今週は・・・

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 お久しぶりです、こんばんは。体温計が33.8度を表示したので、自分はもうすぐ冬眠するに違いないと確信しているlawbaです。この予想、確実に外れますね!…すみません、あまりの低体温記録に私の中の小学生男子のテンションが上がって悪ふざけを書いてしまいました。ただの計測ミスでしょう。
 低いと言えば日本はこのところ寒い日が続いて、日本海側はドカ雪、それもこの季節の日本海側にしてはいささか珍しい(?)湿った雪が降ったために集落が孤立したり道路で立ち往生したりと
いう状況が発生しました。2日ほどの間に180センチくらいくらいの降雪、しかも湿っているなんて文面だけでも気が滅入る。雪かきの重さよ…。これに適応して生きているのだから雪国で生活している人からは学ぶことがいろいろあるなあと毎年思います。一方で、富士山はクリスマス前なのにまだ黒いという状態。こちらは山頂付近の温度が低いために雪がサラサラで積もりにくいことと降雨量(降雪量)が少ないことが重なっての現象だそうです。15年くらい前にも見られたとか。何と言いますか、…ズレたことを言ってもいいなら「バランス!」と突っ込みを入れたい。大自然の為すことですから致し方ないことですが。正月には雪化粧した富士山、見られるといいな。
 気象データの3D視は気象や航空、宇宙などの分野だと使われているのかな。(野次馬的に)(興味深いという意味で)とても面白そうですが、一般大衆の私が日常で接することは無いのだろうな…。少し残念ではありますが、コストを意識するのは大切なことですものね。

 さて、早いもので今週はもうクリスマス。敬虔な教徒の方々には少し申し訳ないけれど、キリスト教徒ではない私にとってもクリスマスは大切な日です。日本の商業的風習としてのクリスマスに始まり、一時期は決別を経て、数年前から再び…という経過です。原子力産業と福島県の攻防を眺めているうちにどんどん心が社会を拒絶していったのがクリスマスとの決別の始まり。311を経て、命を落とした人と生き延びてしまった自分について思考を重ねた日々があって、再びクリスマスを祝うことにしたのはそういえばちょうど4年前、アメリカ合衆国のキャンペーンの年だったかも。2016年もキャンペーンのニュースをずっと追っていた。秋の終わりに、生き延びてしまった自分にできるのは日々をちゃんと生きることだけ、死にかけの心を抱えて泣きながら時間を無駄にするのはもう止めにして、もう一度地に足をつけて生きよう___、そう心に決めて準備できた最初の行事がクリスマスでした。
 宗教的な行事の神髄には敬意を払ってアンタッチャブルのまま 「心」の部分だけそっと借りて 、大切な人達と時間を共にすること、大切な人達と集えること、大切な人達が健やかであること、そういったささやかな喜びに目を向け感謝する日。本当は毎日そのように生きられたらいいけれど、日々を生きるうちに流されてしまうこともあるから、再確認するための節目は大事だよね。
 というわけで我が家はカオスな日本人らしく冬至に南瓜を食べ(歳時記に基づく日本の食の伝統)、クリスマスを祝い、除夜の鐘で煩悩をはらって(仏教)、新年を祝う(神道)という慌ただしい年末年始を送ります。家族が最近、連休のときにひと晩だけのプチ断食(16時間ぐらい空けるもの)を行うようになったのでそれも折を見て追加するはず。これは健康診断の結果に悩んでいた家族に、イスラムの宗教的慣習の素晴らしさについて現代医学の見地からお医者さんが解説したコラムを紹介したことがきっかけなので、更なるカオス。
 えぇと、、ほら、節目は大事だから!たくさんあるといいよね、というか…。滝に打たれる修行をしたいタイプの人には許容しがたいだろうけど、言葉をいささか粉飾すると、これも形を変えた「行(ぎょう)」のひとつではあるのです(ひとつといいながら連打だー)。現代の社会は自然との距離が少し離れてしまっているから。季節を、人によっては神を、私の言葉で言うなら自然の摂理を、近くに感じるための行いというのは意味のある大切なことです。

