月別アーカイブ: 2019年9月

魔法の言葉

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 またか、と自分でも思うがちょっと参っています。
 しんどいことが1~2件ならなんとか散らしてやり過ごせるのに、いろいろ重なりすぎて心が縛られる。こういう時、縛っているのは、自分。
 解き放つ魔法の言葉は「だいたいおばちゃん(自分)のせい」。

 今月行われた311の原子力発電所の事故に関する裁判の結果に、自分でも驚いたのですが結構ショックを受けました。私の中で普段は眠らせている幼い私が感情的に反応することは予測していたのだけど、多少は社会性を学んだ現在の私も衝撃を受けていて。裁判の結果については、ものすごくシンプルに言うと予想通りで落胆もしませんでした。落胆は無いのに衝撃というのもおかしな話なので、解明すべく自分の中に潜ったりしていました。
 私は次のように捉えていたのです。「日本の原子力発電をめぐる全ての事情を自分は精確に把握していない。裁判にかかわった法曹界の方々は職責を果たしてくださるはず。私が見るべきところ、考えるべきところは他にある」。それは、裁判の中から日本の未来のかたちを読み取ることでした。

 日本はこの先どの方向へ進むのか。
 あるいはこの国を牽引している人達はどこへ行こうとしているのか。

 究極の理想としては、この2つが一致していて更にひろく国民に寄り添う未来であること、かと思います。国民の指向性も様々なので、一筋縄とはいかないところですが。簡易に想定するだけでも仕事量がとんでもなくて、実際に対処しなくてはならない立場の人の大変さは、形容する言葉を見つけられないだろうと思うほどです。だから究極でなくてもいい、せめて何世代か後の人達が「まあ良し」と肯定できる未来を、と願っていて。
 「日本を牽引している人達や(今回の裁判に限って言えば)日本のエネルギー問題に携わっている人達は、この国の未来をしっかりと見据えている、それは希望的観測に基いた危ういものではなく地に足が着いている」、そういう状態なら現在生きている私達も未来の人達も幸福度が上がるでしょう。逆に「この国、余すほどの果実を得るために国と国民の未来をチップにギャンブルしてるっ!?」だったら怖くて嫌です……。
 それで、今回の裁判の経過から信頼できる材料を見つけて安心したかったのです。勝手な願望ですけどね。
 311以前はおそらく「リスクオン」態勢で、ハラハラしつつも許容しなければと思って見続けていました。311を受けてさすがに少しは変わった部分もあるだろうと裁判の経過を見て。安心は、得られませんでしたね。判決に不満があったのではなく、捉え方を複数想定してみたところ、ほぼ「今後を見ていかなければ判らない」ことを指していたからです。
 仕方ないです、「この裁判で安心できるようにならないかな」というのは元々私が勝手に被せただけでしたから。ね、だいたい自分のせい。
 だから今日の投稿は、内側の探求からそろそろ浮上するための思考整理です。原子力発電所の存在にそれだけ疑問や不安を感じながら暮らしていたと再確認したこと、「他罰志向<<<未来指向」の自分に安堵できたこと。この2つを収穫として再び経過観察、今回の裁判についての衝撃はこれにて終了、と相成りました。

 こんな風に沈んだ時のセーフ機能として「食の覚書」を用意しておいたのに、役立てられないとは我ながら情けない。情けなさに発奮して自分に喝を入れるところまで到達して戻ってきます。


2019年9月9~16日

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買い物グループ1

鶏胸肉13 牛もも肉14 卵10個


買い物グループ2

えのき ブロッコリー 生姜 カットフルーツ
南瓜 マッシュルーム


主な献立と主な材料

牛と野菜炒め      牛肩ロース肉 玉葱 えのき トマト ソース 出汁 かつお節
鶏のチリソース     鶏胸肉 生姜 ブロッコリー パイナップル 黒豆 チリソース
南瓜のレモンバター   南瓜 レモン バター
さつま芋のポタージュ  さつま芋 ブロス アーモンドミルク 黒胡椒粒
牛ときのこのスパゲティ 牛もも肉 えのき マッシュルーム 生姜
塩焼きそば       豚もも肉 えのき 生姜
和風きのこスパゲティ  えのき 舞茸 トマト オリーブ油 しょう油 レモン




とりとめもなく

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 今回の災害のようにライフラインが長く停止して日常生活が壊されるニュースに接するたびに、いろいろなことを考える。他者からは「無駄な考え」と切り捨てられるようなこと。私では答えに辿り着けないだろうからと判っていても、考えることをやめることができない。

