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夏の台所 2021

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 皆様、こんばんは。お変わりなくお過ごしですか? 私は夏の疲れも取れた今ぐらいの季節が1年で最も体調が安定するので、元気ですよ。眠気と頭痛が少し続いて気になりますが、涼しくなってきたので朝までぐっすり眠れる日もあります。ありがたいことです。
 今日はこの夏の食にまつわるこぼれ話、お付き合いくださいませ。

暑いのは苦手です
 夏の台所って、暑いですよね。
 暑い台所で火を使い調理するのは苦手です。調理のための耐熱エプロンがあったらいいなと思ってずっと探しているのだが、なかなか機能と好みの折り合うものが見つからない。とりあえず、体力が落ちていてコンロの火で胴体に負荷を感じる日は、盾さながらに蓋を構えて鍋をかき混ぜたり。
 夏は出来るだけコンロの前に立たないのが肝要です。物事も鍋も、時には斜めからのアプローチで正解という場合もありますよね。

もしもの備え
 夏の…とタイトルに書いておきながら春からの話なのですが。4月後半に第4波と称されるコロナ感染のピークが来た時に「いよいよ我が身にも降りかかるかもしれない」と覚悟して準備したもの。
・ゼリー飲料 マルチビタミン、プロテイン、クエン酸の3種類 各1箱(6個入)
・お湯を注ぐだけのカップスープの素5種類 100食
・スポーツドリンク500mlを6本
 余計な備えかなと迷ったのだけど。東京や大阪などの大都市や周辺で、保健所の確認の段階でパンクしつつある話などが聞こえてきた頃だったので、高熱の時でも摂れそうなものに特化して補充しました。補充と書いているのは、これに加えて、災害用のローリングストック(缶詰、パックご飯、レトルト食品、インスタント味噌汁、長期保存パンなど)もあるからです。…なんか台所狭く感じるようになってきた。ごみだけで120cm幅のロッカーひとつ分くらい保存場所が必要で、ローリングストック(汎用)(コロナ特化)が加わって。住み始めた頃とはライフスタイルが変わってしまいましたね。変わらざるを得なかった。…まあ、生き続ける間にはそういうこともあるさ。
 それから夏の間に、
・果物や野菜の無糖のピューレ1箱(20個入)
・バターのクッキー1箱
も買い足しました。体に負担の少ない甘味も、いざ臨戦態勢になって強ばった心身を休ませるには必要ですよね。

 熱中症になりやすい私が少し予兆を感じると予防のためスポーツドリンクを飲んでしまったり、スープやピューレを食材に使用したり、普通のストック品に扱いは変わりつつあります。しかしながら最近クエン酸のゼリー飲料が役に立つ場面がありました。ワクチンを接種した夫に1日に1個ずつ飲んでもらった形です。1回目は怠さ、2回目は軽い発熱があって2日ほど安静に過ごしてもらいました。3日目に平常に戻った時はホッとしましたね。全部飲んでしまったので、また補充しておこうと思っています。

繊細なのも困りもの・・・
 困っています…。ずっと食べていた卵が近くのスーパーマーケットに入荷しなくなって数ヶ月、次の定番の卵をどれにするかをまだ決められません。
 たかが卵と言うなかれ。「どの卵でも一緒」ではないのです。匂い、味、中身を保護している殻の状態、価格、供給量など、全てが(個人的に)無難にクリアされている卵はそうあるものではなく、以前食べていた卵とは本当に稀な出会いだったと惜しんでいます。特別なものではなく至って普通の白い卵だったのですが、私にとっては運命の卵でした…。カムバーック!
 (個人的に)の部分がね、個人的に大問題なんです…。鶏が食べている餌によって匂いが変わってくるし、当然味も違う。殻も然り、餌だけでなく生活状況も影響してきます。殻を割るときの力の入れ具合などはこちらがアップデートすれば済む話ですが、匂いと味に関しては如何ともしがたく、このままではシンプルな目玉焼きやゆで卵が食べられなくなってしまいます。生や半熟で食すこともあるので匂いも味も妥協したくない。由々しき事態。以前の卵がぴったり合い過ぎたのよ…。
 とはいえ手に入らないものは入らないのだし、どこかで折り合いをつけるのが幸せへの道。店に並んでいる数種類の卵をローテーションしながら匂いと味の自分の好みを少しずつチューニングしている状態です。時々、「人間の体の何%くらいがたんぱく質なんだろうね?」と逃避思考をして遠く心を休ませてみたり。
 運命の存在との出会いは良いことばかりでもない。