 だから、メリークリスマス!宗教的に言えない言いたくない方にはハッピーホリデー!
 自分と大切な人達と、私達の存在を許容してくれているこの世界に心からの感謝を。

世界がしんどい

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 こんばんは。北半球のコロナが勢いづいて心配ですが、皆様お変わりなくお過ごしでしょうか?
 またしても「お久しぶりです!」とご挨拶する形でお恥ずかしい…。なんというかもう、そういうキャラクター(更新頻度がスローでまちまち)の態でお願いしたいです。

 沈黙していた間も世界はめまぐるしく動いていて、私という小さな器から、感じたことや考えさせられたことが溢れてしまいそうなほどでした。考えが至らないうちにこのサイトに載せてしまうわけにもいかなくて。
 黙っていた間の自分のリアルでの言動を振り返ると最近の1番の関心事はアメリカの大統領選挙ですね。もう投票が終わったから書くけれど、どうも自分はトランプ大統領のファンらしい…。口先だけで平和を唱えるのではなく、実現のために国民の生活に必要なことを打ち出して実行して。反発も招いてしまっていたようだけど、それはこれまで何十年もの間、世界中で、様々なことが先送りされてきたツケのように私には見えていたので。もっとも、私はいち日本人に過ぎず英語のニュアンスもそれほど分かっていないので、自分と違うものの見方をしている人達を否定する意図はありません。その立ち位置に至らしめた体験というものが各々あるはずで、その体験から生じた思いをどのような形で抱えて生きていくかは自身にしか決められないものね。
 どんな結果に終わるにせよ、民主主義と公正な選挙が守られることを祈って静かに見守りたいと思っています。・・・こういうとき、「みんな仲良く、ですよ」「粛々とね」なんて余計なことを書き足したりするとお婆さんらしいかしら!?フフフ。

 さて、他に気にかかっていることと言えばやはりコロナです。
 ヨーロッパの方でまた増えている?と推移を見守っている間に、日本でも感染者数が春を上回るペースになってきました。生活習慣によるものなのか、これまではいくらか踏み止まっている観があったのですが…。このところ気温が低い影響もあるのかな。
 寒さと言えば個人的な話で恐縮ですけど、私は昔、寒い朝は起きてから使い物にならないことが多かったのです。起きられない起きても動けない、頭も働かない気がする。まるで血が凍ってしまったみたいに感じられて、陽の光にあたってじわじわと自分を解凍しないと動き出せないという、いたたまれない冬を過ごした時期がありました。
 その間いろいろ観察してみての推測は、室温が低いあまりに体が夜毎に冬眠の準備を繰り返していたのではないか、というものでした…。ここのサイト主また変なこと言っているよ、と思いますよね。自分でも最初は突飛な考えだと感じたのですが、天気予報の夜中から朝にかけての最低気温や室温計の数字という動かぬ記録と体の調子についてのメモを眺めて「妥当な推測はそれしかないのでは」と思ってしまったんですね。試しに掛けるだけだった合わせ毛布で自分をサンドイッチみたいにして寝てみたら、同じ気温の日よりも起きた時の体が楽だったのです。それで窓と眠る場所の位置関係を見直したり、寝具を変えたり増やしたり。最初は反抗的だった体も「あたたかく安心して眠れるようにするから体の使用者である私の判断をもう一度信じて」と宥めたり叱ったりを重ねるうちに態度が軟化してきまして、現在は真冬でも「寒さが原因で朝動けない」という情けない状態は無くなりました。脱・動けない自分に最も効果的だったのは ウィンドウ・ラジエーター という文明の利器です。日本の住宅寒すぎる説(暑すぎる説もありますね)。
 話を戻しますと、持ち主が認識していなくても、体は低温高温やウィルス他の様々な外的要因から命や健康を守るために戦って疲れたり傷ついたりしている場合があります。例年よりも注意深く向き合って労わってあげてくださいね。

 それでは、次に投稿する日まで皆様お元気で!