 考えていたことの1つは「現代のエネルギー問題の最適解はどうなっている?」。世界中の権威が真剣に取り組んできて、未来の在り方も含めて考えていることだろうと信じている。そのうえでの現状ということは、エネルギーだけではなく他にも様々な事情が複雑に絡んで縺(:もつ)れてしまっているのかな、解きほぐせる人はいるのかな、と。

 まずは情報の整理から。311があってから地図をよく見返すようになったが、日本は平地が少ない。もっと言うと実は水も少ないのだが、話が長々と逸れてしまうので今日は触れずにおく。もともと少ない平地に農業工業その他の産業がひしめき合って、居住地もあまり取れないので日本の住宅は狭い。なのに人口を殖やせと言って、丘だけでなく山をも侵食して、どこへも行きようがないほど行き詰ってしまったのが現代の日本、だそうだ。(脱線。ちなみに人口増加は日本だけでなく世界の問題だが、「減ったら増やせ、増え過ぎたら減らせ」よりも「人類が全員5%ぐらいずつ小型化する」ほうが平和的解決への道じゃない?という私見を持っている。)
 昨年の西日本の水害のとき、該当する地図を見て「被災した方々にこの先の在り方をどう考えてもらおうというのか」と、心が重くなったことを覚えている。長い年月、その地に適応してきた結果として街の形があり、ギリギリまで土地開発をして災害に遭った。居住地を山際から移そうにも場所が無い。産業を潰して居住地を確保しても、仕事が無くなってしまったら立ち行かない。そういう場所が日本中にあって、専門家や関係者が集まって苦心して対応を考えてきた。防潮堤を作ったり川床を掘ったり。災害時の脆弱さが指摘されるようになった高層マンションだって、初めは限られた日本の国土において居住地を確保するためだったのだろう。そんな状況の日本において、エネルギーの最適ってなんだろう?考えも行き詰まってしまう。
 日本の話をいったん置いて、世界に目を向けてみる。当たり前だが世界は広い。日本より平地が広い国狭い国、台地の国、山岳の国、砂漠の国森の国。全てを挙げることはできないが、街づくりやエネルギー問題を考えるとき、日本の国土と条件が大きく異なる国の在り方を参考にしすぎてはいないだろうか(逆に他国に援助をするときも、その国の国土の条件に真に適したものを提案できているだろうか)。

 行き詰まると、私はよく思考の迷路(自作…)に堕ちる。
 人間は悲しい生き物だ。強いられてなのかいつも無理をしているから、同じ色に染まって安心したい。むしろ同じ色に染まらない者がいたら排斥したいほどに、同化による安心を切望する。幼子が本能的に保護者の色に染まって擬態し安全確保を希求するのと構造が似ている。だから、「革新的な技術」みたいな評価をされるものが出るとみな同じに揃えようとする。自らの内に生じた基本的な疑問を封殺してでも。
 最近だと、平地斜面を問わず増殖する太陽光発電もその一例に見える。太陽光発電を私は選択肢の1つとして支持するが、木をすべて伐採して斜面に並べられたパネルにはゾッとする。雨にも地震にも弱すぎる。その危険性はパッと見ただけで十分に予見できるものだ。昨今の気候を受けて何故あのような発電ファームが造られるのか、何故許可されるのか。早い段階で、法整備により建物に付随する形に限定することだって本当はできたのではないだろうか 。悪意を持って設置しているとまでは思わないが、狭い日本で土地を太陽光発電に専有利用させる余裕や必要があるのか大いに疑問に思う。

 気枯れの影響を受けているとはいえ、言葉選びに配慮が少し欠けているだろうか。文句ばかりではと私もずっと考えたり調べたりを続けてはいるのだけど、私が見つけ出す可能性なんて、もっと賢い誰かがとっくに考えついて実現性や実効性に乏しいと判断されて廃棄されている気がしてしまう。
 例えば。時々通る市内の山間部で311の翌年か翌々年に農地の大規模改良工事が始まった。ひとつひとつの区画をそれまでよりずっと大きくしてきっちり並べる工事だった。その横に整備された見事にまっすぐな農業用水路を何度か見ているうちに「何かに使えそう」と可能性を予感するようになった。本来は農業用の水だから消費するのはNG、汚すのもNG。何か無いかと思っていた数年前、ベルギーの Turbulent Hydro という会社の小水力発電機器のニュースを目にした。魚などの生態系やメンテナンスのうえでとても良さそうで興味深いし、とにかく小さくて設置場所を選ばず初期費用が抑えられるのもいい(素人感丸出しの感想でごめんなさい、興味や資金のある方はHPかYoutubeへどうぞ。あるいは体力も財力もない私に先んじて、運用の実態をその目で見てきてほしいです)。「発電なら国産の機械で!」という方向けには、山形県の小水力発電の取り組みがこちらは国産だったようなのでご覧あれ。1年以上経過して、雪国の冬の小水力発電の実態についてどのようなデータが取れたのか私も後で見直そう。
 農業用水路が利用できるならば、この発電法は日本のエネルギーの在り方のひとつとして各地で有用だと思う。水利権は事情が複雑だと聞くが、農業をはじめその水を利用する関係者に有用性が伝われば、可能性はあるだろう。
 小水力よりもっと小さな水力による発電を、実は日本のメーカーは実装している、というニュースも読んだはずなのだが、見つけられなくて紹介できないのが不甲斐ない。トイレか…洗面台のほうかな。落ちていく排水で小さな電力を作って溜め、センサーの電力源として使用しているというのがあったはずなのだけど。そういう小さな利用の仕方も可能となると、住宅他建物に限らずすべての設備に可能性が出てきて(それはもちろんコストがかかるけれど)、未来の社会の道筋のひとつになるのではと期待が膨らむ。