密かな企み、破れたり・・・!
 この夏は桃が話題に上ることが多く、ニュースの見出しで見かけると桃好きの私はホイホイと釣られて読んでしまいました。オリンピックではソフトボールに続いて野球のドミニカ共和国代表の皆様も桃を楽しんでいただけたようで、ニュースを読みながら心がほわっとしました。それから、お盆ごろ配信された文春オンラインの「福島桃大使 譚」はとても愉しく拝読しました。話の内容も素晴らしいうえに、文章が! 何とも言えない可笑しみ(「いとおかし」のほう、=ユーモアで概ね合ってるかな?)があって、行間の含み、伝わる情感、文章のプロはさすがですね。脳がシュワシュワしました。
 さて、巧みな文には仕上げられそうもありませんが私的な桃話をひとつ。
 あれは3年前、その年は個人的に西瓜がフィットしていて何となく桃を食べそびれ、お盆を前にようやく初物という夏でした。日頃利用しているスーパーマーケットでは、桃は1個のバラ売り、2~4個のパック、10数個の箱で売られています。桃の出荷を采配している団体が発行する名刺大の販売促進用の紙片があって、パック売りだとスーパーがそれを入れてくれるのですよ。そういえばじっくり見たことなかったな、と気付いてその時初めてその紙片を読んだのです。表には桃の写真と団体名、そして裏面には、なんと10種以上に及ぶ桃の出荷時期表が印刷されていました。全部食べたい・・・。
 悪戯な好奇心のスイッチがONになったものの既にお盆前、シーズンの半分を過ぎていてその年にはもう食べられない桃も。そこで「この紙片にある桃を来年はすべて食べよう」というわくわくする計画に ふくしま桃チャレンジ と名付けて密かに胸にしまったのでした。
 次の年、おととし。苺のシーズンが終わる頃には早くも桃が頭の片隅にチラついて。そわそわしながらさくらんぼのシーズンを越えて、いよいよ7月初め、首尾よく桃を手にしました! そんなに早い時期に桃をお迎えしたのは人生で初めてかも。「順調順調。このまま週に1回、1個売りか2個パック購入で完走出来たらいいな」と目論見つつ桃食を重ね、8月。店頭で桃に伸ばした手が止まりました。?あかつき・・・あ。なんてこと。私の密かな企み ふくしま桃チャレンジ は「紙片に載っている桃を全種類、ワンシーズンで制覇」だったのに、「毎週1個、桃を食べる」目標と勘違いしていた! 思い返してみるとシーズン初めに桃を手にした時、浮かれた調子で「毎週1個か2個」と頭にメモした記憶が。この4週の間に食べた桃がどの種類かも最早わからず…。
 ふくしま桃チャレンジ1年目、失敗!
 さて去年。コロナで気分も沈みがちな日々を送る中、夕飯後に「今日は桃があるよ~」と幸せ気分で食卓に着きなおし、いただきますとひと口。じゅわ~と広がる香り、甘味・・・・・あっ。よみがえる記憶。あんなにわくわくした秘め事をすっかり忘れていたなんて…。
 7月中旬、ふくしま桃チャレンジ2年目、失敗!
 なんという駄目っぷり。立場上、家族に苦言を呈したり稀には叱ったりすることもあるのに、秘密のチャレンジとはいえ完遂できなくては、今後私の言葉に説得力が無くなってしまう。団らんの場を笑顔で乗り切って後片付けを済ませた私は、桃のパックから紙片を取り出し、献立を記録しているスケジュール帳に貼り付けました。思いついた年にこうしておけば良かったのよ。来年、3年目の挑戦を最後にする。来年こそは達成する!
 そして迎えた2021年7月。店頭で再会した桃のパックには「福島県産 桃」のラベルが貼られていました。棚のポップにも「福島県産 桃」。種類がどれか判らないけどこのくらいで慌てたりはしません。周囲に目を遣るとありました、壁際に桃の入っていたダンボールの箱が。そこにデータが印字されていることを買い物歴の長いワタクシは承知していたのです、おほほ。
 箱の側面には「産地 〇〇」「出荷時期 7月上旬」そして「種類    」んー? 上の箱も下の箱も「種類    」。全ての箱の種類の欄が、 空白 ・・・。終わった…。
 ふくしま桃チャレンジ3年目、失敗!
 理性と注意力と社会性を総動員して無事帰宅し、夜。桃を食べながらこの3年間の秘め事について夫にぽつぽつと告白しました。聞き終えた夫は慎み深くひと言、「その紙片の団体の店に行くか取り寄せれば?」と。「・・・そうじゃなくて。いつものスーパーの店頭で出会う桃で制覇するってところにロマンがあるの!」と力説してみたものの、「ああ、そういうルールもあったんだ。先に言ってくれないからわからなかったよ~」なんて言うのです。…連続する正論はもしかして、桃チャレンジをひとりで楽しんだ意趣返しかな? むむっと鼻白んだものの、おいしい桃を前につまらない気分もすぐ消えてしまいました。桃は偉大なり。
 今年は結局6種類の桃をいただきました。どれもとてもおいしかったです。8月後半から9月の桃はサイズも大きくなってきて、幸せ感がさらに増えますね。
 巷にはコロナが溢れ不安を感じずにはいられない毎日ではありますが、暮らしの中に無理のない範囲で、また小さな楽しみを作り出していこうと思います。次のゲームは家族と共有にしようかな。
 
