日々の覚書」カテゴリーアーカイブ

ただいま I’m home. 

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 ようやく戻って参りました、lawbaです。
 休養中もサイトを訪問し続けてくださった方々、ありがとうございます。そしてご心配をおかけしました。皆様がこの期間、健やかな日々を送れていたならうれしいです。
 私のほうはお腹の痛みもほとんど治まって、1人での外出はまだ出来ないのですが、手すりを使わずに階段をのぼれるくらいには回復してきました。今回の事の顛末(:てんまつ)は「半世紀生きている人間でも、こんなに阿呆でいいんだ!?」という反面教師としては、お目汚しながら投稿1回分くらいの価値はあるかもしれませんが…。いつか話題を思いつかないときか現実逃避したくなったときにでもお話ししますね。
 今は、どうにもアメリカで起きていることが気になって。それで頑張ってサイトに戻ってきたので、個人的なお馬鹿話は後回しです。

 気になったとは言っても、現地をこの目で見ているわけでも英語に堪能なわけでもない。何かの専門家ですらない身に書けることなどほとんど無いわけですが。いい加減なことを書くわけにはいかないしね。ただ、先のアメリカ大統領選後の数年間ずっと気に懸かっていた日本の小説を、「もっと早く読み返していれば・・・」と後悔しながら今やっと再読しています。
 タイトルは「虐殺器官 Genocidal Organ」、作者の伊藤計劃さんは2009年に若くして亡くなられました。検索してみたところ2012年に英語訳、おそらく映像化に併せて2018年頃にフランス語訳、スペイン語訳が出版されたようなので、海外でもお読みになった方がいらっしゃるでしょう。ちなみに映像化作品は技術的に見応えのある良作ですが、映像化にあたって宗教等デリケートな扱いを要する部分は結構カットされてしまっていて、個人的にはその点が少し残念です。主人公のシェパード大尉は死ぬことや生きること、人の権利、ことばの持つ力とその怖ろしさについて対話や自問自答を幾度も積み重ねていて、任務(現実)の影響も加わってエンディングへと帰結していくので、原作において宗教観や哲学は不可欠の構成要素、というのが私の読解だったからです。

 Black Lives Matter が気になると言いながら日本のフィクションの話をしていることで、読んでくださっている方を苛々させてしまったでしょうか。しかし今アメリカで起きている、そして世界各地でも起こりつつある状況は、この小説の結末とどこか重なっている気がして。
 「現実世界の私達は、小説とは違う結末を掴み取ろう。」きっとそう呼びかけたくて、今日の投稿を綴っています。
 文章として送り出すことは正直に言うと怖いけど勇気を出して書きます。

 Black Lives Matter じゃない。
  All Lives Matter ですよね?

 英語の文法的に間違っているかもしれませんけど。洩れ伝わる人々の様子から、既にそのように行動している方々も多いと思われます。皆様に感謝を。そして、どのような事情であれ、今回のことで命を落とされた方のご冥福をお祈りします。
 負傷された方も多く施設など建物の被害もあって、不安が拡がっていることと思います。物事を考え、他者と対話できることは人間の利点です。どうか、すべての生命を尊重して行動してください(難しいことをサラッと言ってしまったことはごめんなさい)。
 人種、貧富の差、能力的な優劣。そのようなものに囚われず、すべての他者と対等に向き合いましょう。貧富の差なんて移ろうもの。能力の差も現在だけ切り取る意味は無いです。過去には現在とは違う状況があったのだし、未来でどう変わっているかは判らないのだから。
 すべての他者と対等に。私も100%出来ているわけではないけど、そのように在るために自分を律する努力を続けます。努力しなくてもその振る舞いが自然である、という日を迎えるまで。

 穏やかで健やかな日々を皆が取り戻せますように。

サイト主、療養のお知らせ

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 久しく更新できず、すみませんでした。
 皆様はCOVID-19から身を守りつつ元気で毎日を送れていますか?

