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8年前(2)11日14時46分

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感情をたどる描写があります。想像力や共感力の豊かなかたはお気をつけください。

2011年3月11日14時46分。
たぶん地鳴りから始まっていたとぼんやり覚えているのだが、最初は地震とは気づかなかった。 8年前(1) で触れたが、当時周辺で工事をしていて「工事の音いつもと違う?」と思ったときにはもう強い揺れが始まっていた。
地震だと理解してすぐ、私は台所へ走った。食器棚の扉の留め具が壊れかけていたから、「食器が飛び出したら危ない、押さえておこう」と思ったのだ。(後から落ち着いて考えるとこれはとても危険な行動選択で、明らかに間違っていた。)

過去に体験した地震と同じだったのは、始まりの10~20秒ぐらいだっただろうか。
揺れは突然変容した。横揺れでも縦揺れでもない、滅茶苦茶な動き。例えるなら、初めてカクテルのシェイカーを手にした人が何もわからないまま全力で振ってみたような、法則性が欠片もない動きだった。地震の揺れといえばグラグラと表すものだったのに、ズガガガガガガガガガガガガッと表現するのが適した未知の揺れだった。
「縦横だけでなく斜めの揺れもあるんだ!」などと感心している場合ではなかった。押さえていた扉の中で食器が割れていく。目の前で前進する冷蔵庫を見たとき、ようやく、「今までの地震と同じに考えていたら怪我をする」と認めざるを得ないと諦めがついた。
初動を間違えた私は今や割れた大量の食器という危険物の直ぐそばにいた。手を離したら割れた食器が飛び出してくるかもしれない。迷っている時間はなかった。ほんの数瞬、揺れが弱まったところでひとっ跳びに台所から離れた。揺れで開いてしまうかもと思いつつ廊下との境にある引き戸を閉めた。すぐに何度目かのズガガガが襲ってきて、引き戸の向こうで食器が床に落ちた音が聞こえた。
居間に入ると本という本が棚から落ちて散乱し、PCのモニターも落下していた。散らかってしまったが危険は無さそうだったので寝室の様子を見に行った。ちなみにまだ揺れていた。寝室にはひきだし式のかなり重いタイプのタンスを置いていた。普段ならちょっと引っ張ったくらいではビクともしないそのタンスが15cmくらい前に移動していたのを視認したとき、家が潰れる可能性を初めて意識した。じわりと怖さが生まれた。ほんの少し前、冷蔵庫が前進するレアな姿を目撃したときにはこの大地震に対処する意欲が湧いたのとは対照的だった。
逃げなければ生き延びなければ。
家の外に飛び出したら危険?家の中なら一番安全な場所は?怖さに囚われないように思考で頭をいっぱいにしながら、近くにあったぬいぐるみを手に取り、通りすがりに居間でクッションを拾い上げて、玄関近くの柱が密集している辺りにひとまず落ち着いた。

地震の揺れはまだ続いていた。 まだ揺れていた。 その事実が、ひとまずの身の安全を確保した途端、私の中でクローズアップされた。・・・なんでまだ揺れているの・・・・・・?
台所で食器棚を押さえていた時点ですでにこれ以上ないくらい速まっていた脈が、わななくように乱れて心の臓が痛んだ。

揺れ始めてどれくらい?5分は過ぎてる、10分?地震ってこんなに長く続くものだった?
こんな地震知らない。これは地震なの?
地震じゃないとしたら何?
爆撃…戦争!?まさか!
落ち着こう。
大丈夫、揺れてるしこの世の終わりみたいな音はするけど戦闘機の音は聞こえてこない。
戦争じゃない。たぶん。
だったらこの揺れはなに!?

揺れも地鳴りもおさまる様子はまるで無かった。クッションで頭を守り、ぬいぐるみを抱きかかえ、足を突っ張ってどうにか体を固定するという珍妙なスタイルで、恐怖から精神を守るために思考を続けた。

家族は無事か。
この辺りが震源地なのか。震源はここではなく遠くで超巨大地震なのか。
ついに来た南海トラフ?ついに来た富士山噴火?
実は海外が震源の地震の可能性はあるのか。
日本中いや世界中で同時多発巨大地震の可能性は。
それって天変地異では。
もしかして今日、間もなく、死を迎える的な状況?