 

福島の桃

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 皆様こんばんは。久しぶりの投稿になります、lawbaです。
 前回の投稿のすぐ後から今日まで、オリンピックやコロナで世の中はずいぶんと動いていたのですが、だんまりを決め込んでいたような感じになってしまってごめんなさいね。
 鈴木北海道知事や内堀福島県知事や、感謝した対象は大勢いたのだけれど、いろいろなことが起こり過ぎて。事が大きすぎるのと範囲が広すぎるのとで、この状況について何かを語るのは私では力不足でした。私自身の内面もオリンピックに対して、ミクロの私は招致の看板とするために「復興」を持ち出された時からヘイト感情しかない状態、マクロの私は選手をはじめとする参加者や福島もそうですが会場となった開催地の人々のことを思って無事に開催されることを願う状態、という矛盾を抱えていたので、時が流れるに任せるしかなかったのです。
 オリンピックで日本に注目している海外の方々には日本がみっともないところをお見せして申し訳なく思います。
 開会式直前にこれでもかと続いた数々の事件については、言葉足らずのままになることをお許しくださいね。でも、今回の開会式について先の演出案が流れたことは正しかったと私は思います。同じ答えを予想してしまった方が、私と同じように胸にしまうことを選んでくださったら、心から深く感謝します。
 昨晩の開会式はまだ文字と静止画像でしか知らないのですが伝統的な日本の好さはあまり感じられないものだったようで…。それから、多様性を表現するにはまだ理解の深まりが十分でない、そんな印象を受けました。多様性の受容というのは自分らしさ(自国らしさ)の肯定の上に成り立つものだと考えているのだけど、失われた30~40年を抱える日本にはもう少し時間が必要かもしれませんね。日本の教育はどういうわけか自国らしさを封じる傾向が強かったのでね。現在はどうだろう?
 福島のこども達の朝顔の件とか、いろいろあり過ぎて心が波立ってしまったので、動画はもう少し時間をおいてから見てみようと思います。様々な形で携わった皆様、本当にお疲れ様でした。