 私は4月の20日の朝に、お腹の中を怪我してしまって何もできない状態でした。40度近かった熱が少し下がってきた頃に、「サイトをしばらく更新できないとお知らせを」と頭をよぎったのですが、ログインのように注意力の必要な作業は出来そうになく、いわんや文章をや。今日は37度前半で、「短い文章なら」と打ち始めたのですが、ここまでの文章にかかった時間の長さに呆然・・・。

 このような状態なので、まだもう少しお休みさせてくださいね。いつまでに、と言えないのは心苦しいですが、体調をしっかり戻したらまた更新します。
 皆様、どうぞ健やかな日々を。

転んで起きて。

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 昨夕、少し夫に当たってしまった。自分で思っているより心が疲れているらしい。
 夫は気遣って関心を向けてくれたのだ、「野菜の値段、最近上がったりしている?」と。「仕方のないことだ」と私は説明した。春の訪れが早いと思ったら3月の末に雪が降り、4月10日過ぎの今また雪が降ろうとしている(実際に降りました)、今年のような特異な気候のもとでは野菜などの食品は影響を受けるのだと。この冬は暖冬で雪が記録的に少なかったはず、水不足が起こるかもしれない、今年の米はどうなるだろう。そこまでパッと浮かんでうっかりそのまま口に出してしまった。
 「心配し過ぎじゃない?」と夫は言った。不安の芽を言葉にしたら、夫は私がそれに囚われないように否定の言葉を返す。いつもどおりの会話の流れだ、予測できないことではなかった。それなのに、このところの陽気で夫も私も少し気が緩んでいることを懸念していたことも影響して、自分で堤防を突き崩してしまった。
 心配し過ぎじゃないよ・・・。呑みに行きたいとか休日に遠出したいというあなたの気持ちはわかるけど、今がどんなときかわかってる?…日本の食糧自給率を考えてみてよ。100%には程遠くていろいろな国からの輸入に頼ってる。だから政府は「バラマキ」と批判されても国際機関や他国に資金を出し続けているのかもと思って、私も我慢して見守っている。…でも、その輸出国でもコロナは流行っていて外出制限やお店の品不足が起きている。COVID-19だけじゃない、世界には今イナゴの害もある(2020.04.15訂正、サバクトビバッタです)。遠からず、これまでのようには日本に食糧が入ってこなくなる未来も可能性の1つとして想定しなくてはいけない。…買い占めや買いだめが批判されているけれど、彼らはその危険性に思い至ったか無意識に危機を感じ取っていて、大切な人たちを守りたくて闘っているのだと思うよ。…「戦時下」という言葉を使った外国の政治家が何人かいるけど、対岸の話ではない。日本も世界もあらゆる面で備えなくてはならない時。…話を戻して、日本が今どのくらいの危機に直面しているかを戦時らしい例えで言ってみるとね、国を挙げて今すぐに全ての公立学校の校庭に農業用の土を運び入れて畑を作り、豆や野菜や芋を植えて育て始めなければっていうくらい。収穫まで数ヶ月かかることを考えたらいろいろと遅すぎる。・・・
 というようなことを、淡々と言葉にして心のうちから送り出してしまった。合間に夫の受け答えがあって、一応会話として成立していたけれど。「確かにそこまでされたら今までと同じ感覚で遊びに出歩く人はいなくなるね…」と夫は真顔になってしまった。ああごめんなさい、気にし始めて4ヶ月、とうとうやってしまった…。COVID-19の受け止め方なんてそれぞれで、夫だって危険性をわかっていないわけではない。知っていながら、夫の心の灯を私が消してどうするのだ…。未来について考えるときは3方向、いい方と悪い方と現状維持のそれぞれの方向を必ず想定するようにしている。そう、これはただの想定で、ペシミストの私が考えた悪い場合の仮定のひとつに過ぎなかったのに。これではコロナ離婚になってしまう。
 COVID-19がもたらした世界的な惨事のただ中で確定しているのは、収束させる方法は未だ無いという不安と何とかしようとしている人達も大勢いるという希望。
 先の道のりは長い。嘆きながら暮らすなんて難易度が高すぎる。肯定する言葉を使って、夫の心に再び希望の灯をともそう。闇を抜けるまで一緒に歩き続けよう。


 2020年4月13日現在で、COVID-19による死者は10万人を超えました。
 亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。やりきれない別れ方をしなければならないと聞きます。遺された方々の心にいつか慈しみの雨が届きますように。
 医療をはじめ様々な現場でご尽力されている方々のご健康を心からお祈りします。
 この禍をひとりでも多く乗り越えられますように。