福島の桃

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 皆様こんばんは。久しぶりの投稿になります、lawbaです。
 前回の投稿のすぐ後から今日まで、オリンピックやコロナで世の中はずいぶんと動いていたのですが、だんまりを決め込んでいたような感じになってしまってごめんなさいね。
 鈴木北海道知事や内堀福島県知事や、感謝した対象は大勢いたのだけれど、いろいろなことが起こり過ぎて。事が大きすぎるのと範囲が広すぎるのとで、この状況について何かを語るのは私では力不足でした。私自身の内面もオリンピックに対して、ミクロの私は招致の看板とするために「復興」を持ち出された時からヘイト感情しかない状態、マクロの私は選手をはじめとする参加者や福島もそうですが会場となった開催地の人々のことを思って無事に開催されることを願う状態、という矛盾を抱えていたので、時が流れるに任せるしかなかったのです。
 オリンピックで日本に注目している海外の方々には日本がみっともないところをお見せして申し訳なく思います。
 開会式直前にこれでもかと続いた数々の事件については、言葉足らずのままになることをお許しくださいね。でも、今回の開会式について先の演出案が流れたことは正しかったと私は思います。同じ答えを予想してしまった方が、私と同じように胸にしまうことを選んでくださったら、心から深く感謝します。
 昨晩の開会式はまだ文字と静止画像でしか知らないのですが伝統的な日本の好さはあまり感じられないものだったようで…。それから、多様性を表現するにはまだ理解の深まりが十分でない、そんな印象を受けました。多様性の受容というのは自分らしさ(自国らしさ)の肯定の上に成り立つものだと考えているのだけど、失われた30~40年を抱える日本にはもう少し時間が必要かもしれませんね。日本の教育はどういうわけか自国らしさを封じる傾向が強かったのでね。現在はどうだろう?
 福島のこども達の朝顔の件とか、いろいろあり過ぎて心が波立ってしまったので、動画はもう少し時間をおいてから見てみようと思います。様々な形で携わった皆様、本当にお疲れ様でした。

 さて、本題より前置きが長くなってしまったかな?桃ですよ桃。福島の桃!
 最初にお礼を申し上げたい、ソフトボール・アメリカ代表のエリクソン監督、福島の桃を食べてくださってありがとうございます。「デリシャスだった」とのお言葉、堪能していただけてとても嬉しいです。生産者の方々も喜んでいらっしゃると思います。2021.07.25追記同じくソフトボール・オーストラリア代表のハーロウ監督も桃をほめてくださってありがとうございます。福島の街並みや山々など景観もほめてくださったのですね。とても嬉しく感謝しています。安達太良山Adatara-yamaは形の美しい山なんですよ。コロナの下では叶いませんが、自然の景観を楽しまれる方達には会津地方まで足を延ばして飯豊Iide連峰も見てもらいたかったな。追記ここまで。
 今年の桃は少し小ぶりでその分ギュギュっと美味しさが凝縮したような、すごい桃です(と断言するのはちょうど昨日の朝、桃を買ってきて食べたからです)。外皮の色味を見ただけで今年はちょっと違うと心が躍りました。オリンピックの年にこの出来栄え…!この巡りあわせは奇跡かなと思うほど。大げさでなく半世紀福島の桃を食べてきて1番おいしいです。思い込みではないことの証明のために捕捉しますと、先週も先々週も真夏日の晴天が続いて合間には結構な雨も降りまして。人の身にはいささか厳しいが、桃としては美味しくなるしかない条件が揃ったのでしょうね。最近の全国の天気を思い出してみると、福島だけでなく全国的な傾向かもしれません。
 それに桃以外の果物も野菜も今とてもおいしいです。何かと制約のあるオリンピックではあるけれど、ごはんだけでも楽しんでもらえるといいな。

 さてさて。日本はかなり暑い日が続いています。私は年のせいか体積が小さいせいなのか、6月初めに早くも熱中症の初期症状に陥りました…。なんと脆弱な、と自分でも哀しく情けなくなりました。眠っていた間のことで仕方ないとは思うものの、寝る前のひと口ふた口の水分が生死を分けるような年齢にさしかかってきたのかと、少し気落ちしてしまって。
 皆様はここまでではないことを祈ります。熱中症にも南半球の方は寒さにも、あとコロナにも気を付けてお過ごしくださいね。

2021.07.25 文中に追記させていただきました。両監督、選手の皆様、スタッフの皆様、本当にありがとうございます。
 
 

