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灯火

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 この文章は、4月4日の夜から5日の明け方にかけて書いたものです。波乱を鎮めたい一心で「体力温存のために早く寝る」という禁を破って綴ってみたものの「やはり勘違いが過ぎるかな」と感じてしまって、何より自身の考えとのズレがこれまでの投稿と比べて大きすぎる気もして、下書きのまま寝かせたのですが。
 布マスク送付の発表、首都の感染拡大、公立小中学校の入学式始業式、緊急事態宣言が今日か明日か、という流れの中、日本中が溝ができる方向へそれとなく追い込まれているように見えてしまって。その様子がいたたまれなくて、まだ迷いを抱えたままなのですが投稿することにしました。
 自分の読み取りが当たっていると思っているわけではなく、「見当外れだ」と自分は嗤われてもいいから誰かたった1人でも立ち止まって「違うものの見方もあるかも」と調べたり考えたり探したりするようになってくれたら。私はきっと心から感謝するでしょう。


<4月4日の夜から5日の明け方にかけて書いた文、ここから>

 こんばんは。今週もおかげさまで何とか感染せずに週末を迎えることができています。
 COVID-19のニュースを見ていると、世界では感染が拡大しているところや感染はやや落ち着きを迎えつつあるものの混乱が拡がっているところなど様々で、心が重くなります。日本でもこの数日、首都の東京などで感染者数が急に増えてきてとても心配です。大切な人達が暮らしているので。

 何もできない自覚があるのに、やはり今日も言葉を紡がずにはいられない。私の魂が負っている役割なのだと自分では納得しているけれど。「読まされる方は大変ですよー」と思うかたはどうか読まずに立ち去る自由を行使してください。
 さて、いろいろ気にかかることはあるのだけど、今日は「布マスク2枚送付」について触れるべきでしょうね・・・。何ゆえよりにもよって4月1日にあのような発表をしたのかと…、私も最初はエイプリルフールかフェイクニュースだろうと思ったのです。深夜11時近くで、「まさかの本当に日本政府がそれを行うというニュースだったら眠れなくなりそうだ」と判断して、すぐさまPCを閉じて眠りましたとも。COVID-19に感染しないことが第一の命題である今、夜更かしなんかで体力を削っていられませんからね。翌朝ニュースをチェックして「 どうやら 日本政府は 本当に 布マスク2枚を 各戸に 送るつもりらしい 」と理解したときは、年甲斐もなく頭に血が上って「はああー?!」変な声を出してしまいました情けない。カーッとなってもスッと冷める脳の癖みたいなものに助けられましたけど。

 いたずらに文章を長くしても読みにくいので結論を書いてしまうと、今回の日本政府の対応「布マスク2枚各戸に送付」について、私は拍手は送らないけど理解します。
 休校要請が出された時も同じ作業をしたのだけど、今回も、その直前までに何が起きていたか時系列を整理してみました。つまり「何が彼らにそう決断させたのか」について推理してみたわけです。ここから少し長い話になりますよ。
 アンテナに引っかかったのは、3月下旬マスクが手に入らないことで各地のドラッグストアで様々なトラブルが起きていたらしい事実と、事実なのか便乗してなのかインターネット上で「マスクが無いのは高齢者が買い占めているせい」とする書き込みが散見されたこと。
 官房長官からマスクが数万枚生産されるから不足は解消されると発表されたのは2月の早い時期でしたっけ?病院などが「必要な分を確保した」とならない限り、一般向け小売りには回ってこないのは道理なわけで。官房長官によるマスク不足解消の知らせは「(最前線の医療現場でマスク不足が続けば)この世の終わり」という状態が1ランク引き戻されて「非常時」状態になったもの。・・・そのように受け取った私は自作マスクについて調べて準備したのですが、人それぞれ、いろいろな受け取り方があったのでしょうね。インターネットでは2月下旬ぐらいから「マスクがなかなか店頭に並ばない」とか、3月には「店員さんが客にマスクのことでなじられて泣かされていた」とか。そのうち「『高齢者が』朝から商品搬入を見張っている」というように変わってきて、「『高齢者が』開店前のドラッグストアに侵入」というのが出てきたのは3月、確認したら24日のようですね。最後のはフェイクニュースかなあ(願望)。まあ虚実入り混じっていると思われますが、少なくともインターネット上に混沌が生まれていたことは確かと言ってよいと思います。
 見ていて怖かったです。疫病の恐怖に曝され続けることで、人間の心持ちはこうもあっさり崩されてしまうのかと。こんな状況下で、他者を煽って争わせ混乱や分断を謀る手合いがまだいるのですね。そういった行為がもたらす苦しみや悲しみを、震災や水害などで私達は学んできたはずなのに。
 私が遭遇した現実は、1月末にドラッグストアでマスクの転売を目論む輩に絡まれたこと、1月末以来マスクが売られているのを見ていないこと、夫は先週1度だけマスクが売られているのを目撃したらしいこと、店側が店頭にも棚にも「マスクの入荷はありません」と何枚もの紙を貼って知らせているのにも関わらず買い物客が「マスク無いんでしょう?」とわざわざ質問している場に居合わせてしまったこと、それぐらいかな。私自身このサイトに事実の報告のつもりで「マスク見かけませんよー」と軽く書いてしまったこともあり
苦しくて反省して考えて、前回「自分で用意できる簡単なマスクの紹介」を載せたりしたわけですが。