 それから(基本の発電所と併用して)小さな発電所が各地に有れば災害のとき小事で済むのではないかと期待する。ただし一方で、セキュリティ面では問題を抱えることになるかもしれない。こちらはエネルギー問題としてではなく、災害対応等を絡めて検討してほしいと個人的には思う。
 311、そしてその後の多くの災害を見ていて思い浮かぶのは、「どうして自身も被災している場合もある現地の首長や自治体に任せているのか?」という疑問。家財が毀損されていくのを為す術もなく見ているしかなかったり、大切な存在が怪我をしたり亡くなったり。そういった状況のただなかにある人達に「いつも以上に冷静に的確で迅速な判断を以て指揮をしろ、周囲を導け」というのは酷な場合もあるのでは、といつも心配になる。非常時に思考がまとまらないこともあるし、逆に非常時ほど冷静になれることもある。人間なのだ、その時になってみなければわからない。
 「だから人道的な配慮で他の人が」と私は思ってしまうが、たぶん「人道的に配慮した結果」現在の体制が採用されたのだということも推測はできる。つまり、いつかの災害の時に「非常時に知らない人が自分たちの土地に大挙してやってきて主導権を握られているというのは現地の人たちにとって怖いことではないの?」と慮った人がいて、「なるほど」と思った人がいて、意見として採用されたという経緯があっただろうと推測している。当事者か第三者かというのは難しいところだ。
 だが実際、現地では設備の損壊なども起こり得るのだし、災害対応の本部は国に常時設置する方向で検討する余地はないだろうか。頭脳のところは小さく少数精鋭で情報集約と指揮を。実働部隊は現在災害救助や復旧を担ってくれている自衛隊に請けてもらって、普段の業務に(先ほどの話の)小さな発電所のセキュリティを含める代わりに待遇改善の予算を確保するとか、無理かな。警察は、人員に余裕があるなら「(現在は虐待という特殊用語でくくられているが実際は)保護責任者による傷害等事件」の専任部署を持ってほしいので。被災した自治体の中で動ける人や動いていたほうがいいという人も出てくるだろうけど、現地自治体内の連絡室を立ち上げてもらって本部と被災地の間の調整にあたってもらえば十分では。現地の事情や事務などこまごましたこと(被災状況下ではきっと大変な作業)は、該当する自治体の中の人でないとわからないこともあるだろう。


 まあ、こんな風に。エネルギー問題からどんどん逸れて行ってしまう辺りが、私の限界を示しているんですけどね…。でも。いま存在している人達にも未来の人達にも、生きてほしい。活きてほしい、でもある。そのために自分の考えを持ってほしいです(ちなみに自分の考えを持つことと考えを実行することとは必ずしも100%一致はしない。これはとても大事なことです)。
 自分を裏切らないことと同化することだったら同化するほうを選ぶ、というのは生きているのかな。能動的に選んでいる人の場合は生きているだろうけど、「それ選択肢になってないから」と同化を選んだ場合は違うかもしれない。考える力はあるのに、安全な状況で安心できていなければ自分の考えを頭の中に持つことさえできないと自分を縛る。それほどに怯えている人も世の中にはまだ多くて、そのことがとても悲しい。
 いろいろな人がいて、いろいろな考え方があるのが当たり前で。それぞれ折り合いをつけて仲良く、無理ならお互いに波風を立てずにやっていける、そういう世界であってほしい。みんなそれぞれに芽吹き、花開き、実りを得てほしい。
 自然と同化して気を巡らせながら、そんなことを思い連ねている。