散文

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 駄目だー・・・。
 「のっけから何事?」ですよね、すみません。このところ幾日も、投稿しようと打ち始めてみては全消去を繰り返していて。自分の文章をまとめる力に絶望した。
 日記的な文章サイトという性質上少し緩めの基準かもしれませんが、アクセスの多寡にかかわらずインターネットという公共の場に言葉を送り出すからには、拙文といえども自分なりの投稿基準があるわけです。生の感情って、時には暴力になることもあるので、成型はしないとね。何の配慮もせずそのまま、というわけにはいかないんですよ。他の比喩表現をするなら、イコライザーで「ここからここまで」と制限するようなことを文章を紡ぐときに行うわけです。
 ところが。時間をかけても1日寝かせても、抑えても抑えても、文章のそこかしこに怒りやら悲しみやら厭世の感情が強く入り込んでしまうのです。いやー参った参った。
 コロナはまだ油断ならない状況で命と健康が脅かされていること、自粛や各種制限のために生活が脅かされていること、とても残念なことだけど政治不信がひどくなっていること。こういった状況を踏まえると、言葉選びは神経質なくらい慎重にした方がいいのかな、と思うのですけどね。ちょうど1年くらい前のBLMの例もありますから。
 では、自重しつつ綴ってみますね。

 散らかり過ぎていてどこから話したものか本当に難しいですが、前回の投稿でお名前を挙げさせていただいた大坂なおみさんについて少し書かせてください。
 テニスは私にとってはルールが解っている競技のひとつにすぎませんが、時折流れてくるスポーツニュースのインタビューに見る大坂さんは、賢くてとても繊細で、仕様もない質問をしてくる一部のマスコミにも可能な限り言葉のボールを返し続ける優しさも忍耐強さも備えるプロのアスリート、との印象を持っています。現在形ですよ。
 大坂さんと錦織圭さんが東京2020(21に延期されたけど)オリンピック・パラリンピックの開催可否について語ることになったのは5月前半でした。おふたりとも状況を的確に把握されていて、慎重に言葉を選んで発言されている様子でした。そのニュースページでは「アスリート個人にこんなこと言わせる状況はおかしいではないか」と名もなき心ある人たちのコメントを随分見かけましたが、1ヶ月弱が経とうという現在も状況はあまり変わっていません。この間に、大坂さんは随分と大きな混沌に巻き込まれてしまいました。
 全方位射撃になってしまうから、オリンピックのことには触れたくなかったのですけどね…。WHO、IOC、JOCと各国のオリンピック委員会、東京大会の組織委員会、開催国の日本の政府、テニス協会、スポンサー、マスコミ、…。状況を動かせるカードを持っている方々が誰1人として、選手を守る姿勢を明示できていない。国際連合のグテレス事務総長の他に、この1ヶ月、オリンピックについてまともな発言をされたエライかた、どれだけいらっしゃいました?
 ラケット事件の時は「道具は大切に扱ったほうが…」とは思いましたが、逆に誰が、オリンピック問題で選手達を大切にしようと現実的に働いてくれたでしょう。繊細だけど自らの揺らぎとしっかり向き合って言葉で表現することもできていた大坂さんをそうまで追い詰めたのは、曖昧な状況で誰も責任ある発言や決定をせず、なし崩し的に開催にこぎつけてしまおうという大勢の人の狡さではありませんか?
 超一流テニスプレイヤーの先輩方は本当に優れた人格者が多いと聞きます。大坂さんもその文化に連なる資格を有するおひとり。パリ大会は欠場を決断されたそうですが、休養して、いつかまたエネルギッシュに楽しんでプレイしている大坂さんを拝見できたら嬉しいです。