 半世紀も生きてきたからには、世の中は自分に予想できない部分のほうが大きいことくらいはわかっているのですが。ものすごく見当外れだったら恥ずかしい…と案じつつ、推理の続きを書かせていただきますと。
 今回の送付案決定までの流れについてはいろいろ言われていますが、新型コロナウイルス感染症対策本部というものがあるからには2月のマスク不足解消の働きかけからの流れをずっと気にかけてこられたものと思います。「確保したよね」「そろそろ並ぶはずだよね」「まだか・・・?」みたいにね。なんか、女性言葉で申し訳ないけど。
 上に挙げたような世間の様子も目にしたでしょう。心にグサグサと刺さって揺らぎますよ、人間ですもの。きっかけはマスク不足なのだけど、その先の影響を私よりずっと先まで且つ広く想定できてしまったであろう彼らは、そこに何を見たのでしょうね。何を想定したにしても、これほどの国難に最前線の仕事を任されている方達ですから。その揺らぎを力に変えて「自分たちが何とかしなければ・・・!」という使命感をいっそう強くしたかもしれませんね
。折しも3月29日付でマスク配布について「台湾を例に専門家が提言」という記事が出ていて、まさに行政主導でマスクを配るという内容だったのですけど、これも関連付けようというのはさすがに推理をもてあそびすぎかな。
 安倍首相もマスクについての報告はずっと受けていたでしょうし、3月26日と31日には小池東京都知事と会談を行っています。首都を置く東京の今後の見通しについて情報を得て、いろいろ憂うところがあったのだと思います。
 まあそんなふうに、いろいろな状況が錯綜してのことなんですよ、たぶん。何回か前に「政局というのは将棋やチェスの多面指しみたいなところがあって、見ている私たちもいろいろな面に同時に目を向けないと、国が目指す本当のところというのを推し量るのは難しそう」というようなことを書いたのですが、このマスクの件もそんなところですよ。きっとね。
 信じましょう。マスクを自作して自分や大切な人達を守ろうとしている私達と、2枚でも布マスクを配ることで守れるものがあると踏んで行動している彼らは、同じ人間のはずですから。余計なことをひとつ言わせてもらうと、水害の時にも書いたけど、非常時って平常時以上に高度で的確な判断を平常時以上の速度で次々繰り出さないといけなくなっていくんですよ。想像の及ばない大変さだと思うのね…。だから、不眠不休で対処するなんて言わずに、しっかり眠ったり心身を休ませたりして対処してほしいです。
 拍手は送らないけど理解する。理解のつもりが勘違いでも、私は自分の選択の結果を引き受けます。


 さてさて。話がすっかり長くなってしまいました。簡潔にまとめられなくて本当にごめんなさい。ここまで全文読んでくれた方、いらっしゃるかしらね。

 説教じみてしまいそうだけど、大切なことなので書きますね。
 私達、日本だけじゃなく世界中、COVID-19という疫病がもたらす死の恐怖に2ヶ月以上も曝されています。確実な薬はいまだ見つからず重症化すればほぼ死、回復は患者本人の体力なのか運なのか。混乱し閉塞に向かうばかりの世界は真っ暗な闇に覆われてしまいました。
 恐怖は私達を蝕みます。心身を疲弊させて希望を失わせたり見えなくしたりして、人々が負の感情の奴隷になるようじわじわと追いつめてくるでしょう。だから私達は心をつよく保って、自分の中の希望の灯火を守るのですよ。可能なら大切な人達と一緒にお互いの灯火を守りましょう。
 闇からの風に灯火が消えてしまっても大丈夫、残った者の灯火から火を分けてあげてください。風で消えただけなら芯は燃え尽きずに残っていますから。

