2011年の映画「コンテイジョン」を見た。力がわいた。マスク配布をめぐる状況でモヤモヤしている場合じゃない。9年前、夫が1番大変な時に私は側にいてあげられなかった。震災と原発事故、政府への疑心暗鬼に耐えられなくなった私の魂は少しずつ空へ逃れ、気付いて戻ったときには既に3ヶ月が経過していた。その間、夫に寄り添っていたのはセーフモードで動く私の抜け殻。私の人生最大の汚点だ。今回の災禍では最期まで共に在ろうと決めている。こんなことで心を折るつもりはない。
できることをしよう。
暖かくなってきたけれど、炬燵と電気毛布はすぐにセットできるよう手前にしまおう。体の冷えはウィルスなどにとって格好の隠れ家。入浴や運動で体温を保っていられればいいのだけど、気付いたら悪寒が…という状況ではきっと必要になる。そうならないよう手を尽くしてくれているのだろうけれど、自分が罹患したときに医療が崩壊していないという保証はない。
逆に保冷剤と氷も用意しておかないと。COVID-19はどうも解熱剤の使用が良くないらしいから、高熱が出たら体は冷やさず頭だけを、薬効ではない方法で冷やさないといけない。氷のうや保冷剤で脳を守るのだ。どうしようもないときには、氷で口の中から頭部の上方を冷やすこともできる。この用途だとかき氷のふわっとした氷が最適だが、高熱の時に自分でフードプロセッサーをセットして用意できる気がしないから、小さな氷塊を選んでダイレクトに放り込むことになるだろう。
高熱を下げるために人間の体は大量の汗を排出するから、服の予備も増やしておいたほうがいいかもしれない。布団に汗が染みないように、バスタオルの在庫枚数もみておかないと。電子体温計の電池もそれにしか使わない規格で手持ちの在庫がなかった気がする。行き届いていないところ、いろいろあるな。
息抜きでネットを眺めているような時は、同時進行で頭蓋骨と上顎下顎、頸骨の位置を調整して鼻の通りを常に良くしておくとか。通常呼吸にオプションを用意するために、息を吐ききって、元に戻る動きに任せて空気を取り込んだ後に、肺を拡げて空気を吸い込む、という違う方法での呼吸の練習や背中側の筋肉を意識した呼吸の練習とか。自分の脳に教え込んでおくと、重篤化して意識を失った時も脳が情報を引き出して体を守ってくれるかもしれない。なんて神頼み的なことを真面目に備えるというのも、この際アリかも。自暴自棄に書いているわけではないですよ、半分冗談で半分本気。何か行き詰まった時は、いつもの家事をしながら馬鹿馬鹿しいほどに思考することでリセットするのが癖というだけだ。火事場で理性を取り戻すのに掛け算の九九をそらんじるようなもの、と説明したら少しは理解してもらえるだろうか。自分でも変な癖だとは思う。
私のことはさておき。
国と東京都で意見が違うとかいろいろ報道されているけれど、どうかあまり煽らないで。お願いします。この件については大手の新聞が、国への辛口な記事を掲載すると国を擁護する声がすごくてそのことが不安だと危惧する記事を掲載していました。もっともな意見だと私も思ったけど。
大本営報道のわだちを踏むまいという、新聞社の矜持は伝わってきました。平時なら対立構造や問題点を浮き彫りにするという話法も肯定される場面があっていいと思いますが、今は非常時、それも近年日本が体験してきたような局所的な災害ではなく世界で同時に進行している有事です。国内で割れている場合ではなくて、世界全体で協調することを考えるときです、というのは報道に向ける言葉ではないか。そういう事態なので対立や煽りなどの話法は控えめでお願いしたい、というのがCOVID-19報道についての個人的な意見です。
同調が過ぎれば過去の轍が、対立が過ぎれば混乱が。どちらもバランスが難しいですよね。批判精神を失っては報道の仕事にならないでしょうから一応考えてみました。対立や問題点を指摘するときには同じ記事の中で協調案の提言にまで話を運んでみるとか、ソフトな形に換えて伝えられませんか?字数の制限もある中で簡単なことではないですが。
私はペンの力を信じる者の1人であり、言葉を仕事にしている皆様は敬意を払う対象です。この社の記者の本も手元にあるけど、真摯な姿勢が感じられる内容でした。だからこそ、言葉の専門家としてそこは頑張ってくださいと、新聞(紙)を読みつつ応援しています。
おっと、日付が変わってしまったので、今日はここまで。今の時期、夜更かしは良くない。
コロナにも経済的にも負けずに、皆、頑張ろう。
2022.03.03 文中に出てくる本のタイトルは「誰もボクを見ていない」、2017年にポプラ社から出版されたものです。