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『万物は流転する』

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 ロシアとウクライナの状況が急変して以来、世に送り出す言葉についての自主基準を引き上げていたのを、通常に戻すことにしました。状況が変わったと見てはいないのですが…。言葉を我慢して飲み込んでいたのは、一歩間違ったら戦争、みたいな状況下で気付かぬうちに政府の邪魔をしてしまったら国民として嫌だなと思ったからでした。この数日で私の心情が変わり、2月初めまでの配慮と同じでいいということにしました。
 この数ヶ月ずっと我慢していた言葉を言います。
 北海道知床沖の遭難事故に際し、対応にあたってくださったロシアの皆様、ありがとうございます。人道的に粛々と対応してくださっていることに感謝しながらニュースを追っていました。ロシアと日本の関係が元に、・・・むしろ未来に向けて新しい善い隣人関係が築けるよう願っています。
 善き関係を、との願いは、諸外国に対しても等しく抱く思いです。
 
 もう少し言葉を続けようと頭の中で文章を形にしていたら雨が降ってきました。(哲学的な)世界はやはり、争いの火を鎮めたいようです。水と火について世界が伝えてくる警告を、科学的な言葉で伝えることができたらどんなにいいか…。今の私ではオカルトめいた言葉にしかならず、何も伝えることができないのが情けないです。
 個人的な愚痴ですね、ごめんなさい。7月の初め、おそらく最重度と思われるとてもとても強い警告を受け取って、1人では抱えきれなくて書いてしまいました。
 
 世界に程良い潤いを。水と火のバランスが元に戻れますように。
 
 
2022.07.30 過去の投稿を見直していて今頃気付いたのですが、知床沖の事故についてこの投稿まで触れていませんでしたね、ごめんなさい。順序が前後してしまいましたが、 ご遺族の皆様にお悔やみを申し上げます。対処に当たられた各関連機関の皆様、地元の皆様、お疲れ様です。現在も捜索は継続中とのこと、安全をお祈りいたします。
 
2022.08.01 記事のURLを訂正しました。内容の変更はありません。
 

春に夢見る

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 久しぶりに、頑張って投稿しようとPCに向かっています。
 更新の無い期間も様子を見に来てくださっていた皆様、本当にありがとうございます。うまく説明できないので比喩的表現で申し訳ないのですが、何だか身辺に妙な風が吹いているようで、心の水面がずっと波立っています。吉凶の判らない予兆というのは何度経験しても緊張してしまう。良いことの前触れだといいなあ。とりあえずこの風、吹き始まってから結構な長期間になるのでそろそろ鎮まってほしいです。ちょっとしんどい。

 さて、少し気分を変えまして。この春は久しぶりにドライブを楽しみました。といってもいつもの生活用品の買い出しに行っただけですけどね。
 ただ今年は……通りすがりの花や草木、遠くの山々、空の青や様々な雲、すべての輪郭や色が際立った様子で目に映って、綺麗でした。内なるカミの声を感じ分けるようになったのは幼い頃に「この体はもうダメ(だから脳だけ守ろう)」という言葉が自分の内側から聞こえたのがたぶん最初だったのですよ。あの頃は植物の呼吸 草いきれ をたくさん分け与えてもらっていたなー、なんて思い出してしまったくらい今年の春は自然を近くに感じました。あたたかく優しい思い出、心身の状態が垣間見せた春の夢。

 稀なことだと思うのだけど、昨年あたりから私の元に身を寄せている魂のかけら達が在って。気づいたのは今年の初めだったのですが、いずれも幼い子どもの魂のかけらで、酷い現実から身を守ろうと魂の本体からその一部を逃がしているときに繋がりが切れて戻れなくなってしまったという、なんとも気の毒な状況の子達で無碍にもできずお預かりしています。本体の魂は周囲の心ある方たちに大切に弔われていると思うけれど、逃避していた一部分の魂というのは「信じたかったのに」という思いを抱えた状態で本体と切れてしまっている訳ですね。そのために、転生の輪へ送られて他者の魂と一緒になる事がただただ怖ろしい。それで戻ることなく初めは彷徨っていたらしいのですが、本体とはぐれた魂には世界が感じられなくなって、それもまたとても怖かったようです。子のうち1人は少し様子を教えてくれました。たまたま遠くに見えた灯りに近づいてみたら家があって人がいて言葉がわかるみたいだった、声をかけたかったけれど逃避していた時の気持ちを忘れられなくてできなかったそうです。気づいてほしい、でも気づかれたくない、と窓の下から離れることもできないままそこにいたと。私の側ではちょっとした知らせがあったのでむやみに開けたりはしない魂の窓を開けてみたら、そこに子ども(の魂のかけら)がいたという次第でした。認識した途端にホッとしたときの感じが溢れるように伝わってきたのでね、声を上げてくれて本当に良かったと思いましたよ。よく頑張ったねもう大丈夫だよ、と。
 ものを見たり聞いたり触れたり嗅いだりして何かを感じるというのは体と共に無いと(つまり魂だけでは)できないこと。魂のかけらのままでは、体と共にある(つまり生きている)状態の楽しさや喜びとも悲しみや苦しみとも 無縁 になってしまうということです。
 子ども向けに心を朗らかに保つというのはペシミストの私にとってはなかなかに修行めいた大変な事。それでも、来世を迎えない変わり種の自分に振り分けられた最期の仕事かつ救済なのかもと思って、ね。こんなおばさんで申し訳ないけど、この体を通して「おいしい!」「楽しい」「誰かと一緒っていいな」「泣いた、でもまた頑張ってみる」とかいろいろ思い出してみてほしい。そうして傷を癒していつか、自分自身の新しい人生を求めて旅立ってみるのもいいかなと思えるようになるまでここに居たらいいよ、と伝えました。あまり時間をかけると私と一緒にこの世界から消えてしまうことになるけど、本人達の望みによって前に進むかたちであってほしいです。
 
 こういうわけで今年の春は自然が一層美しく見えて、本当にとても有難いです。生命というものは、難しいことなんて何もなくただ、次なる命に向かうために生きている。本来はそれだけなのです。
 私が生きている。あなたも生きている。同じようにそこの人もあの人も、今はまだ名前も顔さえも知らない誰かも生きている。一蓮托生の関係、「お互い様」の気持ちを持ち合えるよう見直しながら生きていこう。
 一輪の蓮は地球、 つまり 地球に生きる生命全部 だよ。
 
 
2022.07.21 余計な1文字を発見したので削除しました。ついでに。「一輪の蓮」と書きましたが、「一葉の蓮」というのが正解だったような気がします。本文は訂正せず、ここに書き添えますね。
2022.08.18 子ども達のその後はこちら → 御霊(みたま)の道