 抽象的でわかりにくいかもしれませんね。具体的な例としては、自粛生活の続くイタリアで夕方に窓を開けて歌うことが新しい習慣になりつつあるという話などが当てはまると思います。読んだのは1ヶ月くらい前だったかな、今も続いているでしょうか。続いているといい。歌に限らず、自分達が明るく穏やかな活力が湧いてくる気持ちになれるようなことで且つ人に迷惑をかけないことならどんなことでもいいのですよ。
 今週の私は家族とNETFLIXと生花といちご他に助けられています。ありがとう!

 いたずらに騒がないように気を付けて、たんぱく質をはじめ必要な栄養をしっかり摂って、心身をよく休ませる。余力がある時は少し体を鍛えておく。手洗いうがいは入念にして、手作りマスクやソーシャルディスタンシング(表記これで合ってる?)でお互いを守る。ああ、外出自粛はソーシャルディスタンシングの拡大バージョンですね。私達も出来ることはしないとね。
 皆で未来に行くんです、一緒に。ね?

<4月4日の夜から5日の明け方にかけて書いた文、ここまで>


With ・・・

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 こんばんは。世界中が大変なことになってしまっているけど、皆様はお元気ですか?
 日本の片隅に暮らす私は、少し疲れはあるものの今のところ元気でいます。そうそう、使い捨てマスクの手持ちがとうとう残り2枚になってしまいました。「マスクが販売されていた」という情報は耳にするのだけど、私はもう2ヶ月くらい見ていない。マスクを求めて店を梯子するのも疲れるだけで実りが無さそうですし、ここは見切りをつけてハンカチマスクデビュー、しました!
 「何ぞや・・・?」と思われた方は検索してくださいね。手まめな方々が、綺麗な布を選んだり型紙を作って量産したり、いろいろ工夫してマスク不足を克服しているのです。「罹らない、うつさない」ために自分たちで出来ることのひとつ。マスク使用効果を否定する方もいらっしゃいますが、「咳やくしゃみの飛沫で他者に迷惑をかけない」という点では有効だと私は思うので、外出時や宅配便の受け取り時などにマスクをしています。
 私は中でも1番簡単な、「ハンカチとヘアゴム2本で作る1針も縫わない簡単マスク」にしました。使用後の消毒・洗浄、乾燥、アイロンがけのことを考えると、自分の能力から見て1枚布の状態に戻して洗えるこの方法が最適。詳細はお調べいただきたいですが、簡単に説明してみますね。ハンカチ1枚とヘアゴム(輪にしたもの)2本を用意して、①ハンカチを縦方向に2回たたむ ②ハンカチを横方向に3つ折りする ③両端の輪になったところにそれぞれヘアゴムを通す。「ヘアゴム・たたんだハンカチ・ヘアゴム」を鎖状にする、と言えば言葉だけでも何とか伝わるでしょうか。あとはヘアゴムを耳にかけて縦横のサイズを微調整するだけ。ハンカチが薄手で不安な時は別布を1枚挟むつもりです。


 さて、前の投稿からの1週間。オリンピックパラリンピックの延期が決まったり、日本も含め各国の人の往来がさらに制限されたり、外出の制限されたり、等々。列挙するだけで気が滅入ってしまいそうです。本当に、どうして世界はこんな事態になってしまったのだろう。・・・この言い方は半世紀生きている大人としていささか無責任に過ぎますね。ごめんなさい、私たち大人の力不足です。私はこうして言葉を紡いでほんの少し光を当てたり微かな風を起こしたりしかできないけれど、実効的にこの混乱した世界を何とか収拾するべく頑張ってくれている大人がちゃんと大勢いますから。
 気休めですが。こんな状況だからこそ乗り越えた先の未来で素晴らしい世界を作れる、そういう可能性を育てることもできると思うのですよ。夜明け前というのは暗くて寒くて静まり返っていることも多いじゃないですか。「災害続きの日本では皆少し疲れてしまって…」と以前書いたけど、もしかしたら世界中同じように疲れていて。今という時は「世界の皆に心身を休めてほしい」という、そういう時機なのかもしれません。しっかり休んで疲れを取り払って、力を蓄えたら、未来のためにまたいろいろなことを学んで備えたい。
 なんてね。そう考えてみることで、心の中の希望の灯が消えないよう調整したりしています。


