春ごはん 2021

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 5月が終わっていたのに、春のごはんの話をするのをすっかり忘れていました。
 ん-でも…。夫と少ーし喧嘩して食事の記録を投げ出していた期間を含むので、無意識のうちに「触れたくないなぁ」と避けていたかな…。一応ご飯は作っていましたよ、熱意は省エネモードでしたけど! そのような状況だったのと、もともと料理上手でもないためにお話しするほどの種もないので、大変都合よく忘れていたというわけです。何たる怠惰!そんなわけで、間が抜けている3月から5月の食日記を見返して気付いたことなどを。

 野菜は1年中どの季節にもそれぞれのおいしさがあるものですが、その中でも春の野菜は活力に満ちていて私はとても好きです。ひたすら瑞々しい…!そのおかげで火が通りやすいので、冬の間オーブン料理や放置系煮込み料理に偏りがちだったメニューがガラリと入れ替わります。夏の陽ざしに晒されたほうれん草やピーマンはあく抜きを少し失敗するとえぐみ(芹の苦みとは別のもの)が勝ってしまうことも多いですが、春にはそのような心配が無いのも嬉しいところ。サッと火を通して、しらす干しや削ったかつお節や胡麻、好みの油を少しと塩かしょう油をかけるだけで、おなかも心も満足のひと品という手軽さ!有難い幸せな季節になりました。油は無くてもいいのですが、年を取ってくると体もいろいろ衰えてきますからね、食欲喚起と潤滑油として必要なときもあります。メニューのバランスを見て、ですね。
 それと、春になったらトマトも解禁です。有難いことに今では1年中食べられるトマトですが、ひどい冷え症のために冬の間はサラダの付け合わせぐらいで我慢することに決めていまして(そういえば胡瓜も同じ扱いの食材ですね)。私が春を待ち遠しく感じる気持ちの何割かは野菜恋しの食欲に違いない。少し早いけど我慢も限界の3月中旬、目玉焼きのフライパンの端に入れた、まだ皮が柔らかい春のミニトマト。じんわり温まったそれを朝から食べる幸せよ…。まあトマトの本番は夏なので、春の間は「トマトが食べたいのよ」と体に催促されたら、という感じです。
 春はトマトの他に「無性に春人参を欲する」という要求もあったり、体の声を聞けるようになるといろいろと興味深いです。春の人参は食べること以前の 刻んでいるときの香り が私の体にとっては重要らしいとかね。芳香の効果というのは侮れないものです。30代で死にかけていた時も昨年春に体調を崩した時も、食欲の復活より前に生の人参の香りが恋しくて。「あの香りを嗅ぐことができたら私は治る、元気になれる」と確信していました。背筋がピンとして脳が啓かれる感じがするというか…、説明が下手ですみません。実際、30代のその時期でも作り続けた切り干し大根の煮物と昆布の煮物ときんぴらごぼうには細切りの、豚汁には銀杏切りの人参は欠かせないものでしたし、昨年台所に復帰したとき最初に手にした野菜も人参でした。
 野菜や果物のような自然な芳香による効果は、極限近くまで体力が落ちた体にも穏やかに作用して体力回復の一助となり得ます(医食同源に基づいていますが万能ではありません、あくまでも体力回復の助けです)。今、コロナに罹患した方たちが嗅覚に異変をきたしていることは芳香による恩恵は難しいと示唆しているわけで、ワクチン接種が進む一方で治療薬の開発や認可はどのような状況なのかという点はとても気になるところです。政府が安全を図っているつもりでも、国民が安心と受け取る段階ではないと考えている理由のひとつは、そこにあるのかもしれませんね?

 腹7分目くらいでいいから皆がご飯を食べられる、そんな世界だといい。そうしたら体力保持ができて、病気に負けない体で、体や脳を動かすこと働くことが楽しいと思える。…そういうのが幸せのひとつの形だと思っていました。産まれて間もない頃から健康とは無縁で生きてきましたからね。高熱の後遺症も嫌というほど知っているし、肺炎の苦しみもひと桁の年齢からの長い付き合いです。
 今、コロナという感染症の危機に世界が脅かされて思うのは。体や脳を動かすこと働くことが楽しいという価値観の裏側にあるものを忘れてしまった人達が世界にはいつからか増えていたのかな、と。その状態が本当は有り難いもの=奇蹟なのだと謙虚に感謝することを忘れてしまうと、体や脳を動かすこと働くことがままならない状態の人を思い遣ることもしなくなってしまう。自分の努力で勝ち取った権利だからと、そうではない者達を顧みることなく切り捨てる。感染症の危機の裏側で、人間は精神の貧困という危機にも瀕していて、「だから今、コロナだったのか」という見方もできる。
 ・・・もしかして。少し前にサンデル教授が仰っていたのがこのことだったのか。YouTubeか書籍で後追いできるかな、探してみよう。そう言えば日本語だとサンデル教授と呼ばれているけれど、英語だと教授と博士、どちらで通っているのだろう?

 世界がコロナに脅かされて1年と半年近くになるのですね。世界中でとても多くの方が亡くなられています。亡くなられた方とご家族や親しかった方達には、いつの日か安らかに懐かしむことができますようにと心から願っています。
 何が正解か見きわめるのが難しい時が続いていますよね。時が至らないと正解が現れない、そんな状況なのかもしれません。なかなか厳しいね。時が満ちるまで、人間性を失わないこと、人で在り続けること。「それってどういうこと?」というのをひとりひとり自分の中に確かめる、それぐらいしか出来ることはない気がしてしまいます。ちょっと悲観が過ぎたかな。
 自分で自分の心を追い詰めないように、自分を寛がせる方法をいくつか用意してうまく乗り越えてくださいね。余裕があったら自分の大切な人が安らげるよう手伝ってあげたりということも人で在り続けることのひとつ、人からもぎ取らないこともまた人で在り続けることのひとつです。
 わかりやすい言葉で簡潔に伝えられなくて申し訳ない。コロナが過去形になる日を、ひとりでも多く皆で迎えられるように。今願うことはそれだけです。