同じように、意識するまでもなくそう出来るように。あなたの価値の基準としてしっかりと身についたならば、自分を失うほどの悲劇に見舞われた時でもその物差しが光となって導いてくれるでしょう。願わくば導かれる先が善き場所であるように、視野を広く持ち、自分にも他者にも長い目で接してみてください。
 そして、正解は1つではありません。方法も同じく幾通りもあるはずですから、自分に合うやり方を探してみてください。

 コロナや貧困や差別や。ひどく荒廃してストレスフルな世の中ですが、このサイトを訪れてくださる方々の日常において、大切な人達との穏やかなひとときが守られますよう心からお祈りします。

2021.05.13 他の記事のついでに、文頭の1文字空白を反映させる作業をしました。