 さて、本題より前置きが長くなってしまったかな?桃ですよ桃。福島の桃!
 最初にお礼を申し上げたい、ソフトボール・アメリカ代表のエリクソン監督、福島の桃を食べてくださってありがとうございます。「デリシャスだった」とのお言葉、堪能していただけてとても嬉しいです。生産者の方々も喜んでいらっしゃると思います。2021.07.25追記同じくソフトボール・オーストラリア代表のハーロウ監督も桃をほめてくださってありがとうございます。福島の街並みや山々など景観もほめてくださったのですね。とても嬉しく感謝しています。安達太良山Adatara-yamaは形の美しい山なんですよ。コロナの下では叶いませんが、自然の景観を楽しまれる方達には会津地方まで足を延ばして飯豊Iide連峰も見てもらいたかったな。追記ここまで。
 今年の桃は少し小ぶりでその分ギュギュっと美味しさが凝縮したような、すごい桃です(と断言するのはちょうど昨日の朝、桃を買ってきて食べたからです)。外皮の色味を見ただけで今年はちょっと違うと心が躍りました。オリンピックの年にこの出来栄え…!この巡りあわせは奇跡かなと思うほど。大げさでなく半世紀福島の桃を食べてきて1番おいしいです。思い込みではないことの証明のために捕捉しますと、先週も先々週も真夏日の晴天が続いて合間には結構な雨も降りまして。人の身にはいささか厳しいが、桃としては美味しくなるしかない条件が揃ったのでしょうね。最近の全国の天気を思い出してみると、福島だけでなく全国的な傾向かもしれません。
 それに桃以外の果物も野菜も今とてもおいしいです。何かと制約のあるオリンピックではあるけれど、ごはんだけでも楽しんでもらえるといいな。

 さてさて。日本はかなり暑い日が続いています。私は年のせいか体積が小さいせいなのか、6月初めに早くも熱中症の初期症状に陥りました…。なんと脆弱な、と自分でも哀しく情けなくなりました。眠っていた間のことで仕方ないとは思うものの、寝る前のひと口ふた口の水分が生死を分けるような年齢にさしかかってきたのかと、少し気落ちしてしまって。
 皆様はここまでではないことを祈ります。熱中症にも南半球の方は寒さにも、あとコロナにも気を付けてお過ごしくださいね。

2021.07.25 文中に追記させていただきました。両監督、選手の皆様、スタッフの皆様、本当にありがとうございます。
 
 

春ごはん 2021

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 5月が終わっていたのに、春のごはんの話をするのをすっかり忘れていました。
 ん-でも…。夫と少ーし喧嘩して食事の記録を投げ出していた期間を含むので、無意識のうちに「触れたくないなぁ」と避けていたかな…。一応ご飯は作っていましたよ、熱意は省エネモードでしたけど! そのような状況だったのと、もともと料理上手でもないためにお話しするほどの種もないので、大変都合よく忘れていたというわけです。何たる怠惰!そんなわけで、間が抜けている3月から5月の食日記を見返して気付いたことなどを。