静かな夜にもの思う

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 長文を打てる体調ではないので言葉足らずになるかもしれませんが…。
 みんな、生きてね。
 若い人達が命を絶ってしまう。どんな事情があったかわからないから死を選んだことを頭ごなしに罪と断ずることはしないけれど、悲しいです。
 嵐の中にいる間って本当に言葉にするのが難しいくらい辛かったりするけれど。苦しく辛い人生の逢魔が時をどうにか越えて振り返った時に、初めて気付くこともあるものですよ。だからそこまで、生きてみてください。

 ずーっとコロナ禍に晒されていることも影響しているのでしょうね。
 うまく言えないのですが、「今」は特別な時代だと思うのです。様々なことが成熟したり行き詰まったり、いろいろな事や物(国とか社会とか価値観や考え方とかいろいろなもの)の変革の時が重なってしまった感じなのね。ひとつずつ順番に変わっていければ、少しは楽だったのかしらね。まあとにかく、いろいろ重なってしまったためにすごく世界が軋んでいる。それで、今を生きる私達、人間だけでなく全ての生命は世界の軋みの影響を受けてしまうことをおそらく避けられないのね。幼虫が蛹になって蝶になる過程みたいなもの、と言えば伝わりやすいかなあ?何にしても、えらいこっちゃ。
 でもね、この時代に生まれ合わせた魂は総て、ここを乗り切る可能性を持っています。逆かな?ここを乗り切る可能性を持っている魂が、選ばれて、この時代に居合わせることになった。変革を果たし得る生命として選ばれて存在しているのです。神と呼ばれるもの、私が自然の摂理と呼ぶものに。
 だから、無理にとは言わないけれど、この世界の行く末を、みんなで一緒に見守ってみませんか?私はもうだいぶ歳なので、勝手なお願いになるけど、その先を誰かに見届けてほしいです。できるだけ多くの人達に。そしてそれぞれの目線で、言葉で、「今、世界はこんな風だよ!」って教えてほしい。必ず聴き届けるから。

 抽象的な話は伝わりにくいですよね、ごめんなさい。長く生きてきたのに、こんな時どんな言葉を選んだらいいのかわからなくて本当に情けない…。
 具体的にこうしましょうこうしたらいいですよ、というのは普遍性を持たせることが難しくて。例えば私はしんどい時のために時短ワザを聞き集めたものや「笑える泣ける夢中になれる癒されるくだらない」本や映像その他のストックや、どうしようもない時のための「低コストでスペシャル」なおかずやおやつを1つ以上キープするとかルールがあるけれど、それを紹介したとしても他の人には無意味なことかもしれないですから。
 乗り越える力の鍵は、自分について内側から外側からどれだけ理解できているか、という辺りにあるような気がします。でもね、自分についてなんて、考えても何を試しても、若いうちはそうそう見えてこないものですよ。自分の形といえるものが定まるまでは、「答えがまだ存在しない」わけですからね。然るべき時が来るまではわからない。そういう風に出来ているんです。「四十にして不惑」と言いますが、私などは45歳ぐらいまで闇の中を出たり入ったりが半々ぐらいでした。「自分に出来ること」「今は無理だが未来では出来るかもしれないこと」「自分ひとりでは出来ないこと」「この先も無理なこと」の見きわめが付けられなくてね。その辺りの整理が着いてからはシンプルに考えることを覚えたのか、生きるのが少し楽になりました。
 こんなのんびり屋もおりますので、悩める皆様方はひとまず「私はまだまだ若いのだなー」と割り切ってしまいましょう。モラトリアムを充実した日々にするべくもがいているうちに、きっとあなたの形も決まっていきますよ。人に迷惑をかけない方法で、という社会のルールは守ってね。

 …なんのアドバイスにもなっていないかな。どうか心の中にいつも、自分のためだけの温かく静かな場所を持ち続けてくださいね。悩みながら頑張って生きている人達が解決の、せめて休憩の、糸口を見つけられたらと祈っています。
 旅を終えた魂達に安らかな眠りが訪れますように。

2020.09.28 不要な文字の消し忘れを発見したので訂正しました。