2021年7月豪雨

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 熱海の大雨による土砂崩れの被害を画像で拝見しました。行方不明の方々が見つけてもらえるよう、また捜索に当たる皆様が二次災害に遭わないよう、祈っております。被災された皆様も、穏やかな日常に戻れますように。
 また昨日は山陰地方、今日は山陽地方で大雨の被害がありました。梅雨時ですし、日本全国どちらにお住まいでも防災の備えを。怯えて暮らすこともないですが、有事に思考停止しないためには「明日は我が身かもしれない」という心の備えも大切ですね。家族や大事な方々と連絡が取れなくなった時どうするかといった決め事を確認したり、今できること自分たちに必要なこと誰かのためにできそうなことをひとつひとつ整理しておきましょう。

 東京都は8月22日まで緊急事態宣言が出されるようです。宣言下のオリンピックですか。東京都埼玉県千葉県神奈川県では無観客の大会とすることも決まりましたね。福島は観客あり、なのですね…。楽しみにしている方たちもいるわけで頭ごなしに反対はしないけど。
 開催すると言い張るからには「安心安全な大会」を完遂するに十分な目算、計画、覚悟があるのだろうと半眼で眺めているのだけど、地に足が着いているようにはまったく見えないのですよ。またしても、日本の国のことなどどうとも思っていない人たちに手を引かれるまま隘路に追い込まれたように見えてしまってね…。私の読み違いならいいのですが。オリンピック招致から現在に至るまでの関係者の言動の端々に、我が亡き母と似た傾向が窺えて実に不安。太平洋戦争の検証、もう一度してみれば?って感じです。
 WHOが今年の初めぐらいに「2020年春までの見解は間違いでした」と言ってくだされば、日本側も「WHOの情報に基づいて2020年3月にオリンピック1年延期を申請したが、訂正されたので変更する」と言えたかもしれない。日本にとっても世界にとってもそれが無理なところのない流れだったように思います。今となっては仕方ない。仕方ないけど、世の中、私のように世捨て人の隠居ばかりではないからね…。若い人、子どもたち、人生で叶えたいことをまだいっぱい持っている人ほど我慢している状態でしょう?肚にいろいろ抱えさせてしまったと申し訳なく思います。
 誰かが頑張っている姿を見せてもらうこともよい体験ではあるけれど、自身の体験に勝るものではないと思うのね。多くの国民が生活を夢を諦めさせられる一方で、五輪だけは通ってしまう。この事実をまもなく有権者になる彼らがどう捉えるのか。これほどの社会状況に揉まれた彼らが大人になる社会がどうなっていくのか、実に興味深いです。願わくばより成熟した社会であれ。
 マスコミの皆様の役割も大事ですので、日本の社会が分断されないようにどうぞよろしくお願いしますね。
 
 

春ごはん 2021

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 5月が終わっていたのに、春のごはんの話をするのをすっかり忘れていました。
 ん-でも…。夫と少ーし喧嘩して食事の記録を投げ出していた期間を含むので、無意識のうちに「触れたくないなぁ」と避けていたかな…。一応ご飯は作っていましたよ、熱意は省エネモードでしたけど! そのような状況だったのと、もともと料理上手でもないためにお話しするほどの種もないので、大変都合よく忘れていたというわけです。何たる怠惰!そんなわけで、間が抜けている3月から5月の食日記を見返して気付いたことなどを。