今、世界はどうなっている?

「地面はとどまることをやめたんだ・・・」不意に思った。
この地震は終わらない。
ああそうか、これは世界の終わり。好き勝手に破壊活動をする人間たちに、地球がついに浄化を始めたんだ。
巻き込まれる他の生物に申し訳ないな。
大切な人たちにもう会えないのだろうか。最後に何を話したっけ。
会いたい、会いたい会いたい。
止まって。もうやだ。止まって。お願い。もう止まってったら!・・・・・・・・・・

後に本震と認定された揺れがひとまず収まったのはしばらく経ってから。そしてその後は、3分と間が空かないほどの頻度で余震が続いた。 


8年前(1)2011

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8年前の今日、この時間(まもなく22時)。強い余震がひっきりなしに続いて、片付けも手につかず、ネットやラジオ、TVのニュースで少しでも多くの新しい情報を得ようとしていた。
唐突な書き出しでごめんなさい。今日は、何も書かずにおこうかと考えていた。今もまだ整理がついていない、あの日のこと。地震と、続いて起きた原子力発電所の事故のこと。私にはまだ書けないと迷いながら文章を綴り始めた。

あの年は年明け以降、何となくザワザワと落ち着かない空気が漂っていた。山陰地方ではドカ雪が降って松の内(1月7日まで)から災害に見舞われる方がたがあり、下旬には九州から始まって各地で鳥インフルエンザが発生し最悪の手段で終結していた。
個人的にも不安定な事態が続いていたし、周辺で工事が相次いだため騒音と振動で心身がとても弱っていた。そのせいか1月はとにかく夢見が悪く、31日には終に心身に迫りくる terrible な夢で夜中に飛び起きて、夫に起きて聞いてもらったほどだった。不安でたまらない日々が続いていた。

2月には海外でも東北沖でも大きな地震があった。虫の知らせだったのかもしれないが、この東北沖の地震の後、どうにも気になって、毎日のように地震情報を眺めていた。
日本は地震列島と言われてはいたが、それまで私が直接体験した大きな地震といえば子どもの頃の震度4が最大だった。1度揺れて終わりの地震で、余震が続くという体験は無かった。
だが2011年2月の東北沖地震の震源域では、マグニチュード4.5以上に絞っても地震が起き続けていた。専門的なことは解らないなりに「なんかヤバいんじゃないの?」と感じた。振り子が収まっていく現象としての地震なのか、現在進行形で絶賛継続中の地震なのか。気になって、インターネットの地震情報チェックはルーティンとなった。

3月9日、東北地方の沖合でまた地震が起きた。マグニチュードは7.3で、不謹慎だが私はあのとき「本命はこれだったのだろう」と少しほっとしたのだ。だが、翌10日にもM6.8の地震が起きた。
まだ終わっていないのではないか?
9日に感じた安心感は消えてしまった。身震いするほど怖くて、何かに没頭したい忘れたいと強く思った。

3月11日はその頃ずっとそうだったように風が強かった。私の住んでいる地域では、特に冬、異様に強くて長い風が吹く。長いとは奇妙な表現だが、普通の風をビューと表現するとビューーーーーーーーぐらい吹き続けるのだ。強いときは窓や外壁にドンッとかバァーンッとか叩きつけた後にビョオォォーーーーーーーーーーーーォオオと続く。子どもの頃はそういった風の記憶がないのだが、いつごろから始まったものだったのだろう。
その風の音と揺れ、周辺工事の音と振動が、昼にはどちらも止んだ。気温は高くはなかったが日差しも出てきて、束の間、神経が休まる心地がしたのを覚えている。

そしてその時が来た。のだが、当時の記憶を辿るのはやはり体調がしんどいので今日はここまでにします。