投稿者「lawba」のアーカイブ

台風19号(2019年)

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 とても強い表現で気象庁が警戒を呼び掛けていた台風19号が、日本の広範囲に大変な被害をもたらしました。
 お読みくださっている皆様のお住まいの地域は大丈夫でしたでしょうか。私の住む街も県も、かなり酷い事態です。

 こんな時、何が言えるだろう。あちらもこちらも縁のあるところも水に浸かってしまって..。今は、ごめんなさい、被害の数字を記録しておくこともつらく感じます。
 被害に遭われた方々に、心からお見舞いを申し上げます。

 また雨が降り出してきましたね。救助や復旧などの作業に当たる方々は、全方位安全第一で。私の夫も台風の間30時間以上職場に詰めていてとても心配しましたが、非常時とはいえ生身の人間、冷静で的確な判断を繰り出し続けるにも限度があると思います。どうか無理はしないでくださいね。
 私達向けには、いつもより注意深く先を見て行動しましょう。それと、マスクと目の保護、手洗いうがいは普段よりも注意しましょう。いつもの雨上がりの水たまりの泥とは違います。下水も何もかも混ざってしまっていますから、これから乾いていくと心配だという声が各所で聞かれます。汚水に浸かったのでなければ、インフルエンザ流行の時と同じ対処でだいたい大丈夫そうです(念のため、ご自分でも調べてみてくださいね)。


 次の言葉が今回は…。でも祈りを込めて書きます。
 安心して暮らせる日常を、皆が取り戻せる日を迎えられますように。


みかん

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 久しぶりの投稿になります。読むために訪問してくださっていたかたがいたら、間をあけてしまってごめんなさい。まだ闇を抜けていないため完全復活ではありませんが。


 数日前、青味の残る みかん を購入しました。例年なら、シーズン最初にみかんを食べるのは早くても10月末ごろです。今年は心が底無しに沈み込んでいくので、食物の助けを借りたくて珍しく10月初旬に買ってきた、というわけです。
 外皮を剥き始めて、あ、と気が付きました。他の果物でも野菜でも、シーズン初め、ハシリの物は柔らかくも鮮烈な瑞々しい香りがするはず。それが今回購入したものは淡い。みかんの良い香りはするけれど、この時期のものにしては少し淡すぎる。食べてみると酸味がほとんどありませんでした。
 これが何を示しているかというと、「その実が収穫された木や土が疲れてしまっている」ということです。生産地の表示を見直すと、今年厳しい気候にさらされた地域でした。花の後に実をつけて収穫に至るまで、みかんにとっても暑さや雨との厳しい攻防の日々だったのでしょう。実に残るビタミンがやや少なめになってしまったらしい薄甘いみかんを、大切にいただきました。

 この話を投稿するかどうかしばらく迷いました。
 読んでくださった方がどう受け取るか、それを書き手である私はコントロールできません。シミュレーションでいくつもの予測はするものの、数も方向も勢いもすべて予測するなんてことは不可能です。栄養が減っているかもしれないなら他の生産地の物を買うという人が現れるでしょう。他の果物にするという人もいるでしょう。今挙げた例は買い控えを引き起こしかねないので、わかっている人々はあまり言葉にしません。
 けど、家庭の格差によってそういった知識に出会えない人もいることを思うと、放っておけないのです。病気や怪我からの回復を意図する人が素材を厳選したからといって、誰が責められるでしょう。それに、いや私は生産地を応援するよと選んで買う人もいるかもしれないし、毎年同じ生産地の物を食べているという理由で選ぶ人もいるはずです。厳しい自然を乗り越えた作物だから食べる意味や価値があるという、崇高な目的の人もいるかもしれません。同じ事象に遭遇した人達がそれぞれどんな行動を起こすかなんてとても読み切れるものじゃない、でしょう?
 いろいろな考え方をしてみてください。最初に思ったこと、それと反対のこと、それらとは全く違う考え。それぞれの着眼点から、現在の自分達に適切な道を選べばそれでいいと思います。昨日と今日で違う道を選ぶことだって有りなのです。
 私は、そうですね、とりあえず投稿の余波代として同じ生産地の物をもう1度購入します。「この時期にしては酸味が弱い」というだけで、みかんとしては十分おいしかったので。みかん以外の物も食べて生きているから、栄養は他で補うつもりです。