 野菜は1年中どの季節にもそれぞれのおいしさがあるものですが、その中でも春の野菜は活力に満ちていて私はとても好きです。ひたすら瑞々しい…!そのおかげで火が通りやすいので、冬の間オーブン料理や放置系煮込み料理に偏りがちだったメニューがガラリと入れ替わります。夏の陽ざしに晒されたほうれん草やピーマンはあく抜きを少し失敗するとえぐみ(芹の苦みとは別のもの)が勝ってしまうことも多いですが、春にはそのような心配が無いのも嬉しいところ。サッと火を通して、しらす干しや削ったかつお節や胡麻、好みの油を少しと塩かしょう油をかけるだけで、おなかも心も満足のひと品という手軽さ!有難い幸せな季節になりました。油は無くてもいいのですが、年を取ってくると体もいろいろ衰えてきますからね、食欲喚起と潤滑油として必要なときもあります。メニューのバランスを見て、ですね。
 それと、春になったらトマトも解禁です。有難いことに今では1年中食べられるトマトですが、ひどい冷え症のために冬の間はサラダの付け合わせぐらいで我慢することに決めていまして(そういえば胡瓜も同じ扱いの食材ですね)。私が春を待ち遠しく感じる気持ちの何割かは野菜恋しの食欲に違いない。少し早いけど我慢も限界の3月中旬、目玉焼きのフライパンの端に入れた、まだ皮が柔らかい春のミニトマト。じんわり温まったそれを朝から食べる幸せよ…。まあトマトの本番は夏なので、春の間は「トマトが食べたいのよ」と体に催促されたら、という感じです。
 春はトマトの他に「無性に春人参を欲する」という要求もあったり、体の声を聞けるようになるといろいろと興味深いです。春の人参は食べること以前の 刻んでいるときの香り が私の体にとっては重要らしいとかね。芳香の効果というのは侮れないものです。30代で死にかけていた時も昨年春に体調を崩した時も、食欲の復活より前に生の人参の香りが恋しくて。「あの香りを嗅ぐことができたら私は治る、元気になれる」と確信していました。背筋がピンとして脳が啓かれる感じがするというか…、説明が下手ですみません。実際、30代のその時期でも作り続けた切り干し大根の煮物と昆布の煮物ときんぴらごぼうには細切りの、豚汁には銀杏切りの人参は欠かせないものでしたし、昨年台所に復帰したとき最初に手にした野菜も人参でした。
 野菜や果物のような自然な芳香による効果は、極限近くまで体力が落ちた体にも穏やかに作用して体力回復の一助となり得ます(医食同源に基づいていますが万能ではありません、あくまでも体力回復の助けです)。今、コロナに罹患した方たちが嗅覚に異変をきたしていることは芳香による恩恵は難しいと示唆しているわけで、ワクチン接種が進む一方で治療薬の開発や認可はどのような状況なのかという点はとても気になるところです。政府が安全を図っているつもりでも、国民が安心と受け取る段階ではないと考えている理由のひとつは、そこにあるのかもしれませんね?

 腹7分目くらいでいいから皆がご飯を食べられる、そんな世界だといい。そうしたら体力保持ができて、病気に負けない体で、体や脳を動かすこと働くことが楽しいと思える。…そういうのが幸せのひとつの形だと思っていました。産まれて間もない頃から健康とは無縁で生きてきましたからね。高熱の後遺症も嫌というほど知っているし、肺炎の苦しみもひと桁の年齢からの長い付き合いです。
 今、コロナという感染症の危機に世界が脅かされて思うのは。体や脳を動かすこと働くことが楽しいという価値観の裏側にあるものを忘れてしまった人達が世界にはいつからか増えていたのかな、と。その状態が本当は有り難いもの=奇蹟なのだと謙虚に感謝することを忘れてしまうと、体や脳を動かすこと働くことがままならない状態の人を思い遣ることもしなくなってしまう。自分の努力で勝ち取った権利だからと、そうではない者達を顧みることなく切り捨てる。感染症の危機の裏側で、人間は精神の貧困という危機にも瀕していて、「だから今、コロナだったのか」という見方もできる。
 ・・・もしかして。少し前にサンデル教授が仰っていたのがこのことだったのか。YouTubeか書籍で後追いできるかな、探してみよう。そう言えば日本語だとサンデル教授と呼ばれているけれど、英語だと教授と博士、どちらで通っているのだろう?

 世界がコロナに脅かされて1年と半年近くになるのですね。世界中でとても多くの方が亡くなられています。亡くなられた方とご家族や親しかった方達には、いつの日か安らかに懐かしむことができますようにと心から願っています。
 何が正解か見きわめるのが難しい時が続いていますよね。時が至らないと正解が現れない、そんな状況なのかもしれません。なかなか厳しいね。時が満ちるまで、人間性を失わないこと、人で在り続けること。「それってどういうこと?」というのをひとりひとり自分の中に確かめる、それぐらいしか出来ることはない気がしてしまいます。ちょっと悲観が過ぎたかな。
 自分で自分の心を追い詰めないように、自分を寛がせる方法をいくつか用意してうまく乗り越えてくださいね。余裕があったら自分の大切な人が安らげるよう手伝ってあげたりということも人で在り続けることのひとつ、人からもぎ取らないこともまた人で在り続けることのひとつです。
 わかりやすい言葉で簡潔に伝えられなくて申し訳ない。コロナが過去形になる日を、ひとりでも多く皆で迎えられるように。今願うことはそれだけです。