 
 さて。…ここで終わりにしたいなー。次回に先送りしてしまおうか。でも1日遅らせると修正に2日はかかるという想定で、自分を律していかないと。
 
 間違っているかもしれません、と前置きしたうえで私の目から見た日本社会について表現すると、「然るべき職にある人が然るべき仕事をすれば済むこと。その仕事がどの段階にあるかわからないのに横から口をはさんで邪魔しないこと。」という考えが浸透している面がひとつあるように思われます。幼い頃、「おかしいことはおかしいじゃん。大人がちゃんとしてくれないとこれからを生きていくこどもがこまるでしょ。」と口にして何度叩かれたことか(not 物理)。お陰様で観察力分析力忍耐力は多少養われたので感謝していますが。
 他者の仕事を邪魔してはいけない、というのはわかります。でもやはり…。軸にひびが入ってタイヤも外れてしまいそうな車、それが今の日本の国の姿に思えます注意:私は極めて重度のペシミストです。車が何とか進み続けているのは、心ある人たちがいるから。国民も冷静さを保っているし、政治家や官僚の中にもまだ、残って頑張っている心ある人は居ると思いますよ。
 車にたとえたのでそのまま話を続けますと、自民党政権とトウキョウやその周辺のお友達がやろうとしているのは「オリンピックで一攫千金!古い車は買い替えよう、どうせなら高級車ね!」、国民の方は「苦しいから増税を重ねたんじゃなかったの?やめてよ!堅実に行こう!」という感じでしょうか。少なくとも自民党政権の中の人達の多くは、国を愛する心が無いわけではないと思うのですよ。むしろすごく好きだと思う、国会議員になることを選んだ(立候補したという意味ね)くらいには。
 ジョン・ポールみたいな悪い人の言葉にそそのかされて、「自分達の思いや覚悟が国民に解るものか!」と突っ走ってしまっていませんか?国民が「冷静であれ。賢くあれ。忍耐強くあれ。」と自分におまじないをかけ続けている原動力は、同じような思いや覚悟ではないのかな。もしそうなら、政府と国民は今でも同じ方向を臨めるはずだと思うけど。
 ああそうか、政府側の人達には「国民は自分の目先のことばかり。国家の規模で物事を考えられるはずもない」と見えているのかもしれませんね。確かに国民のほとんどは国家レベルの情報に接することは無いので、まったく同じ目線というのは難しいけれど。方向くらいは重なっていると私は信じたいですがね…。
 政府と国民の間に疑心暗鬼の種を蒔いているのは誰?

 
 やれやれ。只の主婦の身で随分と偉そうに吹かしてしまいました。ごめんなさいね。こういう役割は出来れば他の方にお任せして隠居生活を楽しみたいのに、老婆心とは面倒なものですね。感情をこめすぎないように気を付けたつもりですが、読んでくれた方に不快な思いをさせてしまったら申し訳ないです。
 然るべき職にある人が然るべき仕事をすれば済むこと。やってはいるというのなら、狂いはどこで生じているのやら。本当に何故なのだろうね。
 昨年は、人々の感情の波が大きくなり過ぎないように、祈る思いで言葉を紡ぎました。疫病にしても戦争にしても、国や社会の混乱による悪影響で辛い思いをするのはいつだって立場の弱い人達からです。加えて今回の疫病では、前線に立つ人達まで厳しい環境に置かれています。そういうのが嫌だから、政府と国民との間に溝が広がらないようにと願った。それは今も変わっていないけれど、私もちょっとエネルギーが心許ないです。
 原発事故の時のように、BLMの時のように、デモや暴動を煽るような言葉も散見されます。そこまででなくとも自暴自棄の方向へ促すような言葉の数が増えてきていることに、不安と怒りを覚えます。悲劇とか美談とか、ドラマティックなことをわざわざ作って見せなくたって、世の中はちゃんと廻るんです。平穏な日々の中にだって感動はあります。
 まがい物の言葉に魂は宿りません。言葉をなぞり外側だけ真似て、世の中を乱すのはやめましょう。これは自戒も込めたお願いであり、警告です。
 
 

新緑は遠きにありて

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 福島の隣県、茨城県の大井川和彦知事グッジョブです!
 久しぶりに手放しで日本の政治家を称えることができて嬉しいな。何をなさったかというと、東京五輪・パラリンピック組織委員会からコロナ患者用の病床を大会のために専用で空けてと言われて「県民より選手を優先できない」と断ったそうなのです。要請に応えることで茨城県は将来何らかの利益を得る可能性はあったのかもしれないけれど、その天秤のもう一方の皿に載せられているのが県民の命や安全である以上YESの選択は無いということ。真っ当!職責を果たすっていうのはこういうことよ。茨城県の皆様も、良い御方を知事に選ばれましたね。
 福島県の話で恐縮ですが、県民の命と健康、暮らしを守るのが知事の仕事と表明した
佐藤栄佐久知事のことを思い出しました。もう20年くらい前の話になるのですね。タイプはまったく違いますが現在の内堀福島県知事も着実に仕事を進めるかたのようで、私はこの方が知事さんでよかったなと思っています。中通り地方にお住まいの県民の皆様はひと月半くらい前、中通りの感染増加が著しかったころにちょっとお怒りでしたが…。これは私の勝手な想像ですが、あの頃はワクチンの見通しも不透明だったために、動きにくかったのではないでしょうか(注:あくまで想像ですよ)

 職責を全うするには、その職に対する適切で明確な理解や冷静で揺るぎない覚悟などが必要です。日本の上の方で澱んでいる人達やアルファベット3文字の組織の人達も自分の仕事について今一度しっかり見据えてほしいなと思っています。

 最近拝見した発言のうち、その正しさや健やかさにほっとさせてもらったのは、
水谷修先生、錦織圭さん、大坂なおみさん、河合薫さん。
 すべてのニュースに目を通せているわけではないけれど、きっともっと大勢の方が真っ当な日本、真っ当な世界を待ち望んでいると感じています。小さな積み重ねしかできない私も、とりあえず自粛生活をもうしばらく頑張りますね。
 皆様もどうかお気をつけて。

