魔法の言葉

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 またか、と自分でも思うがちょっと参っています。
 しんどいことが1~2件ならなんとか散らしてやり過ごせるのに、いろいろ重なりすぎて心が縛られる。こういう時、縛っているのは、自分。
 解き放つ魔法の言葉は「だいたいおばちゃん(自分)のせい」。

 今月行われた311の原子力発電所の事故に関する裁判の結果に、自分でも驚いたのですが結構ショックを受けました。私の中で普段は眠らせている幼い私が感情的に反応することは予測していたのだけど、多少は社会性を学んだ現在の私も衝撃を受けていて。裁判の結果については、ものすごくシンプルに言うと予想通りで落胆もしませんでした。落胆は無いのに衝撃というのもおかしな話なので、解明すべく自分の中に潜ったりしていました。
 私は次のように捉えていたのです。「日本の原子力発電をめぐる全ての事情を自分は精確に把握していない。裁判にかかわった法曹界の方々は職責を果たしてくださるはず。私が見るべきところ、考えるべきところは他にある」。それは、裁判の中から日本の未来のかたちを読み取ることでした。

 日本はこの先どの方向へ進むのか。
 あるいはこの国を牽引している人達はどこへ行こうとしているのか。

 究極の理想としては、この2つが一致していて更にひろく国民に寄り添う未来であること、かと思います。国民の指向性も様々なので、一筋縄とはいかないところですが。簡易に想定するだけでも仕事量がとんでもなくて、実際に対処しなくてはならない立場の人の大変さは、形容する言葉を見つけられないだろうと思うほどです。だから究極でなくてもいい、せめて何世代か後の人達が「まあ良し」と肯定できる未来を、と願っていて。
 「日本を牽引している人達や(今回の裁判に限って言えば)日本のエネルギー問題に携わっている人達は、この国の未来をしっかりと見据えている、それは希望的観測に基いた危ういものではなく地に足が着いている」、そういう状態なら現在生きている私達も未来の人達も幸福度が上がるでしょう。逆に「この国、余すほどの果実を得るために国と国民の未来をチップにギャンブルしてるっ!?」だったら怖くて嫌です……。
 それで、今回の裁判の経過から信頼できる材料を見つけて安心したかったのです。勝手な願望ですけどね。
 311以前はおそらく「リスクオン」態勢で、ハラハラしつつも許容しなければと思って見続けていました。311を受けてさすがに少しは変わった部分もあるだろうと裁判の経過を見て。安心は、得られませんでしたね。判決に不満があったのではなく、捉え方を複数想定してみたところ、ほぼ「今後を見ていかなければ判らない」ことを指していたからです。
 仕方ないです、「この裁判で安心できるようにならないかな」というのは元々私が勝手に被せただけでしたから。ね、だいたい自分のせい。
 だから今日の投稿は、内側の探求からそろそろ浮上するための思考整理です。原子力発電所の存在にそれだけ疑問や不安を感じながら暮らしていたと再確認したこと、「他罰志向<<<未来指向」の自分に安堵できたこと。この2つを収穫として再び経過観察、今回の裁判についての衝撃はこれにて終了、と相成りました。

 こんな風に沈んだ時のセーフ機能として「食の覚書」を用意しておいたのに、役立てられないとは我ながら情けない。情けなさに発奮して自分に喝を入れるところまで到達して戻ってきます。