 それでも、こうも先が見えない状況が続くとしんどくて。見返したら、今年に入ってからの投稿8本のうち7本がコロナ。この3ヶ月、私は COVID-19 しか頭に無かったのか…!?
 かくなるうえは外部入力に頼るしかない、とばかりに、CDを1枚と本を1冊、それに久しぶりに生花を購入してみました。
 CDは昨年の投稿で触れた「故郷は地球」という内容の歌詞が出てくる曲が入ったものです。今聴いても、歌も歌詞も曲も演奏も全部素敵で、力が湧いてきます。
 本は昨年日本で発売されて話題になっていた分厚い哲学と宗教の本で、興味深く読み進めているところです。闇の中にいた10代の頃に倫理観や秩序を育ててくれた書物が多く取り上げられているので、変な言い方だけど、家族と再会したような喜びと安らぎを感じています。
 生花は、「農林水産省がYoutubeで面白いことをしている」と聞いたので見てみましたら。自粛要請に応えて卒業式などの中止が相次いだために、売れ残ってしまいそうな花達を買ってほしいという、名付けて「花いっぱい運動」が展開されていました。同情を買って売りつけるような内容ではなく、『北風と太陽』の太陽みたいに「視聴してくれた人に購入する気になってもらおう」という姿勢が好ましくて、しかもクスッと笑ってしまいました。国家公務員にも柔軟な人達はいるのですね。ちなみに「花いっぱい運動」という言葉に「ミッドガル、花でいっぱい。財布はお金でいっぱい」を連鎖的に思い出してしまったのは私だけではないはず…。ということで、少しですが参加させてもらいました。生花はやはり香りが違うし、家の中が明るくなったように感じます。


 うん。今日もまた、たくさんの人や物に支えられて生きている。そのことをとても有難く思う。工夫して努力して、困難な状況でも周囲を明るく照らしてたくましく生きる人々を尊いと思う。
 人間と、私達を抱く大地と、同じ地球に息づく動物や植物他のあらゆる生物と。すべてが近しくて大切。
 だから今日も祈るのです。人間の社会の混乱によって波立ってしまった世界に、どうか平穏を。


魔法をかけよう

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 新型コロナウィルスって本当に何なのだろう。世界中で猛威を振るうのみならず、社会とか経済とか、半世紀生きてきた中で最悪といっていいくらいの混乱を引き起こしている。

 日本は江戸時代に長きにわたって鎖国政策をとっていたけれど、21世紀に世界各国が鎖国的対処を余儀なくされる事態に陥るなんて誰が想像できただろう。
 嘆いても仕方ない。今はそれも必要なことと、それぞれの国や自治体で判断されての措置なのだから。
 憂えても仕方ない。研究者でも医療従事者でも政治家でも篤志家になれるほどの資産家でもない私にできることなど、自分の手が届く小さな世界の中に限られているのだから。

 それでも。

 何もできないとわかっていても。苦しんでいる人がいる。悲しんでいる人がいる。やりきれない怒りを感じている人がいる。まだ戦っている人がいる。泣いている人がいる…。それを気にせずにいられるはずもなく。

 考える。
 病苦と戦えるわけでもない、何者でもない自分と認識していながら、何故気にかけてしまうのか。同じ人間だから?そうだけど、枠が大きすぎて実感が薄い。自分の言葉じゃない感じ。
 何故気にかかる…。身の回りを検めて、気が付く。毎日使うマグカップ。冷蔵庫や食品棚のあれやこれや。子どものころからずっと、私を守り育ててくれたたくさんの本。食べ物の味が感じられなかった頃に買った、食いしん坊の好奇心を満たすいろいろな国の料理の本。音楽や動画。仕事着から日常着まで。今打っているPCの部品も。自分の周囲には世界のあちこちの物がある。自分が暮らす日本は言うに及ばず、外国にだってそれぞれに親しみを感じるよすが(縁)がちゃんとあるのだ。

 だから願わせてください。世界の混乱が鎮まりますように。新型コロナウィルスの災禍が1日も早く収まりますように。こんな世の中だけど、皆が歓びや思いやりや希望を持ち続けられますように。言の葉に思いを託して。


2020.03.27 助詞を余分に打ってしまった箇所を発見して、ひと文字削除しました。最近誤字などが多くてすみません。投稿前の確認、もう少し注意しないといけませんね。