2021.05.13 文頭の1文字空白が反映されていなかったのを直しました?精確に言うと、これから更新ボタンを押して、反映されるか確かめるところです。最近、文頭の1文字空白が消えてしまうのですよ…。古い世代の人間としては、無いと納まりが悪くて気になります。コード、きちんと学ぶべき時でしょうかね・・・。
直せていなかったのでもう1回・・・・・・。
2021.05.15 1ヶ所、改行しました。

楽園の果実

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 この投稿はセンシティブな内容に触れています。年若い方や心の境界がしっかりしていない方は、読まずにブラウザを閉じてしまうことをお勧めします。

 幼いこどもが虐待で亡くなるニュースは…辛いよね。唐突な始まり方でごめんなさい、冬の終わりにニュースを読んでからずっと精神に爪を立てられている感じでね。
 虐待について話すことは気が重く荷も重い。「私」が始まったのとほぼ同じくらいとても長い間観察し続けとても深く考え続けてきたから。様々な角度から光を当てて、ある時は親は悪くなかったと捉えられそうな地点を探し、次の時にはやはり彼らは親として駄目ではなかったかと悲しみに囚われ。歪んだ笑顔で「あんたは子供だからわかんないんだよ!」とおかしな勝ち誇り方をされて腹が立っても、ならば今の親の年齢に私が辿り着いたときに答えは見つかるだろうと自分を抑えた。そういった記憶が、封印を破ろうと暴れるのです。

 下書き途中で数日放置してしまいました。とてもつらい作業です。でも虐待事件が多すぎて。当事者としての記憶を伝えることで、防ぐ或いは解決する方法を見つける一助にならないだろうかという思いも少しある。
 この数日私を悩ませていたのは、如何にすれば自分がされたことを具体的に書かずに彼らの思考や行動の癖を伝えられるだろうか、ということ。具体的に書くということは虐待撲滅に寄与する可能性の一方で、虐待の手段をレクチャーすることに成りかねませんから。
 そんな魔法みたいなこと、少なくとも私の表現力では無理だな、と諦めて再び文章を綴っていますが、どうしてもキーボードを打つ指が止まりがちになります。

 母は執拗に私のせいだと押し付けて私に罪悪感を植え付け支配しようとしていたけれど、その行為への反発、「物事の順序から考えておかしいのでは?」という意識こそが、支配されない脳を守り育てる原点でした。
 ・・・今日はやっぱり辛いので抽象的な話でお茶を濁してしまおう。この春はEDENの文字をネット上で見かけることが多くて、ふと思い返してみたのです。今頃気付いたのかと言われてしまいそうですが、聖書のエデンのお話。イブが食べてしまったとされる 禁断の果実 というのは、特定の果物を指しているのではないのかもしれませんね。我が子への虐待に限らず様々な罪、してはいけないことをすることに悦びを感じるような、脳の在り方にエラーが起きた状態を表しているのかな、と。
 赤子の手をひねるような、という言い回しがあるけれど、幼子の思考に先回りし罠を仕掛けて陥れることは、人間性を捨ててしまったものにとっては造作もないことなのかもしれません。
我が子を虐待するのは、それを行っても「私達の子供に何をする!」と怒る人がいないと高を括っているから。反撃されない相手を狙う、弱くて狡い卑怯な選択です。

 父と母どちらか一方から始まった場合、その陰には配偶者への不満が隠れていたりします。配偶者に対しては隠蔽を謀るところから始まり、自分より弱い相手と見るや共犯に抱き込もうとします。配偶者だけでなく他の家族や他人まで抱き込む人もいます。抱きこまれる立場で当事者になってしまった人たちがどの時点でどのように行動するかは実に様々です。
 両親揃って何となく合意して我が子を虐待している場合は、どちらか或いは双方の親(虐待児から見て祖父母)への不満や恨みが根底にあったりします。事件となってニュースで取り沙汰されるケースでは社会への不満なども指摘されることがあります。
 どのようにして始まったにせよ、心が確りとしていないことと物事をよく考えないことに加え他者に責任転嫁する、というのは共通して抱えている問題のように見えます。自分の問題は自分の荷物としてしっかり持たないと、解決に取り組むことさえ始められないですよね。

 こんな辺境のサイトにお運びくださっている皆様には、どうか、どんなに心が弱ってしまった時でも道を踏み外さずにいられますように。私自身も。
 ふだんの何でもない時から、ものを考えたり確認したりすることを習い性にしてみてください。呼吸と同じように、意識するまでもなくそう出来るように。あなたの価値の基準としてしっかりと身についたならば、自分を失うほどの悲劇に見舞われた時でもその物差しが光となって導いてくれるでしょう。願わくば導かれる先が善き場所であるように、視野を広く持ち、自分にも他者にも長い目で接してみてください。
 そして、正解は1つではありません。方法も同じく幾通りもあるはずですから、自分に合うやり方を探してみてください。

 コロナや貧困や差別や。ひどく荒廃してストレスフルな世の中ですが、このサイトを訪れてくださる方々の日常において、大切な人達との穏やかなひとときが守られますよう心からお祈りします。

2021.05.13 他の記事のついでに、文頭の1文字空白を反映させる作業をしました。