 野菜は1年中どの季節にもそれぞれのおいしさがあるものですが、その中でも春の野菜は活力に満ちていて私はとても好きです。ひたすら瑞々しい…!そのおかげで火が通りやすいので、冬の間オーブン料理や放置系煮込み料理に偏りがちだったメニューがガラリと入れ替わります。夏の陽ざしに晒されたほうれん草やピーマンはあく抜きを少し失敗するとえぐみ(芹の苦みとは別のもの)が勝ってしまうことも多いですが、春にはそのような心配が無いのも嬉しいところ。サッと火を通して、しらす干しや削ったかつお節や胡麻、好みの油を少しと塩かしょう油をかけるだけで、おなかも心も満足のひと品という手軽さ!有難い幸せな季節になりました。油は無くてもいいのですが、年を取ってくると体もいろいろ衰えてきますからね、食欲喚起と潤滑油として必要なときもあります。メニューのバランスを見て、ですね。
 それと、春になったらトマトも解禁です。有難いことに今では1年中食べられるトマトですが、ひどい冷え症のために冬の間はサラダの付け合わせぐらいで我慢することに決めていまして(そういえば胡瓜も同じ扱いの食材ですね)。私が春を待ち遠しく感じる気持ちの何割かは野菜恋しの食欲に違いない。少し早いけど我慢も限界の3月中旬、目玉焼きのフライパンの端に入れた、まだ皮が柔らかい春のミニトマト。じんわり温まったそれを朝から食べる幸せよ…。まあトマトの本番は夏なので、春の間は「トマトが食べたいのよ」と体に催促されたら、という感じです。
 春はトマトの他に「無性に春人参を欲する」という要求もあったり、体の声を聞けるようになるといろいろと興味深いです。春の人参は食べること以前の 刻んでいるときの香り が私の体にとっては重要らしいとかね。芳香の効果というのは侮れないものです。30代で死にかけていた時も昨年春に体調を崩した時も、食欲の復活より前に生の人参の香りが恋しくて。「あの香りを嗅ぐことができたら私は治る、元気になれる」と確信していました。背筋がピンとして脳が啓かれる感じがするというか…、説明が下手ですみません。実際、30代のその時期でも作り続けた切り干し大根の煮物と昆布の煮物ときんぴらごぼうには細切りの、豚汁には銀杏切りの人参は欠かせないものでしたし、昨年台所に復帰したとき最初に手にした野菜も人参でした。
 野菜や果物のような自然な芳香による効果は、極限近くまで体力が落ちた体にも穏やかに作用して体力回復の一助となり得ます(医食同源に基づいていますが万能ではありません、あくまでも体力回復の助けです)。今、コロナに罹患した方たちが嗅覚に異変をきたしていることは芳香による恩恵は難しいと示唆しているわけで、ワクチン接種が進む一方で治療薬の開発や認可はどのような状況なのかという点はとても気になるところです。政府が安全を図っているつもりでも、国民が安心と受け取る段階ではないと考えている理由のひとつは、そこにあるのかもしれませんね?

 腹7分目くらいでいいから皆がご飯を食べられる、そんな世界だといい。そうしたら体力保持ができて、病気に負けない体で、体や脳を動かすこと働くことが楽しいと思える。…そういうのが幸せのひとつの形だと思っていました。産まれて間もない頃から健康とは無縁で生きてきましたからね。高熱の後遺症も嫌というほど知っているし、肺炎の苦しみもひと桁の年齢からの長い付き合いです。
 今、コロナという感染症の危機に世界が脅かされて思うのは。体や脳を動かすこと働くことが楽しいという価値観の裏側にあるものを忘れてしまった人達が世界にはいつからか増えていたのかな、と。その状態が本当は有り難いもの=奇蹟なのだと謙虚に感謝することを忘れてしまうと、体や脳を動かすこと働くことがままならない状態の人を思い遣ることもしなくなってしまう。自分の努力で勝ち取った権利だからと、そうではない者達を顧みることなく切り捨てる。感染症の危機の裏側で、人間は精神の貧困という危機にも瀕していて、「だから今、コロナだったのか」という見方もできる。
 ・・・もしかして。少し前にサンデル教授が仰っていたのがこのことだったのか。YouTubeか書籍で後追いできるかな、探してみよう。そう言えば日本語だとサンデル教授と呼ばれているけれど、英語だと教授と博士、どちらで通っているのだろう?

 世界がコロナに脅かされて1年と半年近くになるのですね。世界中でとても多くの方が亡くなられています。亡くなられた方とご家族や親しかった方達には、いつの日か安らかに懐かしむことができますようにと心から願っています。
 何が正解か見きわめるのが難しい時が続いていますよね。時が至らないと正解が現れない、そんな状況なのかもしれません。なかなか厳しいね。時が満ちるまで、人間性を失わないこと、人で在り続けること。「それってどういうこと?」というのをひとりひとり自分の中に確かめる、それぐらいしか出来ることはない気がしてしまいます。ちょっと悲観が過ぎたかな。
 自分で自分の心を追い詰めないように、自分を寛がせる方法をいくつか用意してうまく乗り越えてくださいね。余裕があったら自分の大切な人が安らげるよう手伝ってあげたりということも人で在り続けることのひとつ、人からもぎ取らないこともまた人で在り続けることのひとつです。
 わかりやすい言葉で簡潔に伝えられなくて申し訳ない。コロナが過去形になる日を、ひとりでも多く皆で迎えられるように。今願うことはそれだけです。