 まあ、今年は大変ですよね。日本中(大雑把な情報収集だと世界も)どこも気候が厳しくて、直売所の野菜でさえ元気が無い物も少なくない状態。「目標の栄養量を摂るために例年より多く食べる?」というのもそう簡単にはいかないですしね。許容量は急に変えられないし、消化器官に負荷をかけて病気になっても本末転倒。私も大失敗してます。よりにもよってこの夏に、落ち込んだ時にうっかり食が細くなって、そこから坂道を転げ落ちて現状です。抜け出したい…情けないー!あとこんな恥ずかしいことをネット上に晒して自己嫌悪もあったり。
 そもそも食事の全てを成分分析にかけてそれぞれの栄養量を把握しているわけでもないので、今年のような場合、頼りにできるのは健康に対する自分の定規だけです。「なんとなく」元気が出ないとか、「なぜか」疲れが抜けないとか。いつもの食事では不足してしまう年もあることを、頭の片隅に留めておいてもらえたらいいなと思います。

  自分の身体の声を聞くこと、
  そして身体が正しく発信できるよう調整すること。

 これが出来るようになれば、身体に今必要な(あるいは不足している)栄養がわかるようになってきますから。自分でご飯を作る環境をようやく手に入れたとき、私はゼロどころかマイナスからのスタートだったのです。そんな私でも多少はわかるようになれましたから、たぶん難しいことではないと思います。

 読んでくださった方と周りの方々が健康でいられますように。
 今年はしばらく穏やかに過ごしましょう。
 


 文章入力のとき、入力中の行にスクロールされない(?)問題が解決していました!自分では何も(本当に何にも)する余裕がなかったので、WordPressかプラグインの方で対処してくださったのかな。ありがとうございます、とても快適です。本当にありがとう!

 

魔法の言葉

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 またか、と自分でも思うがちょっと参っています。
 しんどいことが1~2件ならなんとか散らしてやり過ごせるのに、いろいろ重なりすぎて心が縛られる。こういう時、縛っているのは、自分。
 解き放つ魔法の言葉は「だいたいおばちゃん(自分)のせい」。

 今月行われた311の原子力発電所の事故に関する裁判の結果に、自分でも驚いたのですが結構ショックを受けました。私の中で普段は眠らせている幼い私が感情的に反応することは予測していたのだけど、多少は社会性を学んだ現在の私も衝撃を受けていて。裁判の結果については、ものすごくシンプルに言うと予想通りで落胆もしませんでした。落胆は無いのに衝撃というのもおかしな話なので、解明すべく自分の中に潜ったりしていました。
 私は次のように捉えていたのです。「日本の原子力発電をめぐる全ての事情を自分は精確に把握していない。裁判にかかわった法曹界の方々は職責を果たしてくださるはず。私が見るべきところ、考えるべきところは他にある」。それは、裁判の中から日本の未来のかたちを読み取ることでした。

 日本はこの先どの方向へ進むのか。
 あるいはこの国を牽引している人達はどこへ行こうとしているのか。

 究極の理想としては、この2つが一致していて更にひろく国民に寄り添う未来であること、かと思います。国民の指向性も様々なので、一筋縄とはいかないところですが。簡易に想定するだけでも仕事量がとんでもなくて、実際に対処しなくてはならない立場の人の大変さは、形容する言葉を見つけられないだろうと思うほどです。だから究極でなくてもいい、せめて何世代か後の人達が「まあ良し」と肯定できる未来を、と願っていて。
 「日本を牽引している人達や(今回の裁判に限って言えば)日本のエネルギー問題に携わっている人達は、この国の未来をしっかりと見据えている、それは希望的観測に基いた危ういものではなく地に足が着いている」、そういう状態なら現在生きている私達も未来の人達も幸福度が上がるでしょう。逆に「この国、余すほどの果実を得るために国と国民の未来をチップにギャンブルしてるっ!?」だったら怖くて嫌です……。
 それで、今回の裁判の経過から信頼できる材料を見つけて安心したかったのです。勝手な願望ですけどね。
 311以前はおそらく「リスクオン」態勢で、ハラハラしつつも許容しなければと思って見続けていました。311を受けてさすがに少しは変わった部分もあるだろうと裁判の経過を見て。安心は、得られませんでしたね。判決に不満があったのではなく、捉え方を複数想定してみたところ、ほぼ「今後を見ていかなければ判らない」ことを指していたからです。
 仕方ないです、「この裁判で安心できるようにならないかな」というのは元々私が勝手に被せただけでしたから。ね、だいたい自分のせい。
 だから今日の投稿は、内側の探求からそろそろ浮上するための思考整理です。原子力発電所の存在にそれだけ疑問や不安を感じながら暮らしていたと再確認したこと、「他罰志向<<<未来指向」の自分に安堵できたこと。この2つを収穫として再び経過観察、今回の裁判についての衝撃はこれにて終了、と相成りました。

 こんな風に沈んだ時のセーフ機能として「食の覚書」を用意しておいたのに、役立てられないとは我ながら情けない。情けなさに発奮して自分に喝を入れるところまで到達して戻ってきます。